第17話 俺は展望台に来ていた

 夕日の展望台に来ていた。今日の俺は上下スーツのいで立ちだった。

 下駄を履かず革靴を履いている。自転車でここまで来たのだが、下駄より革靴の方がこぎやすかった。

 何でこんな格好で来たかというと、きちんとしたかったのだ。いつもの格好では説得力にかける気がしたのと、俺は真剣に二人の事を考えているんだと言う意思表示のつもりだった。

 瑞穂を探す。探しあぐねるかと思ったが、あっさりと見つかった。展望台の近くで丁度手品道具を片づけている最中だった。

「先輩。また、来たんすね。でも、もう今日は終わりっすよ」

「いやいいんだ。今日は手品を観に来たわけじゃないからな」

「ほえ?じゃあなんすか。私に用っすか。てか、スーツなんか着ちゃって。はっ!まさか、プロポーズっすか。駄目っすよ。先輩仕事してないし、生活力の無い人はダメダメっす」

くねくねと体をよじる瑞穂。色っぽいというより、ひょうきんな姿にしか見えない。

「プロポーズなんかするかよ。ちんちくりん」

「ちんちくりんとは失敬な。で?先輩はそんなびしっとした格好までして何しにきたんですか?もしかして就職活動とか」

「今日は真面目な話をしに来たんだ」

「先輩が真面目な話ー?あれっすよ。一応言っときますけど、自分もかつかつの生活をしているから、お金なら貸せないですよ」

「お前に金の工面をするようになったら、いよいよおしまいだよ」

「で? 本当に今日は自分になんの用っすか?」

「これを受ける気はないか」

 俺はそういうとメモを取り出した。そこにはオーディションの応募要綱が書いてある。

「なになにパフォマー発掘オーディション。なんすかこれ」

「なんすかって、みたまんまだ。TVに出るつもりはないかって話だよ」

「へ?TVすか。先輩また、こないだの話しっすかシツコイっすね」

俺は煙草取り出して一服する。瑞穂と俺の間に微妙な空気が流れた。

「オーディションは東京でやるんすか。だったら自分いかないっすよ」

「お前は東京に行くべきだよ。行ってチャンスを掴むべきだ」

「なんなんすか、こないだから。私いったっすよね。この町を離れるつもりはないって」

瑞穂の一人称が、”自分”から”私”に変っていた。本気で拒絶しているのだ。

「そうは言ってもこの町じゃ有名になるのには限度があるだろ」

「いいんすよ。私は私のペースで頑張るので、先輩のは余計なお世話っす」

 瑞穂の語気が強くなる。俺はそれにいらついてきた。

「そんなんじゃ、世界的なマジシャンにはなれっこないだろ」

「なれますよ! この町でだってやってけますよ!」

「瑞穂、現実から逃げるんじゃない。良く考えてみろ」

「現実から逃げてるのは先輩じゃないっすか!」

 瑞穂の思わぬ反応に一瞬言葉がつまる。

「なっ。それとこれとは話が別だろ」

「同じっすよ。先輩は逃げてこの町に帰ってきた癖に」

  瑞穂の目には涙が溜まっていた。

「帰るっす。先輩の話は聴きたくないっす」

「もう少し俺の話を聴いたらどうなんだ」

「聴いても変わらないっす。先輩は私の事何も知らない癖に」

「おいおい。何も泣くことはないだろ」

「先輩の馬鹿。おたんちん」

そういうやいなや、瑞穂は手品の道具をしまうと、駆け足で車の方に向ってしまった。

「お、おいっ!」

 俺が声を掛けても振り返りもしない。そのまま車を発進させた。

 あっという間の出来事だった。

 自転車で追いかけようとしたが、車のスピードに追いつけるはずもない。

 呆然と見送るしかなかったのだ。

「なんだったんだ。俺は応援しただけなのに。何も泣くことねーじゃねーか」

 立ち尽くす俺はどうにも居心地の悪い思いをしていた。

 折角メモまで用意したというのにあんまりな仕打ちだと思った。

 ”現実から逃げてるのは先輩の方──”

 胸に刺さる言葉だった。確かに俺は現実から逃げ出した。逃げだしたから、この町にいる。だが、瑞穂や明石は俺なんかと違って、夢を持っている。その目標の手助けをしたいと思うのは間違っているのだろうか。

 もうここにいても仕方ない。帰るか。

 俺は駐輪場に行き自転車を取り出すと、元来た道を帰ろうとした。

 その時だった。

 目の前の車がクラクションを2回鳴らした、なにかの合図だろうかと思ったが、周りには俺の他に誰もいない、明らかに俺に対してのものだ。

 なんだろうか、面倒事は御免だ。そう思って無視を決め込むと、俺はその場から離れようとした。

「拓斗君?拓斗君よね?」

 車から降りてきた女性をみて思わず言葉を失った。

 柏木奈津美──。俺の元恋人がそこにいたのだ。

 仕事できたという感じではなかったが、彼女らしいフォーマルないでたち達だった。高めのヒールにブラウス。観光地には到底につかわしくない格好だった。最もスーツを着ている俺も人の事を言えた義理ではないのだが。

「な、奈津美。何しにここに来たんだ? か、観光か?」

 俺は喉がからからだった。うまく話せたかも判らない。

 夏の暑さよりも緊張でじっとりと汗が全身から出るのを感じる。

 彼女は俺を見下ろすかのように立っていた。目には見えないが怒りの様なものを感じる。

 俺はのろのろと彼女の方に近づいて行った。その間、彼女は微動だにしない。

 何から話せば良いだろう。近況だろうか。それともそっちの仕事は上手く言っているのか。どっちにするべきだろう。やっぱり仕事の話だろうか

「そっちの仕事はど──」

 言えたのはそこまでだった。

 奈津美が俺の頬を張ったのである。強烈な平手打ちだった。

「連絡もしないで今まで一体、どこをほっつき歩いてたのよ!」

 奈津美の思いがけない一言に俺は唖然とするしかなかった。

「どこって──。地元に……。」

「何も言わずに居なくなって、本当に心配したんだから」

 奈津美はそういうと、おいおいと泣きだしてしまった。それから俺の肩の辺りをぽかぽかと叩き続ける。力は入っていないので痛くはないが、何だか心が痛かった。

 何も言わずにって、俺は確かに今治に行くと言ったはずなんだがな。

 それにしても、今日は2人も女性を泣かせてしまった。厄日なんじゃなかろうか。そんなことを考えながら、ぽかぽかと叩かれ続けていた。

 

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