第18話 車の中
奈津美の言い分はこうだった。
”今治に帰るとは聴いていたが直ぐに戻ってくるものだと思った”
確かに俺は今治に帰るとしか言っていない。帰郷するとまでは名言していなかったのだ。
今、俺は奈津美の車の中にいる。助手席に座り、自動販売機で買ったコーヒーを飲んでいる。しかし、はっきりいって落ち着かない。コーヒーを飲んでいるとは言ったが、味なんて全然わからなかった。
「私、お盆休みと有給を使ってここに来たの。だから1カ月くらいはこっちに居れるわ」
俺は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。そんなに長く滞在してどうするつもりだろう。
「拓斗君を東京に連れ戻す為よ」
なにも言ってはいないのに、こころを読まれたかのように答えが飛んできた。奈津美にはこういう所が前からあった、つまり、俺の考えている事の先を読むのだ。
「今のところ東京に戻るつもりはないよ」
「まあいいわ。時間も有る事だし、じっくり話あいましょ。ところでさっきの女の子は貴方の新しい彼女かしら」
瑞穂とやりとりをしていたところを見られたらしい。蛇ににらまれた蛙のような気まずい雰囲気。冷房は入っているはずなのに、背筋に汗を感じた。
「そんなんじゃねーよ。あれはただの後輩だよ」
「そう?それにしては随分と仲が良かったみたいだけど」
「高校からの付き合いなんだよ。ただ、それだけさ」
「そう? なら、そういうことにしてあげる。それで一番最初の話に戻すけど」
奈津美は言葉をそこで区切った。なにかを強調する時の彼女の癖だ。
「私たちまだ、付き合っているのよね」
覇気すら感じられるドスの聴いた声に、またもや俺はコーヒーを吹き出しそうになる。
「……付き合ってるも何も、俺は東京でした電話で終わったと思っていたから」
嘘だった。本当は付き合いが継続していることに喜びを感じていたのだ。しかし、なぜか心のどこかでひっかかるものを感じていた。
「やっぱり、あの子が原因なのかしら」
「それはないって言っただろ。あいつはただの後輩だって」
こっちは嘘ではない。嘘ではないのだが、先ほどの涙を流しながら走り去る瑞穂の事が、どうにも脳裏からはなれないのだ。
「じゃあ、まだ付き合っているって事でいいのよね」
奈津美が念を押してきた。昨日までの俺なら、はいと答えただろう。
「すまん。少し考えさせてくれないか」
自分でもどうかしていると思う。煮え切らない態度だし、わざわざ、東京から今治くんだりまで足を運んできた彼女に対しての返事としては最低としかいいようがなかった。なによりも、昨日まであんなにもんもんと、奈津美の事を考えていたのに、いざ現実を突きつけられたら、二の足を踏むという行為が、なんとも情けない上に、意味不明としかいいようがなかった。
「まあいいわ。さっきも言ったけど時間はまだ有るわけだし」
奈津美は冷房を止め、窓をすこし開けた。ぬるい海風が窓から入ってくる。
「景色の良い所ね」
「夜は星も綺麗なんだぜ」
「でも、景色がいいだけ。なにもないわ」
「そんなことないさ。これでも多少は開けてきているんだ」
「拓斗君がいなかったら、ただの観光地よ」
そういうと、奈津美は肩に寄りかかってきた。本来ならここでキスの1つや2つあったりするものなのだろうが、俺たちは未だに一度もキスをしたことがない。彼女は気は強いが恋愛ごとになると、こんな感じなのだ・。
1度だけ映画の帰り道で手を繋いだ事がある。その時は耳まで真っ赤にしていた。とまあ、それくらい奥手なのだった。
「さてと、そろそろ帰らなくちゃ」
「何よ。もう少し一緒にいてくれてもいいじゃないの」
「自転車で来てるんだ。ここまで。日が沈むと帰りにくくなる」
俺はそういうと、車の扉を開けようとした。すると、奈津美が服の袖を引っ張る。
「何か忘れてるんじゃないの」
「何かってなんだよ」
「連絡先。携帯電話止まってるのに、どうやって連絡すればいいのよ。また、私に拓斗君探しをさせるつもり?」
「すまん。忘れてた」
俺は自宅の電話番号と住所をメモに書くと、奈津美に渡した。
「私は国際ホテルに宿を取っているわ」
それだけ言い残して、奈津美は車を発進させて町の方に降りて行った。
「さて、帰るか」
何だか今日は疲れた。当たり前と言えば当たり前だ。瑞穂の涙に、奈津美の平手打ち。いっぺんに色んな事が多すぎだ。
でも──。さきほど感じたひっかかり、奈津美にまだ付き合ってるのかと言われた時に、一瞬だが瑞穂の顔が浮かんだのだ。
俺は知らないうちにあいつに惚れてしまったのか。いや、そんなことは無い、自分でも言っていたがあいつは付き合いの長い後輩に過ぎない。にも関わらず心の中がもやもやするのは何故なんだろう。
泣かせてしまった罪悪感だろうか。しかし、泣かせると言えば奈津美も泣かせてしまっている訳で……。
「明石にでも相談するかな」
自分ひとりで悩んでても答えが出ないなら、頼れる友人に相談するのが一番だ。
情けない話ではあるが、一人で悩むよりはマシな筈だ。
そうとう決まったら、明石の家に行こう。こういう時にあいつは頼りになる。
幸いな事に日はまだ、落ちていなかった。今から行ったら夕方頃にはつくはずだ。
俺は駐輪場から、自転車を引っ張りだすと、町に向う道へと向った。
自転車を漕いでいると今日の出来事が色々と頭をよぎりそうになるが、今は運転に集中だ。俺は頭をからっぽにして、ペダルを踏みだすのだった。
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