第三話:物資の調達


 深夜。丑三つ時とも言える時間帯。ススムは病院からの帰り道、例の武装集団と出くわさないよう少し遠回りをして、自宅のあるマンションまで戻って来た。


「よかった、誰にも会わなかった」


 徘徊する発症した感染者とは何度かすれ違ったが、いずれも「ヴヴヴ……」と唸りながら通り過ぎて行った。


 まだ電気の灯っている非常階段の扉を開けて中に入ると、黒田が壁にもたれるようにして階段の途中に座り込んでいた。


(あ、どうせなら俺の部屋に案内しておけば良かったかな?)


 俯いて眠っているように見える黒田に声を掛ける。


「黒田さん、血清届けて来ましたよ。何か病院の設備で作れるらしくて、中身二本だけ拝借したから、残りは他の病院にも届けて欲しいって言ってました」


 ススムはそう説明しながらアタッシュケースを黒田に返そうとして、はたと立ち止まる。


「黒田さん?」


 もう一度声を掛けるも、返事は無い。彼は既に、息をしていなかった。手には注射器が握られ、直ぐ傍に開封済みの血清アンプルが一本転がっている。

 よく見ると、黒田の手は青と紫色の斑模様に変色していた。


「……黒田さん」


 ススムは彼の遺体に触れて少し上体を起こし、その顔を覗き込む。やはり身体が変質しているらしく、顔も露出している首の辺りから青紫の斑模様になっていた。

 彼も感染していたのだ。


(もう長くないって……そういう意味だったのか)


 黒田は血清の効果について、不死病の発症者に投与すれば活動を止める事が出来ると言っていた。不死病で死体が動く原因とされる、ウィルス腫瘍を滅するのだと。

 その意味するところは、血清の投与はイコール『治癒』では無く『殲滅』という事。


(発症者になる前に、自分に打って終わらせたんだな……)


 一旦家に帰ったススムは、余っているベッドシーツを持って来て黒田の遺体に掛けてやる。階段の途中に放置しておくのも気の毒なので、マンションの集会所の部屋に移動させて横たえた。


「お疲れ様でした。残りの血清は、俺が責任を持って他の病院に届けておきます」


 ススムはそう言って労いの言葉を掛けると、不死病と戦った偉大な教授に、しばしの黙とうを奉げたのだった。



「ただいま」


 自宅に帰って来たススムは、スマホのMAPアプリ、グングニルアースを起動させて町周辺にある大きな病院を探した。地図を参照するだけなら、ネットに繋がらなくても使える。


「隣町に一つあるな。ちょっと距離があるし、やっぱり自転車で移動するのが無難かな」


 車やバイクは燃料や音の問題があるし、道路も事故車などで塞がっている箇所が多いので、大体どこでも走れる自転車が有用だ。そもそもススムは車もバイクも持っていない。


「まずは新しい靴とか、アタッシュケースを入れられるバックパックとかを調達しよう」


 自転車を運転するなら、ずっと片手にケースを提げて運ぶわけにもいかない。壁や瓦礫の上り下りをする事もあるだろうし、両手は出来るだけフリーにしておきたいと考える。


 バタバタと家の中を行ったり来たりしながら「要る物リスト」を作って出掛ける準備を進めていると、キッチンの戸棚に仕舞われている数日分の食料が目に留まった。


「ああ、忘れてた」


 十日前に買ったパンは、もはやカビの楽園と化している。無事なのはレトルトパックのカレーやご飯くらいだ。

 冷蔵庫に入れておいたカット野菜も、消費期限を過ぎている。炒めれば食べられそうではあるが。


「そう言えば、腹が減らないな」


 これも不死病に感染してる影響だろうかと、何となくお腹をさすってみる。一応、定期的に何か食べた方が良いかもしれない。突然エネルギー切れでばたっと倒れる可能性もあるのだ。


「長持ちする食料を携帯しておいた方がいいな」


 そうして缶詰や栄養ブロック系の非常食も調達リストに加えておいた。



 早朝、5時過ぎ頃。大きめのトートバックとウエストバックを身に付けたススムは、自宅を出てショッピングセンターに向かった。

 黒田のアタッシュケースは部屋に置いてある。必要な物を調達してから一度自宅に戻り、改めて遠征の準備を整えた後、隣町の大きな病院を目指して出発する予定だ。

 この時間まで待ったのは、普通の人なら休んでいる頃だと思ったからだ。

 物資を漁りに来た武装自警団と鉢合わせては堪らないので、夜に行動する集団ならそろそろ帰るであろう時間。昼に行動する集団ならまだ寝ているであろう時間帯を狙った。

 ショッピングセンターは病院に向かう道の途中にあるので、昨夜の道のりを辿(たど)れば近いのだが、武装自警団の巡回ルートっぽいので避けて行く。


「着いた。シャッターは開いてるな。電気は所々消えてるみたいだ」


 メインの出入り口は自動ドアもまだ動いている。通常のドアは一部がひしゃげるなどして壊れており、割れた窓には血痕が付着していた。


「うわぁ……血の手形とか……」


 ここでも大きな混乱があったのだろう。発症者の出現によるパニックか、買い占めなどで殺到した客達同士の諍いか。

 黒く酸化した肉塊や大きな血だまりを避けつつ入店したススムは、カートを一台引き出して靴や鞄を置いている売り場へと向かった。


 広い店内の通路には、やはり発症者がゆらゆらと徘徊している。彼等を適当に避けつつ奥まで進むと、微かに非常ベルの音が聞こえて来た。

 ずっと鳴りっ放しだったらしい店内の非常ベルは、長時間稼働で劣化したのか随分と音が小さくなっているように思える。

 そして非常ベルの周辺には、大勢の発症者が群がっていた。反響した音につられて、普通に歩くくらいの速度で動き回っている者もいる。

 日常の買い物客で賑わうショッピングセンターの雰囲気と、あまり変わらないような気がした。


「大盛況だな」


 非常ベルのバーゲンセールに群がる感染者達を横目に、店内を物色していく。とりあえず、丈夫で履き易そうな靴と、大きめのバックパックを見繕った。


「靴と鞄はこれでいいか」


 それらをカートに収めて、次は食料品売り場へと向かう。


 果物や生鮮野菜は、ほとんどが腐って朽ちるか、カビが生えているか、萎びている。

 冷蔵棚に電気が供給されているので、そこに並んでいる加工食品はかろうじて腐ってはいないようだが、肉や魚類は変色し始めていた。


「あああ……勿体ないなぁ」


 食品棚に並ぶ、焼きたて揚げたてだったであろうコロッケや唐揚げ、焼き肉弁当などの成れの果てである大量の生ゴミを見て、哀しい気分になりつつインスタント食品の売り場にやって来る。

 しかし、缶詰やレトルトパックの棚はほとんど空だった。


「ありゃ、先客が持って行ったのかな? まあ、そりゃそうか」


 このような状況下では、保存の効く食料は優先して確保されるはず。まだ店内が発症者だらけになる前に、あらかた持ち出されたのかもしれない。

 お菓子コーナーなどでも同じく、残っているのは床に転がった容器の中の飴玉くらいだ。飲料水の棚はペットボトルは勿論、缶コーヒーの類もすっからかん。

 青汁のペットボトルがぽつんと一つ残されているのが、妙にシュールで可笑しかった。


「カップ麺の棚も全滅か……こりゃ食料関連の確保は無理だな」


 他にも乾電池などは一本も残っていない。レジ近くの煙草やガム類の嗜好品も、根こそぎ持って行かれているようだ。


「お酒とかもほとんど残ってないな。あそこの開いてるスペースは……ああ、紙おむつとか粉ミルクのコーナーか」


 生理用品や各種薬品類の棚もほぼ空っぽであった。


「栄養ブロック系の携帯食なんか真っ先に確保されるわな」


 世界の終わりが来た後もしばらく布団の中にいたススムは、既に大きく出遅れているのだ。良い靴と鞄が手に入っただけでも儲けものだったと納得する。


「他に何か役立ちそうなものは無いかな~?」


 もう少し店内を物色して回り、鍋やフライパンなどの武器にもなりそうな調理器具を幾つか入手すると、僅かばかり残っていた缶詰とスナック類をバッグに詰めてショッピングセンターを後にした。



「ちょっと長居しちゃったかな」


 日も昇り始めた帰り道。目立たないように遠回りで団地の路地を選んで歩いていたススムは、団地内の探索に来ていたらしい武装自警団のグループと鉢合わせした。


「げ」


「ん? 誰だこいつ」

「生存者か? まだこの辺りに残ってたのか」


 彼等は団地マンションの一階の角部屋に、窓から侵入しようとしていたところだったらしく、まさに角を曲がったところでバッタリといったタイミングだった。


(あわわ……ど、どうしよう)


 ススムは焦りつつも彼等をよく観察してみた。

 高校生から大学生くらいの若者三人に、成人男性二人という五人構成で、いずれも長いバールや刺又さすまた(Uの字の金具に柄を付けた長物)、鉄パイプといった道具で武装している。

 昨夜遭遇したグループとは違うようだ。グループを指揮しているらしい刺又を持った成人男性が、ススムに訊ねる。


「君は、この辺りの住人か?」

「あ、いえ、別の地区に住んでる者ですけど」


「その荷物は?」

「ちょっとショッピングセンターで物資の調達を」


 どうやら問答無用で攻撃される事は無さそうだと、少し落ち着いたススムは、刺又の男性の質問に応じる事で情報交換を模索する。

 先程も思った事だが、出遅れている自分はこの世界の情報に疎い。黒田から聞けた世界の状況は、本当に掻い摘んだ内容だけだからだ。ススムはそう自覚する。


「ショッピングセンター? あそこは今は死体共だらけだし、物資も殆ど残ってないんじゃないか?」

「ええ、そんな感じでした……」


 知っていれば別の場所を探してたんですけどねと愛想笑いをしておく。すると、もう一人の年配者と若者三人組が、悪態を吐くような雰囲気で横槍を入れて来た。


「俺達に断りも無く勝手に調達されると困るんだよなぁ」

「まあいい、とりあえず手に入れた物を渡せば、小学校の避難所に迎え入れてやろう」


 調達した物資と引き換えに、彼等の避難所に案内すると言う。普通の人間であれば、歓迎すべきお誘いとも言える。

 だが、ススムは感染者なのだ。大勢の健常者が避難している場所に入る訳にはいかない。


「いえ、行くところがあるので結構です」


 申し出は有り難いけど、自分にはまだやるべき事がある。ススムはお誘いを断って立ち去る事にした。しかし――


「おい、待てよ」


 若者三人組の一人が、小さな弓が付いた銃のような武器、クロスボウを向けて来た。思わず後退るススム。


(うわっ、ボウガンだ……!)

「おい、無闇に相手に向けるな。また暴発させたら危ないだろ」


 刺又の男性がそう言って、クロスボウの若者をたしなめる。


「また……?」


 暴発するような武器なのかと、疑問に思ったススムがぽつりと呟く。すると、窘められた若者がクロスボウを下に向け、装填されたボルトを弄りながら答えた。


「ん? ああ、この前他所から来たらしいおっさん尋問してたらうっかりな」

「足に当たってたみたいだけど、逃げて行ったから大した怪我にはなってないと思うが」


 クロスボウの若者の隣で長バールを持った若者が、そう言って事故の様子を補足する。放っておけばそのうち避難所の小学校に来るだろうと思って、追わなかったという。

 それを聞いたススムの心の奥底から、モヤモヤとした憤りの感情が湧き上がる。


「あんた達が、あの人を……」

「あん?」


「黒田さんを殺したのは、あんた達か」

「黒田?」


 ススムは、自警団を名乗る集団に襲われて怪我を負い、昨夜亡くなってしまった黒田の事を説明すると、彼を撃った犯人を追求した。

 年配の男性二人は顔を見合わせて微妙な表情を浮かべ、若者三人組は『人殺し呼ばわり』された事を心外だと抗議する。


「はあ? 人聞きの悪いこと言うなよ」

「大体、一発だけだし、ただの誤射だろ」


(その一発のせいで大怪我して感染して死んじゃったんだよ!)


 法も秩序も崩壊した世界では、生きている者こそが正義。明日生きる為に必要な成すべき事を成せるのが大正解の価値観。

 仲間を故意に裏切るような行いでもない限り、他人を過失で死なせた者の責任を問う事など無意味。それが、この崩壊した世界のルールである。

 彼等は既にそのルールに適応しており、出遅れているススムは、まだ崩壊前の価値観に縛られていた。


「ああ、もういいから、とにかくバックの中身を出せ。話は後で聞く」


 面倒事は御免だとも言いたげに年配の男性が割って入ると、ススムに調達物の提出を求めた。刺又の男性は、若者三人組を宥めている。


「……」


 一つ、大きく深呼吸したススムは、トートバッグに入れていた鍋とフライパンを取り出した。それを見た若者組が、目を丸くしてツッコミを入れる。


「は? 鍋? なんだそりゃ。食料とか衣類じゃねーのかよ」

「まあ、調理器具も予備くらいは必要だろう。武器にもなるし、全く役に立たない訳じゃないさ」


 勝手な事を言ってる彼等に対し、ススムは右手に鍋、左手にフライパンを持った状態から大きく手を両側に開くと――


ガンッガンッガンッガンッ

(ウキーッ)


 シンバルを叩く猿のおもちゃよろしく、激しく打ち合わせて大音量を響かせた。


「う、うるせぇ!」

「バカ、何やってんだ! 死体共が寄って来るだろ!」


(それが目的だよっ!)


 団地の出入り口から、路地の隙間から、茂みの陰から、車の後ろから、音に惹かれた発症者達が彼方此方から集まって来る。数十人は下らない。


「っ! 近くにこんなに居たのか!」

「まずいぞ、この数じゃ対処しきれん」


 武装自警団グループは角部屋の窓に立てかけていた脚立を回収すると、急いでこの場から逃げ出した。駐車場沿いの徐行路が一番開けているので、そこを通って脱出するようだ。


「おい、お前! 何やってる!」

「早く来い! そこにいると死ぬぞ!」


 見殺しにするつもりは無いらしい。彼等の価値観、行動理念を少し理解して憤りを治めたススムは、鍋とフライパンをバッグに仕舞い、彼等に背を向けて歩き出す。


 発症者の群れを煙幕代わりの隠れ蓑に利用しつつ、自宅のあるマンションへと帰宅の途に就いたのだった。

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