第21話 変わっていくもの
『ヴィオラ』
昼休みもそろそろ終わるという頃、シリル様と廊下で委員会についての話をし、少し雑談をした後に教室へ戻ろうとした時だった。不意に名前を呼ばれ、わたしは足を止める。
『……シリルと、仲が良いのか』
『えっ? 悪くはない……と思いますけど』
そこに居たのは、見間違えるはずもないフィリップ様その人で。特進クラスの彼が一般クラスの方にいること自体珍しいというのに、話しかけてきたと思えば唐突にそんな質問をするものだから、わたしは驚きを隠せずにいた。
『…………』
『……フィリップ様?』
その上フィリップ様は急に黙ってしまい、二人で廊下のど真ん中に立ち尽くすことになってしまう。そもそも彼は、何をしに一般クラスへと来たのだろうか。
廊下にいた女子生徒達が、フィリップ様の存在に気が付き、きゃあと黄色い声を上げている。まあ、気持ちはわからなくはない。今日も彼は、嫌気が差すほどに美しいのだから。
そんなことを思いながら、じっとその整いすぎた顔を見つめれば、すぐに背けられてしまった。見飽きたわたしの顔なんて、好んで見たくないのかもしれない。
『……来週末、予定を空けておいて欲しい』
フィリップ様はそれだけ言うと、わたしの返事を待つことなく背を向けて歩いて行ってしまう。
わたしはその背中を見つめながら、やっぱりフィリップ様はよく分からないと、深い溜め息をついた。
「──変な、夢」
なんだか懐かしい夢を見てしまった。学生時代の夢だなんて、久しぶりに見た気がする。あの頃を思い出すと余計に、最近のことが嘘のように思えてしまう。
フィリップ様と手を繋いで歩いている姿なんて見たら、過去のわたしは卒倒してしまうかもしれない。そんなことを考えると、ついふふっと笑みが溢れた。
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう、セルマ」
「今日はローレンソン公爵家に行かれる日ですし、お早めに朝食をとって支度をしなくては」
彼女の言う通り、今日もわたしは公爵家に招かれている。フィリップ様から直接尋ねたいことがあると、手紙を頂いたのだ。一体何の事かは分からないけれど、昼前の予定だから早めに準備をしておかなくては。
朝食を済ませ、ドレッサーの前に座る。わたしの髪を結いながら、セルマは何故かひどく嬉しそうにしていた。
「ヴィオラお嬢様は元々お美しいですが、最近はより美しくなられましたね」
「そうかしら?」
「はい、それはもう」
はっきりと言い切られてしまい、何となく鏡に映る自分をじっと見つめてみる。そんなにも変わっただろうか。
この長く艶のあるスミレ色の髪も、同じ色の大きな瞳も、お母様譲りのものだ。この国では珍しく、アメジストのようで美しいと皆言ってくれるし、わたし自身気に入っている。
けれど美しいフィリップ様の隣にいては、珍しい色をしていたって何の意味もないと思っていた時期もあった。当時のわたしはひどく卑屈で、病的だったと今更になって思う。
「きっと、フィリップ様のおかげですね」
「えっ?」
「女性は愛され、褒められて美しくなるんですもの。最近はよくお会いになっているようですし」
「そ、そんなんじゃ……」
慌てて否定しても、「照れなくても大丈夫ですよ」なんて返される。けれどわたし自身、愛されている、という言葉にはやはり引っ掛かりを覚えてしまう。
──正直、今はもうフィリップ様の言動全てが嘘や演技だとは思えなくなっていた。わたしを好きだと言う彼の声も、表情も、何もかもが本気のように見えてしまうのだ。
だからこそ、彼に対しての気持ちが自分の中で変わってきているという自覚もあった。以前のように彼を苦手だと思う気持ちは薄れてきているし、一緒にいて楽しいと感じることも多くなってきているのは事実で。
かと言って、彼の言っていることが本当だという証拠もないのだ。もしも何らかの理由があって彼が実際に嘘をついていて、それを信じ絆されてしまったらと思うと、怖かった。
そもそもあのフィリップ様がわたしを好きだなんて、今まで考えたことすらなかった。ずっと嫌われているとさえ思っていたのだから。
『俺は物心ついた時からずっと、君が好きだ。もし君が死ねと言うのなら今すぐ死ねるくらい、愛している』
不意にそんな言葉を思い出し、顔に熱が集まっていく。それを振り払うようにぶんぶんと顔を左右に振ったわたしは、髪を結っている途中のセルマに怒られてしまった。
◇◇◇
「ヴィオラ様、ようこそいらっしゃいました」
ローレンソン公爵家に到着し案内された先は庭園だった。今日は天気も良く、外でお茶をしようとのことらしい。
けれどフィリップ様は現在、急な来客対応に追われているようで。わたしのことは気にしないよう伝えてもらい、彼が来るまで少し庭を散歩させて貰うことにした。
我が家の数倍の広さの庭を埋め尽くす、色とりどりの美しい花を眺めながら、一人のんびりと歩いていた時だった。
「ヴィオちゃんが逃げたぞ!」
「あっちへ飛んで行きました!」
そんな声が聞こえてきて、思わずびくりとしてしまう。
聞き間違えでなければ、ヴィオちゃんが逃げた、飛んで行ったと言っていた気がする。
一体、どういうことなのだろうか。なんだか無性に気になってしまい声がした方へと向かうと、使用人たちが忙しなく何かを探し回るように動いている。
声をかけるのも躊躇われ、近くにいた庭師らしき若い男性に聞いてみることにした。初めて見る顔だ。新人だろうか。
「こんにちは。あの、ヴィオというのは……?」
「あれ、お嬢様はご存じないんですか? ヴィオというのはフィリップ様が子供の頃から飼っているインコらしいです。僕は見たことがないんですけど」
「インコ」
子供の頃から此処には来ているけれど、初めてその存在を知った。フィリップ様が飼っている、インコのヴィオ。
「どんなインコなの?」
「ライラックのような色をした、よく喋る女の子だとか」
それも、紫色をしているらしい。なんだか他人とは思えないそのインコが気になって仕方ない。
後でフィリップ様に会った際、無事にヴィオが見つかっていたら是非会わせてもらおう。そう思いながら、再び庭を歩き続けていたのだけれど。
「あ」
視界の端で、可愛らしい小鳥がちょこんと木の枝に止まっているのが見えた。それも紫色の。鳥にはあまり詳しくないけれど、インコのように見える。
「もしかして、ヴィオ?」
「ヴィオチャン!!!」
「あっ、すみません。ヴィ、ヴィオちゃん」
恐る恐るそう声をかけると物凄い剣幕で怒られた。あまりの勢いに、ついインコ相手に敬語まで使ってしまう。
けれどおいでと声をかけると、素直にこちらへと飛んできて、わたしの腕に止まってくれた。近くで見ると、とても美しい色をしている。顔立ちも、とても可愛らしい。
とにかく見つかってよかった。使用人達も困っていたようだし、このまま連れて戻ろうと再び歩き始めた時だった。
「ヴィオラ、キョウモカワイカッタ」
「…………えっ?」
「ヴィオラ、スキダ」
突然、ヴィオちゃんはそんなことを喋り始めていた。
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