捨恋女

アラタ ユウ

捨恋女

「寝れないの?」


 開口一番、その女は言った。

 寝転がりながら見上げるうりざね顔は、きりりとした眉にアーモンド型の瞳。甘えるような艶やかな唇と、美人の構成要素がこれでもかと詰まっている。

 河川敷の下草を枕に、俺は仰向けのまま固まった。


「混ぜてよ」


 女は気軽に言って、膝を抱えて隣に座った。ジーンズに白のTシャツと簡素な格好ながらも、肩甲骨の辺りまで伸びたウェーブがかったブロンドヘア。手入れが行き届いているのが分かる。

 反応が遅れた俺は、早く何か言おうとして(見知らぬ美人と対面したら大抵こうなる)無粋すぎる質問を投げてしまった。


「誰? お前」


 しかし、女は嫌な顔一つしない。どころか、その質問を待っていたとばかりに即答した。


「通りすがりの捨恋女」

「すてこい?」


 脳内で瞬時に漢字に翻訳されたのは、文学部生特有の習性か。


 捨恋女。


 文にすると、恋ヲ捨テタ女。

 失恋じゃなくて? と聞こうとすると、女はそれも分かっていたかのように被せて言う。


「どうして恋を失ったんじゃなくて、捨てたのか? って思ってるでしょ」

「それは――」


 甘ったるい香水が薫る。女が芝に手をついて、ゆっくりと上から覗き込んでくる。


「それは?」


 触れられそうなほどに近づく。毛穴一つない肌と、ぱちりと音がしそうなほど長いまつ毛。

 女は芝生に四つん這いになって、両手を俺の肩の横に突く。対して俺は頭を腕で抱えていて、動こうにもすぐには動けなかった。

 諦めて答える。


「字の通り、捨ててきたから、じゃないのか」


 恋を。


「んー……」


 女は斜め上を見つめ、しばらくあごから喉にかけての滑らかな曲線を晒す。かと思えば唇を綻ばせた。


「まあ、正解」


 そのまま覆いかぶさるように落ちてきたかと思えば――。


 ばちばちっ、と唇から火花が散った。


「は――?」


 呆然としていると、女は起き上がって口を袖で拭う。かすれた真っ赤な口紅が頬にまで細く伸びている。


「上書き完了」


 さらに指から銀色の何かを抜きとると、水面に思い切り投げつける。ぽちゃんと魚が跳ねたような水飛沫が舞い、冷たい春風に散っていく。

 女はこちらを向くと、歯を見せず妖しげに笑った。ポケットから携帯を取り出し、ゆっくりと左右に振る。


「きみ、携帯番号教えてよ。また会いたいからさ」


 蛇のような獰猛な眼差しに、俺は頷くしかなかった。


 




 

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