第2話 変わらない日々
満月が木の葉の隙間から覗き、地面にまで淡い光を届ける中、ザザザッと木々を
黒髪黒眼。身長百七十程の男……'
「っっ!!」
背後より殺気を感じ取った黒は、勢いそのまま前方の木を駆け上がり身を
「ふぉっふぉっふぉ〜!!黒やぁ!どこに行くつもりじゃ?」
片足を木の枝にかけぶら下がって居る小柄な老人は、弓に矢をつがえ、その先を黒へと向けていた。それを見た黒はニヤリと笑いながら、老人に向けて駆け出した。
「もう逃がさねぇぞ!」
現在。'時宗家'の所有する山では、時宗黒とその祖父に当たる老人が鬼ごっこをしていた。黒が鬼。老人が人。しかし、この鬼ごっこは普通の鬼ごっこではなかった。
「鬼討ったり。じゃの!」
集中し、引き伸ばされた一秒の中。飛来する矢はスライディングした黒の頭の上を過ぎった。
「なぬっ!?」
驚き行動の遅れた老人。その様子を見て勝ちを察した黒はしかし。正面方向の木の下にある落ち葉溜まりから覗くボウガンの
「っっ!?くそっ!」
目を見開いた黒は、自らが罠にかかった事を理解し、直ぐに真横へ跳んだ。
同時の事であった。カシュッ!と、機械的な音が鳴り、放たれた矢は黒の足を
「いっつ!!」
痛みに顔をしかめた黒は地面に手を伸ばし反転。着地の衝撃を抑えては、バッ!と老人の方向を見た。
「可愛い可愛い孫を殺す気か!?」
「ふぉっふぉっ!でないと生ぬるいじゃろう?」
片手で木にぶらぶらとぶら下がっている老人は、黒が矢を避けた事に喜んでいた。しかし、今は鬼ごっこという名の修練の最中。老人は猿の如く樹上に消え、トットと移動して行く。
「チッ!待て!」
逃げようとしている老人を追おうと、走り出そうとした黒であったが、グンッ!と地面にあった縄に足を取られてしまう。
「なっ!?いつの間に!?」
とっさに地面へ突き出した手は残念な事に、そのまま地面へ飲み込まれてしまう。落とし穴が設置されていたのだ。
「ちょっっ!?」
為す術もなく落ちた黒は、穴の中で反射的に掴んだ物を見て、目を見開く。自分の右手が掴んでいる物、それは先が鋭く尖った竹槍であった。掴む事が出来ずに落ちていたら死んでいたと知れた。
「あ……有り得ねぇ。」
黒は驚いていた。それは、思わぬ所に罠があった事に、罠の殺傷性が高い事に、そして何よりも。祖父の先読み能力がヤバい事に。
「ふぉっふぉっ!黒や。まだまだ詰めが甘いの。」
ギッギッと徐々に引き上げられていく黒は、木の枝から逆さ吊りにされる。
「なんで、俺があそこに行くって分かった?」
「それはの。主が油断しているからじゃ。」
ザッザッと吊られている黒の下に現れるは、忍者の様な黒い装束を身に纏う、禿げた頭が眩しい腰の曲がった小柄な老人……黒の祖父に当たる者であった。
「油断してるからとかじゃねぇ。なんで分かったかって聞いてんだよ。」
「ふぉっふぉっ!」
「笑って誤魔化すな!」
すると、老人はスッと真顔になり、細めた瞳で木の葉の隙間から覗き、自らの頭を照らす満月を見た。
「月は全て見ておる。黒が罠にかかる瞬間な。」
「……。……だからなんで分かったかって」
「それより黒……。逆さ状態で辛くないのかの?」
老人は黒の言葉を遮り、すっとぼけた表情で聞く。
黒は苛立ちを隠せないで居るが、直ぐに体を揺らし始め、勢い付けては木の枝を片手で掴んだ。
「ったく。いつ、どうやったらこんなにキツく縛れんだよ。」
自らの右足をキツく縛る縄を、腰から抜き出したナイフで切断しては、地面にトッと着す。
「いてっ。」
黒が左足を地面につけた時、ビリッと痛みが走った。そこでようやく、ボウガンの矢に掠った事を思い出した黒は、目の前で罠を埋めようと背を向けしゃがんでいる祖父を見た。
「てめぇも落ちろ。」
一瞬の
「……?!?」
片足を穴に突っ込んでいる黒は困惑していた。
確かに祖父の背を捉えていたと言うのに、絶対外しようがない距離なのに、自分は完全な死角に居たと言うのに、祖父は今、黒の目の前で、によによと笑って居るのだ。
「甘いのぉ。甘い甘い。主は動物を射抜く時も、大声で「今から打つぞ」言うて仕留めるのかの?」
「……。黙って……やる。」
「じゃろう?何故わざわざ口にしたのじゃ?」
「……。」
黒は答えることが出来なかった。
祖父の意地悪い笑みから、黒が何を言っても諭してやろうと言う意思を感じたためである。
「ぁあ!俺が悪かった!」
「ふぉっふぉっ!謝れるのは良い事じゃの!」
「チッ!」
その時、老人のはめている黒い腕輪からチリリ……。と音が鳴る。それは、修練終了を知らせる音。それを聞いて、黒は微かに嫌な予感がして、頬を引きつらせる。
「時間じゃの。罰として、わしが仕掛けた罠を全部解除してから帰ってきなさい。」
そう言って立ち上がった老人は、穴に片足突っ込んだままの黒を置いて、ザッザッと歩き出した。
祖父の言動を見て、サァァ……と血の気が引いてしまう黒は、祖父の丸まった背を見ながら声を発する。
「な、なぁ!爺ちゃんは?爺ちゃんは何するんだよ?」
ザッ。と足を止めて振り返った老人は、黒に分かるようにキョトンとした顔になる。
「帰るのじゃが?」
「有り得ねぇ!片足穴に突っ込んだままの孫を森に置いて行く奴があるか!?」
「戦争では当たり前じゃったぞ!」
「過去を見るな!今を見ろ!」
すると、老人はスッと真顔になり、木の葉の隙間から見える満月を見た。
「月は全て」
「見ているだよな!?聞いた聞いた!今は月じゃなくて爺ちゃんが見るんだよ!」
「じゃの。」
ザッ!と樹上に消えては、音も立てずに去って行く祖父に、黒は「まっ!」と手を伸ばすも、それが掴むのは虚空であった。
「……有り得ねえ。」
ボソリと呟いた黒の愚痴は、静かな夜の森に吸い込まれて消えてしまった。
--
-
「ただいまぁ……。」
へとへとになって帰って来た黒が、ガラッと家の戸を開けた時。暗い廊下の奥からカチッと音が鳴った。直後。吊られた丸太が、黒の目の前から迫り来る。
「はぁ……。」
迫り来る丸太をしゃがむ事で回避した黒は、タイミングを見て跳躍し、戻って来た丸太を右足で受け止め、その勢いを利用しては、廊下の奥まで跳んで行く。
ガシャ!ガシャ!と床から突き出る竹槍は、丸太回避後、そのまま直進していれば串刺しであった事を黒に伝える。
トッと木造の床に右足から着した。
「ふぅ……。家にまで仕掛けるなよな。」
黒が呟き歩き出そうとした時。
「黒!!」
覇気のこもった女性の声が家中に響き渡ったと同時の事。障子の奥から黒い刃が突き出ては、ガガガッッ!!と横一文字に振るわれ、刃が迫り来る。
「なっ!?」
驚き目を見開いた黒は、リンボーダンスの如くグィィ!!と背中が床に触れるくらいギリギリまで反らすと、黒い刃が目の前をギリギリで過ぎる。黒い刃はの上を過ぎると障子の奥に消えてしまう。
「危ねぇなぁ……。」
黒がそのまま後転すると、先程まで頭があった場所を、薙刀の石突が突きつけられ、その威力は壁に突き刺さりヒビを作る程。
(まだ終わってない!?)
最初の横薙で終わると思っていた黒だが、壁にヒビを作った石突を見ては、身の危機を感じた。黒は、すぐ様動き出そうとしたが、既に遅かったようだ。
「っっ!?」
首筋にヒヤリと金属の感触がした。見ると黒い刃が当てられていた。
「ば、婆ちゃん。今は修練外だろ……?」
降参を示す様に両手を上げる黒は、ボロボロにされた障子の奥に居る者へ向けて話しかけた。もちろん。声を震わせながら。
「如何なる時も油断は禁物です。いいですね?」
スッと退けられた刃は、障子の奥に消え、スー……と障子が開かれる。
「黒。」
そこには門下生から武道が達者過ぎて、'天災婆'と称される程の実力者、黒の祖母が居た。
上から糸で吊り上げられてるのでは?と思える程真っ直ぐな背に、腰まで届く長い白髪を先で一つに束ね、氷の如く冷めた瞳が黒を睨む。自然と足が震えてしまうのは、どれだけ黒が祖母を怖れているかを示していた。
「ふぉっふぉっ!!婆さんは厳しいのぉ。そんな事してはこの家が黒に取って居心地悪くなってしまう。」
ぬっと、黒と祖母の間から現れる祖父。
「貴方……。いつの間に。」と気配を感じ取れなかった事に驚く祖母を無視して、黒は躊躇なく無言で蹴り飛ばした。
「ぐっ!?」
蹴られ廊下の奥に飛ばされた老人は、ふわりと後方へとび、トットッと衝撃を殺して行き、やがて止まる。
「うぅ……黒。痛いぞ。」
腹を擦りながら戻って来た祖父の胸ぐらを掴みあげる黒の顔には、憎しみが色濃く現れていた。
「おうコラジジィ。どの口が言ってんだ?家中至る所に罠を仕掛けているのは誰だろうなぁ?」
「はて?なんの事だかの。」
「しらばっくれても無駄だ!いい加減、トイレとか風呂に、何重にも連鎖する罠仕掛けるのやめろ!居心地の居の字すらねぇわ!!」
そう。人の枠を超えた祖母、'時宗家'に婿入りしたこの老人が普通な訳がなく、祖母と同じく、他の追随を許さない程の罠の腕前と、生存術を極めているのだ。そんな彼を黒は心の底で'狂乱爺'と呼んでいる。
訳は簡単だ。
「ふぉっふぉっ!!昨日仕掛けたやつは傑作だったわい!!まさか、黒が気絶するとは思いも寄らなんだ!!」
「てめっ!!あんなに説教したのに反省してねぇじゃねぇか!?」
「反省……?したかの?……あー!新しい罠の考案に悩んでるのがそう見えたのかの?早合点は良くないぞい!」
「こ、このクソジジィ……!」
祖父は反省をしない。
何度黒を病院へ送ろうとも、何度天災婆に怒られようとも。どれだけ説教したとしても、直ぐに罠を仕かけ、かかれば「うひょひょい!」と笑い狂うのだ。
「婆ちゃんもなにか」
「説教中でも罠のことを考えるとは……流石、罠のプロですね。」
「っっ!?てめっ!?話聞いてたか!?
「それに比べ黒は手が出るのが早すぎです。もう少し他人の事を思いやりなさい。」
「おいおいおい!!数分前の自分に言ってやれよ!?ブーメランが刺さってるぞ!?」
祖母の矛盾に食らいつく黒であったが、祖母がキョトンとした顔で周囲を見た時点で嫌な予感がした。
「ブーメランなどどこにもありませんよ?」
「くっ!ジェネレーション!!」
下唇を噛み悔しそうにしている黒見ては、祖父も祖母もくすりと笑う。
「黒。三時間後に修練を始めます。それまで休憩していなさい。」
ピリッと祖母の雰囲気が切り替わっては、うんざりとする黒。
彼は今年で齢二十四歳を迎える。そんなめでたい日が、丁度今日である事は、この場に居る全員が知らないし、覚えていない。
それは何故か、十の頃より修練修練。一五になっても修練修練。二十になっても修練修練。未だにまだまだ修練修練。就職したくとも修練修練、足掻いたとしても修練修練。
めでたい日であろうとも修練を欠かす事は許されないのだ。
二人の化け物に後継を強要されて、面接に辿り着く事すら困難な黒は、もう我慢の限界であった。
「せめて睡眠時間をもう少しだけ」
「「甘えは死の原因。何時いかなる時でも自らの限界を決めてはならない。」」
ヘラヘラ笑っていた祖父ですらもキリッと雰囲気を変え、'時宗家'の家訓を述べた。
「……あんまりだ。」
それに対し黒はうなだれるしか無かった。
「じゃ、俺寝るわ。」
「おやすみの。」
「おやすみなさい。」
がっくしとうなだれたまま、黒は階段を登って行く。一段目を踏んだ直後、真横から吸盤付きの矢が放たれ、こめかみに直撃する。
「クソッ!!」
苛立ち任せに吸盤付きの矢を取り、投げ捨てる黒であるが、前を向いた直後、ペタンッ!と額に直撃する吸盤付きの矢。ゴンッ!と背後の壁にぶつかる黒は、祖母に「静かに!」と怒られ、祖父に「もう深夜三時じゃぞ!」と理不尽に注意される。
「はぁ……まじやってらんねぇ。」
黒は大きくため息を吐くしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます