第19話 見えない未来


「とても面白かった。いい経験になった、ありがとう」

「本当ですか? 良かったです」


 舞台を見終え、フィリップ様が予約してくださっていたレストランで遅めのランチをしながら、そんな言葉を交わす。どうやら本当に彼は楽しんでくれたようで、ほっとした。


 王都でもトップクラスの人気を誇るこのお店は、わたしの好きな魚料理が有名で。わたしの為にわざわざここを選び、予約をしてくれたのではと思ってしまう。


 とても美味しいですと何度も言えば、彼はその度に「良かった」と形のいい唇で弧を描いた。


「それにしても、31冊も読むのは大変だったのでは?」

「ああ。仕事もあるから、三日ほど徹夜した」

「み、三日……!?」


 どうして、そこまで。思わずそう呟いたわたしを見て、彼はやっぱり小さく笑って。


「少しでも君と一緒に楽しみたかった」


 そう言い、ほんのり照れたような表情を浮かべた。


 そんな彼を前にして、わたしはフィリップ様という人が心底わからなくなっていた。そう思うのと同時に、何故だか少しだけ泣きたくなる。対抗心なんかを燃やしてしまった先程の自分を、殴りたくもなった。


 ──本当に全てが嘘だったら、ここまでするだろうか。


 そしてだんだんと、自分の中で彼に対する疑問が膨らんでいく。それでも確信を得ることもできずにいるわたしは、まだ油断してはいけないと自分に言い聞かせた。


「第二弾の舞台の発表もされていたな、来年か」

「はい、楽しみです。また一緒に行けたらいいですね」


 けれど早速、無意識にそんな言葉が口から出てしまい顔を上げれば、なんとも言えない表情でわたしを見つめるフィリップ様と目が合った。少しだけ、泣きそうにも見える。


「……君は来年の今頃も、そう言ってくれるだろうか」

「えっ?」


 今にも消えそうな声で、彼はそう呟いた。


 その言葉の意味がわからず戸惑うわたしを見て、やがてフィリップ様ははっとしたような表情を浮かべる。


「すまない、気にしないで欲しい。俺で良ければ、是非来年も一緒に行きたい」


 そして、困ったように微笑んでみせた。




 ◇◇◇




 食事を終えた後、少し外を歩かないかと提案され、こくりと頷いた。当たり前のように繋がれている手にも、いつの間にか慣れてしまっている自分がいる。


 そうして二人で近くの公園の中を歩いていると、ぽつんと男の子が一人、立ち尽くしているのが見えた。10歳くらいだろうか。その身なりから、貴族だというのが窺える。


 最近は身代金目当ての誘拐なんかも少なくない。こんなところに一人でいては危ないと思ったわたしは、フィリップ様の同意の上で声をかけることにした。


「こんにちは、もしかして迷子かな?」


 そう話しかけると、「違う、従者どもが迷子なんだ」と軽く睨まれながら言われてしまった。


 なんとも気難しそうな子供である。とは言え、そうですかと言ってこの場を離れるわけにもいかない。


「連れの方が来るまで、お姉さん達と一緒に待たない?」

「……別に、いいけど」


 素直にそう言うあたり、やはり彼も少し不安だったのかもしれない。無闇に動き回らない方がいいだろうと、わたし達は近くにあったベンチに三人で腰掛ける。


 話を聞くと、やはり彼は貴族の子息らしい。変なしがらみなんかがあっても嫌なので、名前は聞かないまま他愛無い話をして、迎えが現れるのを待った。


 けれどなんだか、周りの様子がおかしい。白昼堂々、いちゃいちゃしたり、キスをしたりするカップルが多いのだ。けれど二人とも全く気にはならないらしく、涼しい表情を浮かべている。


 なんだか一人気まずくなったわたしは、すぐ近くの屋台で飲み物を買ってくると言って立ち上がった。


 そうして、三つ飲み物を抱えて戻ってくると。


「お前らも、ちゅーしたことあんの」


 少年の口から、とんでもない質問が飛び出していて。わたしはつい足を止め、二人の様子を窺ってしまう。


 最近の子供はませてるなあなんて苦笑いをしながらも、適当に流すだろうと思いフィリップ様へと視線を向ければ、何故か彼は少し戸惑った様子を見せた後、口を開いた。


「もちろん、ある」


 どうしてまた、そんな嘘を。見知らぬ子供相手にまで演技を続ける、相変わらずの謎の意識の高さに脱帽する。


「どういう時にするんだ?」

「……嬉しい時とか、良いことがあった時とか」


 そして、そんなハイタッチみたいな扱いはやめて欲しい。


 わたしはフィリップ様の恋愛の知識レベルのあまりの低さに、思わず手に持っていた飲み物を落としそうになっていた。徹夜でもしてもう一周、全31巻を読み直し勉強して欲しい。


「じゃあ、結婚するのか?」

「俺はそうしたいと思っている」

「俺は、ってなんだよ」

「色々あるんだ」


 また嘘だろうと戸惑いつつも、そろそろ戻らないと飲み物がぬるくなってしまう。たった今戻ってきたような顔をして「お待たせしました」と二人の元へと戻る。


「なあ、お前、こいつのこと好きじゃないの」


 そしてジュースを渡した途端、少年は更にとんでもないことを尋ねてくれた。


 けれど先程の嘘のせいで、フィリップ様とはキスをしている仲、という設定になっているのだ。ここで違うと言えば、少年の教育上よくないだろう。


「もちろん、好きよ」


 だからこそ、そう言ったのだけれど。その瞬間、フィリップ様が片手で顔を覆い、俯いて。そして「はー……」と深い溜め息を吐いた。隙間から見える肌は、何故か真っ赤だ。


 そしてフィリップ様は突然立ち上がると、手渡したばかりの飲み物を片手に「喉が渇いたから飲み物を買ってくる」などと言い、ふらふらと歩いて行ってしまった。

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