第二話:病院内の探索


 ススムは現在、病院の敷地内をうろついていた。出入り口はどこも封鎖されている。

 病院周辺には沢山の感染者が徘徊していたが、ススムは彼等に関心を示される事がなかったので、開き直って徘徊する集団に交じりながら入り口を探していた。

 慣れとは実に恐ろしい。


 さておき、この病院施設は上層階の窓に明かりが灯っており、明らかに感染者とは違う普通の動きをしている人影が見えたので、ススムはここに生存者が居るのは間違いないと確信していた。


「どこから入るんだろう? 非常用の梯子とか使うのかな?」


 発症した感染者を観察した限り、彼らが梯子の上り下りをするとは思えない。ちょっとした階段くらいなら上れそうだが、下りる時は転げ落ちていそうだ。

 駐車場を横切り、病院施設の裏側まで足を運ぶ。


「何か靴がボロボロになってるな……。十日も履いてなかったから、硬くなっちゃったか」


 履物は数日放置すると柔軟性が失われる。結構長く履いていたスニーカーなので、既に彼方此方に綻びが出ていた。

 新しい靴の調達など考えつつ病院の裏口にやって来たススムだったが、こちらはコンテナで塞がれていた。トレーラーなどがよく運んでいる貨物用のあれだ。


「これ、上に登ったりは……無理か。上っても近くに窓も無いし」


 どこか入れるところはないのかと、ススムはコンテナの周りを調べて回る。

 置かれている場所が不自然な事から考えて、バリケード代わりに持って来た物なのだろう。これをここに運んだ人も病院内に居る可能性が高い。


(実は逆で、病院を封鎖する為に置いたとかだったらやだなぁ。でもさっき上の階に見えた人影は、確かに健常者だったと思うし)


 実は隠し扉があったりしないかと、コンテナの表面をペタペタ叩く。壁にピッタリくっ付いている訳ではないが、コンテナと壁との隙間は恐らく二十センチも無さそうだ。


「う~ん、何とか人一人通れそうな隙間とか――てうわわっ」


 コンテナに身体を預けたまま、隙間に手を入れてふんぬっと踏ん張った瞬間、コンテナが少し動いて転びそうになった。


「おお、これ動かせるようになってたのか」


 横から押してみると、門のようにスライドしてずらす事が出来た。


(なるほど、これなら丈夫だし、ちょっとやそっとじゃ突破される心配もないな)


 さっきの武装集団が来ても大丈夫そうだと感心するススム。ただ、音が酷い。滑りの悪くなった鉄門の如く、ギギギガガガガガリガリガリと凄まじい摩擦音が響き渡る。

 感染者が音に引き寄せられて来る前に、急いで病院内に入ると、内側からコンテナを引っ張って裏口を塞ぐ。


「開けたら閉める」


 表面に手を掛けられる突起が並んでいるので、結構楽に動かせた。ゴゴン……と重そうな音を立てて、コンテナは元の位置に納まった。


「これでよし。さて、誰か病院の人を探そう」


 アタッシュケースを提げ、ススムは非常灯にボンヤリと照らされる薄暗い病院の廊下に踏み出して行った。



 一階の正面玄関と繋がる広いロビーは閑散としており、床には靴や鞄といった来院者の荷物が散乱している。ここで大きな混乱があった事を覗わせた。

 つけっ放しになっているテレビや周囲の壁には、飛び散ったかのように黒く酸化した血痕が付着している。画面は白いノイズの砂嵐。そして、その明かりをバックに揺らめく多数の人影。

 病院内は、不死病を発症した大勢の感染者が徘徊する危険地帯であった。


 現在、ススムは非常階段の踊り場でバリケードの撤去と再構築を終えて一息吐いていた。人影が見えた窓は五階よりも上の階。

 エレベーターが使えないので階段を上っていたのだが、五階と六階の間にソファーや机、ロッカー等が積み上げられて封鎖されていたのだ。

 それらを一度撤去してバリケードを越え、再び積み上げたところである。


(もしかしたら、籠城中に発症した人が出るとかして、皆上の階に避難してるのかもしれないな)


 しかしこの状況では、上の階に避難している人達は建物から出られないのではないかと気になる。とりあえず、無事に生きている人間が居る事を願いつつ、ススムは階段を上り始めた。



 ススムが人影を見た窓の階は、病院発行のICカードが無いと入れない高セキュリテイ―の病棟区画だった。扉は強化ガラス張りなので、中の様子が窺える。

 この区画には多くの生存者が居た。が、怪我人も多数居るようだ。病院のスタッフらしき人達が、食料や医薬品が足りないと話し合っている。


「あのー……」


 と、ススムが強化ガラス扉越しに声を掛けると、振り向いた彼等は驚いたような表情を浮かべた。


「生存者かっ」

「いや、感染しているかもしれん」

「施設の中は不死病者だらけだ、丸腰の人間がここまで無事に辿り着けるわけがない」


 直ぐに扉へ近づいて来ようとした若い医師を周りの医師達が止めると、口々に慎重な対処を促した。確かに、発症者が密集している場所を通り抜けるのは大変だろうなとススムは納得する。

 感染しているからか、自分には反応しなかったが。


「ええと、お届け物を持ってきました。黒田という人に頼まれて……不死病に効く血清が入ってるそうです」


 ススムはそう言ってアタッシュケースを掲げる。ケースに刻印されているマークを見た年配の医師が「確かに、Atlas科学研究所の刻印に間違いない」と、アタッシュケースの出自を確認した。


「黒田教授はどうされた?」

「あ、足を怪我してて――」


 本人はもう長くないと話していた事を伝える。彼から聞いた、この町に来るまでの出来事と負傷理由などを話すと、医師達は「向こうの自警団あいつらか……」と俄かに表情を曇らせる。

 しばらく深刻そうに向かい合って、何事か相談している医師達。その内、最初に扉へ近付いて来ようとした若い医師が、ススムに問い掛ける。


「君は、感染しているらしいと言う事だったが……ここに来るまでに下の階の発症者には襲われなかったのかい?」

「ええ、元々刺激を与えなければあまり害はないって黒田さんも言ってましたけど、俺はぶつかっても特に反応されなかったんで、多分同類と見なされてるのかも」


「ふむ……それなら、一つ頼まれてくれないかな」


 若い医師は、不死病者に反応されないススムに、下の階まで医薬品を取って来て貰えないかと持ち掛けた。

 今現在、この特別病棟区画には一般の避難民の他に、継続して治療が必要な患者が大勢居るのだが、抗生物質などの備蓄が足りなくなっているという。

 下の階の薬品保管庫や薬剤室にはまだ十分な量が残っている筈なので、それらを回収して欲しいのだそうだ。


「上の階には大きな保管庫がなくてね、以前はその都度下の保管庫まで取りに行っていたんだが、何日か前に発症者が出てしまって――」


 この病院には不死病に関する情報が早い段階で届いており、世間で騒ぎが起きた当初は、早々に出入り口を封鎖し、籠城体制を整えていた。

 裏口のコンテナは、騒ぎが起きると同時期にバリケードとして設置されたものだったようだ。

 避難して来る人々をしっかりチェックして感染者を受け入れない処置を取っていたのだが、やはり混乱した状況下ではチェック漏れがあった。

 さらに不運な事に、その時の発症者は健常者に対して積極的な攻撃性を見せるタイプだったのだ。ススムが一階で見た凄惨な混乱の痕跡は、発症者が周囲の避難民に襲い掛かって相当数の犠牲者を出した痕だった。

 一目散に逃げ出した者は生き残り、避難民を助ける為に反撃して発症者を封じ込めた者は、同じく発症者となって一階ロビーを徘徊している。

 ススムが話しを聞いている間、若い医師の後方で様子を覗っていた医師達の数人が、そっと顔を背けたのが見えた。


「手前勝手ですまないが……」

「なるほど、分かりました。自分に出来る事があれば協力しますよ」


 アタッシュケースを強化ガラス扉の前に置き、下の階の各部屋に入れるマスターキーを小窓から受け取る。ススムが下の階に向かってから、ケースを回収するらしい。


「じゃあ、行ってきます」


 一応、必要な薬品のリストを渡されたので、ススムはそれらを優先的に集める方針で探索に向かった。



「とりあえずここからだな」


 通り道を塞ぐ階段の踊り場バリケードは、とにかく急いで封鎖しようと積み上げられたモノなので、撤去するのも構築するのも大変だ。

 ススムはまず、近くの部屋からスチール製のロッカーや薬品棚を集めると、既存のバリケードを再び解体撤去。ロッカーと薬品棚を駆使して整然と積み上げられたバリケードを新たに構築した。

 これなら、元のバリケードよりも丈夫で、かつ通り道を作る時も端の棚とロッカーを移動させるだけで済む。工場で倉庫整理のバイトをしていた経験が大いに生きた。


「これでよし、さあ薬を探しにいこう」


 薬品保管庫のある部屋にも、医師や看護婦の恰好をした感染者、というか発症者が徘徊していたが、襲われる事は無かったので気にせず探索。必要な薬品を揃えていく。

 業務用の冷蔵庫っぽい物もあったので上に運ぼうかとも思ったが、電源の規格などが違っていると意味が無いので止めておいた。


「他はあんまり勝手に弄らない方がいいな」


 薬剤室からは持って行けそうな薬品類で種類がハッキリ分かるものを選び、名札の付いた引き出しごと重ねて搬入用の箱型台車に積み込む。

 台車をゴロゴロと押していると、音に反応した発症者が寄って来るが、特に何をするでもなく台車の方をじ~っと見ている。しばらく停まっていると、やがてふらふらと徘徊を再開する。

 そんな調子で薬品類の他に、スタッフルームや病室に残っていた水や食料など、山盛りの物資を積んで上の階へと戻って来た。


(思ったより疲れなかったな)


 十日も寝ていたとは言え、結構ハードな力仕事をやっていたお陰か、台車を押しながら階段を上るのも、荷物自体が軽かったので然して苦にならなかった。

 後ろから持ち上げて前輪を段差に乗せ、水平を保ちながら一段づつ上がっていく。時間は掛かるがコツさえ掴んでいれば難しくはない。台車の形状にもよるが。


「戻りましたー」


 薬品と食料その他のお届け物でーすと、特別病棟区画の出入り口前まで台車を押して来る。和ませようと冗談ぽく言ってみたのだが、あまり効果はなかったようだ。

 ススムが戻って来たのを見た医師達から、何だかざわりとした雰囲気を感じた。強化ガラス扉の向こうから、強い警戒感がひしひしと伝わって来る。


(なんだろう? すごく警戒されてる感じ)


 お届け物の通達に答えてくれる人が居なかったので、とりあえず入り口前に積んでおく。その内、先ほどの若い医師が扉前までやって来た。


「あ、ありがとう、助かったよ。これだけの物資を集めるのは大変だったろう」

「軽かったんでそれ程でも無かったですよ。あと、踊り場のバリケードは新しいのに組み替えておきましたんで」


 通り抜けたい時に何処を動かせば良いのかを説明しておく。


「そうか、重ね重ね助かるよ。それで……君は、これからどうする?」

「んー、元々病院には診察を受けに来るつもりだったんですけどね、何か意味が無くなったっぽいんで、一度帰って黒田さんに報告します」


「そ、そうか」


 最初に話した時に比べて、何だか随分と緊張している様子だった若い医師は、それを聞いてほっとしたような表情を浮かべた。

 相変わらず後ろから様子を覗っている他の医師達も、似た様な雰囲気だ。


(まあ、不死病の感染者だし、いつ発症して「ヴヴヴ」とか言い出すか分からない人が相手だと、ああなるのも仕方ないかもね)


 彼等の態度に、特に気を悪くするでも無く納得したススムは、そろそろ引き揚げる事にした。


「それじゃあ俺はこれで」

「ああ、血清を届けてくれてありがとう。それと、このアタッシュケースは持って行ってくれないか」

「え?」


 若い医師の話によると、血清はここの設備でも作れそうとの事だった。精製用にケースの中からアンプルを二本だけ拝借したので、まだ何本か残っているという。


「残りは、他の町の病院に届けて欲しい」

「なるほど……とりあえず黒田さんに話してみます」


「ああ、頼んだ。帰りも気を付けてな」


 若い医師から労いの言葉を掛けられたススムは、アタッシュケースを持って病院を後にした。


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