第11話 動き始める


 誕生日パーティー当日、フィリップ様に贈って頂いたドレスや靴、アクセサリーを身に付けたわたしは、時間通りに迎えに来てくださった彼の元へと向かう。


 すると彼はわたしの姿を見るなり、「とても綺麗だ」と言ってくれた。そして何故か、「ありがとう」とも。


 過去には何度もこうして迎えに来て頂いたけれど、こんなことは初めてで、なんだか調子が狂ってしまう。妙な気恥ずかしさもあった。


 こちらこそとお礼を言い、まっすぐに差し出された手を取ると、わたしは馬車に乗り込んだ。



 やがて王城に辿り着き会場へと入ると、途端に刺さるような視線を一気に感じ、気が重くなる。


 その上、じろじろと全身を見てくる人も少なくない。大方、セドリック様が言っていた通り、事故に遭って怪我をした云々という噂のせいだろう。


「ヴィオラ、大丈夫か」

 

 居心地の悪さを感じていると、フィリップ様は優しい声でそう声をかけてくれて、不思議と少しだけ心が軽くなる。


「はい、ありがとうございます」

 

 そう返事をすれば、彼が小さく微笑んだ気がした。


 二人で殿下に挨拶をした後、最低限の挨拶回りを何とかこなしたわたし達は、大勢の女性に囲まれていたレックスと合流した。俺が沢山いたら世界は平和になるのになあ、なんて馬鹿なことを言っていたので、もちろん無視をする。


 そうして取り留めのない話をしていると、「あら、ヴィオラ様じゃない。久しぶりね」と背中越しに声を掛けられた。


 振り返らなくとも、すぐに誰なのか分かってしまう。


「事故に遭ったと聞いたけれど、元気そうじゃないの」


 そう言ってフンと笑った彼女、ハックマン侯爵家の令嬢であるナタリア様は、子供の頃からフィリップ様に好意を寄せており、昔からわたしに対しての当たりが強い。


 そして彼女はフィリップ様が過去に、わたしとは何もかもが釣り合わないなどと話していた相手でもあった。


 レックス直伝である、しばらく何も言わずに戸惑った様子を見せる演技をしていると、彼女は「何か言いなさいよ、まさかどこか痛いの」と慌てて心配する様子を見せた。


 そう、ナタリア様は根は悪い人ではないのだ。


「ごめんなさい、事故のせいで記憶がなくて……」

「はあ? 嘘でしょう?」

「本当です。何も覚えていません」


 悲しげにそう呟けば、彼女は長い睫毛で縁取られた瞳を何度かぱちぱちと瞬いた後、わたしを睨んだ。


「……なるほどね。わたくしにはわかったわ」

「何をですか?」


「貴女、フィリップ様に構って欲しいだけでしょう!」


 彼女はひどく自信満々に、そう言ってのけた。


 しかも声がわりと大きかったせいで、周りにいた人々が一斉にこちらを向いてしまう。本当にやめて欲しい。


「……そう……なのか?」

「違います」


 そしてフィリップ様も、ナタリア様の勢いに押されないで欲しい。背中越しにレックスの、これ以上は堪えられないといった笑い声が聞こえてくる。


「本当に油断も隙もない、あざとい女だわ……!」

「あの、誤解です」

「絶対にわたくしは、記憶喪失なんて信じませんからね!」

「ナタリア、いい加減にしろ」


 フィリップ様にそう言われた彼女は、急にしゅんとしてしまう。けれどすぐに持ち直すと「そのうち、化けの皮を剥いでやりますわ!」なんて言い、フリルを贅沢にあしらったドレスの裾を翻し、その場から去っていった。


 一体、彼女は何をしに来たんだろうか。


 ……正直、記憶喪失のふりをしている理由については見当違いも甚だしかったけれど、完全に嘘だと思い込んでいるのは少し怖い。嘘なんだけれど。今後、彼女の動向には気を付けなければと気を引き締める。


「あの子は相変わらず癖が強いねえ、面白いから好きだな」


 そんなレックスの声を聞きながら、わたしは一刻も早く家に帰りたいと思わずにはいられなかった。




◇◇◇




「……はあ」


 嵐のようなナタリア様が去ったあと、会場内に現在社交界で人気ナンバーワンの未婚男性が現れたことで、彼の元へと向かおうとする猪のような勢いの令嬢達の波に飲まれ、フィリップ様とはぐれてしまった。


 広く人の多い会場内では、すぐに見つけることは難しいだろう。こういう時は闇雲に探すよりも、一ヶ所に留まっていた方がいいと思ったわたしは、大人しく壁際へと移動した。


 一人になったことで、余計にちくちくと感じる視線が煩わしくて、つい溜め息を吐いた時だった。



「こんばんは」



 不意にそんな柔らかい声が聞こえてきて、わたしは顔を上げたけれど。その声の主の顔を見た瞬間、思わず演技をするのを忘れてしまいそうになるほど、驚いてしまった。


「記憶がないって聞いたけど、俺のこともわからない?」

「はい、すみません……」


 そう答えると彼は困ったように笑い、目を細めた。


「俺はシリル・クレイン。君とは学園で一緒だったんだ、仲も良かったんだよ」

「そう、だったんですね」


 シリル様は、嘘は言っていない。


 確かに彼とは学生時代、関わる場面は多かった。そしてわたし自身も、彼と仲が良い方だとは思っていた、けれど。


 最後に、彼と会話した時のことを思い出す。


『俺はもう、ヴィオラのことを友人だとは思えない』


 そんなことを言われたからこそ、こうして彼が普通に話しかけてきたことに、わたしは内心ひどく驚いていた。


 侯爵家の嫡男であるシリル様と妹様は、社交界でも有名な美形兄妹だ。目を引く輝くような銀髪に、エメラルドのような瞳。それらが彼の美しい顔をより一層引き立てている。


「君の記憶が戻るよう俺も協力したいし、たまにこうして話ができたら嬉しいな。ダメかな?」

「えっ? だめでは、ないですけど……」

「良かった」


 彼は安心したように、ふわりと微笑む。視界の端で、見知らぬ令嬢がそんな彼を見て頰を赤らめているのが見えた。


 もちろん全ての記憶があるわたしは、彼が何を考えているのか全く分からず、動揺しているのを隠すのに必死だった。




 シリル様と最後に会話をした、一年前のあの日。


『……ごめんね。君が好きなんだ』


 彼はそう、わたしに言ったのだから。

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