第3話 欲に溺れた者……魔物

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 ギィ……と、ミコが扉を開けると、扉の脇でコルトが凛として待っていた。


(っっ!!)


 ミコは一瞬だけ、動揺して目を見開いた。その厳しそうな横顔に一瞬だけ影がかかり、ミコは自らの母と重ねてしまったのだ。


「御準備はもうよろしいのですか?」


 ハッとしたミコは、穏やかに微笑むコルトを見て、自分の勘違いであったと知り、一度目を瞑る。


(大丈夫だ。母じゃない。落ち着け……。)


 コルトは開かれたミコの目を向けられて若干緊張してしまい、笑顔が固くなってしまう。しかし、緊張しているのはコルトだけではなかった。


「はい。」


 涼しげに、何も無かったかのように、至って冷静に返事を返したミコは、また別のことに動揺していた。


(廊下広すぎ……。)


 規格外の広さである。

 この家に住むのは巨人か何かか?と思えてしまうほど。それに、裏庭が見えるようにガラス張りである。ただの金持ちの豪邸という訳では無いと、ミコは勘づき始めた。


(ていうか……この広さの廊下に、さっき窓から見えた光景……まさか、ね。)


 そこまで考えてミコは思考を停止させた。下手な事を考えては目の前の事に集中出来ないためである。


「ご挨拶が遅れ失礼しました。'山寺ミコ'と申します。」


 余計な事を考えるのを辞めたミコは、失礼のないように一礼し、焦らず落ち着いて名乗るとコルトを見た。

 コルトはミコの名乗りに驚きつつも、いちいち驚いては仕方ないと割り切り、にこやかに対応する。


「これは御丁寧に。私こそ失礼致しました。私の名は'コルト・モッツェル'と申します。お気軽にコルトとお呼びください。」


 コルトが近所のお爺さんみたいな雰囲気で返礼を述べた為に、少しばかりホッとしたミコは少し肩の力を抜いた。


(たぶん緊張しているのが見抜かれている。これが母に知れたら……いや。あれは関係ない。)


 微笑みながらもミコは母の事を思い、僅かに頬が引きつってしまう。しかし、コルトはミコの僅かすぎる変化に気づかず、尚も続けて喋りだした。


「それでは御同行ください。歩きながらで申し訳ありませんが、ヤマデラ様に事情をお話致します。」


 コルトはそう言うと、ミコに背を向け歩き出した。ピシッとしたその姿勢、キレのあるその動作からは気品さが生まれ、やはり自らの母と重ねたミコは首を振るい、脳裏にこびり付く母を追い出そうとする。


(……やっと知れる。)


 同時に喜んでいた。

 自分が何故ここに居るのかを知りたかったのだ。ミコは嬉々として、しかし静かにコルトの後に続いた。


 二人の足音が無駄に広い静かな廊下へ響き渡る。


(しかし……やっぱり広いな。)


 コルトの背後であるからか、ミコはキョロキョロと周りを見てしまう。


 そして、二人が歩き始めて数十秒経過した時、コルトはようやく口を開いて、粛々と喋りだした。


「単直に申し上げますと、ヤマデラ様はこの世界の住人ではありません。別の世界からこの世界が呼び出しました。」


「……はい?」


 流石のミコも微笑みの仮面を崩さざるを得なかった。


「ここはヤマデラ様が生まれ育ち、愛した世界ではありません。」


 繰り返し断言するコルト。

 ミコは停止した思考を何とか働かせて、固まって動かない口をゆっくりと動かし始める。


「つ、つまり。異世界という事でしょうか?」

「はい。」


 コルトのハッキリとした物言いに、ミコは自然と納得してしまう。


(異世界転移……。)


 着替える時に思い浮かべては失笑した可能性。しかし、実際「貴方がそうです」と言われたら何も言えなかった。ミコはラノベ系統も読む。読書だけが彼女の数少ない娯楽だからだ。


(て言うことは……私は自由……?母から開放されたのか……?)


 ミコの頭には様々な疑問が浮かんでいた。

 ラノベに出てくる主人公は神に力を授かるのでは?とか、何故コルトと言語が通じるのか?とか、何か頼み事をされるのでは?とか。


 そして同時に。'地球での常識が通じない'可能性が見出された。


(どんな生物が居るのか、どんな人種が居るのか、どんな歴史があって何が禁忌タブーなのか、全てが未知だ……。)


 しかし、浮かび上がった疑問など全てがどうでもよく思える程、'開放された?'という事実が深く胸に残り、実感の湧かないままコルトが喋りだしてしまう。


「ヤマデラ様。今から景観が変わりますが、危険はありませんのでお気になさらずに。」


「はい……?」


 ミコが疑問を露わにした時、コルトは静かに声を発する。


「'幻想ファントム'」


 同時の事。広い廊下の奥から闇が迫り来る。


「っっ!?」


 ミコは目を見開いていた。根拠のない不安がゾワゾワと腹の底から込み上げ、全身が震えていた。


(怖い……。)


 その様に思った直後、闇はコルトとミコを飲み込み、周囲も完全に包まれてしまった。


「これは……なんですか?」


 震える声を抑えながらもミコはコルトへ尋ねた。


 不思議な空間だった。声も足音も吐息すらも響かない真っ黒い空間。しかし暗いという訳ではなく、コルトの姿も自らの手も視認出来るのだ。


「三大力の内、人間が扱える力……魔法ですよ。」


「魔法……ですか。」


 発せられた声とは裏腹にミコは驚いていた。

 小説で何度となく見た文字。想像では素晴らしいものと思っていたが、体験してみると体が震えてしまうほど怖いのだ。


「えぇ。そして、これからヤマデラ様には、この世界に存在する'魔物'について説明致します。」


 歩きながらコルトが'魔物'と口にした直後。四つの影が生成された。その内の一つ、光に照らされたそれは人であった。どこにでもいるような平凡そうな男性。


(なんだろう……意思の感じられない瞳。なんか嫌だな。)


 移動するコルトとミコに合わせて、男性も移動していた。


「魔物とは……人です。」


 静かにコルトが呟くと同時の事。平凡そうな男性は、充血した目を見開いたかと思えば、頭を抱え苦しみ出した。


「なっ!?」


 ミコ目を見開いては驚きつつも、置いて行かれていた。

 それも無理はなかった。突然訳の分からない空間に飲み込まれては、見知らぬ男性が現れ、死ぬと言わんばかりに苦しんでいるのだから。


「ヤマデラ様は'欲'をお持ちですか?」


 突然聞かれた質問にミコは答えられなかった。


「人には欲があります。'金'や'物'のような物的欲求から、'殺人'や'放火'などの衝動的欲求まで。まさに人の数ほど存在します。」


 コルトが説明していく度に、苦しむ男性の様子は変わって行く。周囲に黒い瘴気が漂い始め、やがて渦巻いては男性を覆っていく。


「時に、凄まじい欲求は人を飲み込み……堕落させます。」


 黒い瘴気の渦から手が伸びる。

 腐っているかのような黒い肌。筋肉の筋がはっきりと見えるその腕を見て、ミコは青ざめてしまう。


「'下位魔物'……この世界で最も数が多いとされる、人間の堕落した姿です。」


 パァ……と渦が弱まり、見え始める男性の姿。


「うっっ!!」


 ミコは目を見開き口を抑えて、込み上げた吐き気に耐える。その生物の元が人だとは思いたくなかった。


 黒い瘴気に覆われ、体のいたる所から骨が突き出ていた。まるで退化したかのように五つ指の手を地面につき、上半身を支えていた。足はか細く短く醜かった。


 しかし、ミコが目を疑ったのはそこではなかった。


(顔が……半分しか……。)


 男性の生前の顔が半分しか無いのである。ぽかんと開きよだれのたれている口からは、「キョロッ……!」と、金切り声が発せられた。その半面の死んだ魚のような目と目が合った時、ドクンッ!と心臓が跳ねた。


「ぅ……ぇ……。」


 ミコは地面に膝をつき俯くと、開きっぱの口からはよだれがたれてしまう。体を襲うは苦しみ。全身がその生物を拒み、震え上がり、立つ事すらもままならなかった。


 ぶわっと霧散する下位魔物。


 立ち止まったコルトは、霧散した下位魔物を悲しげに見つめた後、ミコの元へと近づいた。


「申し訳ありません。少しばかり衝撃的でしたね。」


 コルトが'幻想ファントム'を解除すると、他の三つの影は消え、辺りを覆っていた闇も徐々に消え行き、元の広い廊下へと戻った。


 コルトは苦しそうにしているミコの背をさすりながら不安に思う。


(本当は、'魔族'についても説明したかったが……。落ち着いていても子供。やはり……'五代目'の器となるには厳しいか。)


「けほっ……。申し訳ありません。汚い所をお見せして……。」


 ミコは苦しそうな顔を無理矢理笑顔に変え、震える足を立たせると深呼吸を始めた。そうする事数秒。ミコは落ち着きを取り戻した。


「お見苦しいところを見せてしまい、失礼しました。」


 頭を下げたミコを見てコルトは驚いた。かなり衝撃的だっただろうに落ち着くのが早すぎたのだ。


(……思い違いだったか。'呼ばれし者'が常人な訳がなかった。)


「ヤマデラ様。私の配慮が足りず、精神的苦痛を与えてしまい申し訳ありません。」


 深々と。コルトは頭を下げた。


「頭を上げてください。あれが……魔物ですね?」


「はい。全ての下位魔物はあの様な姿です。」


「……。……下位という事は……。」


「えぇ。'中位'も'上位'も、更にその上も存在します。」


 ミコは予想通りの返しに眉を寄らせた。

 先程見た'下位'ですら吐き気がしたというのに、まだ上の存在が居るのか……と。


「ヤマデラ様の世界がどの様なものだったかは存じ上げませんが……この世界は残酷です。たった数秒前まで笑っていた者が死ぬ事も。醜く変わる事も。決して珍しい事ではないのです。」


「……。」


 ミコは言葉を失った。冷水を浴びせられた気分だった。扉を出る時にした覚悟は甘いものだったと、コルトの低い声を聞いては思い知らされた。


「さて、ヤマデラ様。歩けますか?」


「……はい。問題ありません。」


「では参りましょう。」


 そう言ってコルトは先程よりも遅いペースで歩き出した。


「ヤマデラ様はこの世界で五人目の転移者となります。」


「五人目……?」


「えぇ。竜人族や精霊族、昆虫族や、獣人族。そしてヤマデラ様ですね。」


(地球からの転移者じゃないんだ……。)


 コルトは懐かしさに浸っていた。ミコと同じように過去の転移者達を案内し、共に世界を回った日々を思い出した。


(勝手にこちらの世界へ連れられて、頼み事を聞いてくれただけでも感謝しかない。)


「魔物やそれに類する輩の討伐を受けて入れてくれる。我々はそんな彼らを'英雄'と呼び称えるのです。」


 カツンカツンと廊下に足音が響き渡る中、コルトの発言にミコは俯いてしまう。


「コルトさん。私に力はありません。英雄方は強いのでしょう?期待を裏切る様で申し訳ないのですが、私は至って平凡な人間です。」


 ミコはコルトの後ろ姿を恐れた。何かを答える訳でもなく、ただ静かに歩いているだけのコルトの反応が怖かったのだ。


(もしかすると……転移者は毎日のように呼んで、使える転移者のみを生かしているのかもしれない。)


 コルトの返事が遅い為に、ミコは段々と嫌な事を考え始めてしまう。しかし、ミコの不安とは裏腹に、コルトはとても優しく、穏やかな声で安心させるように語りかける。


「この後、転移者のみに力を付与する儀式があります。そこでどの様な能力を入手するかはその人次第です。歴代の英雄方はその儀式で元より持ち合わせていた能力が倍増した位です。しかし、逆にヤマデラ様のような人間は……。」


 コルトはそこまで言ってピタリと足を止め、思案するよう腕を組み顎を触る。


(一体何を考えているのだろうか。)


 ミコが気になってしまう程コルトは悩ましげな雰囲気であった。


「……いかがなさいました?」


 当然気になったミコが尋ねて見るも、ハッとしたコルトは先程の姿勢が無かったかの様に、元の背筋の伸びた綺麗な立ち姿へと戻り、口を開いた。


「いえ。つまり、両手の空いた人が物をより多く持てるように、ヤマデラ様のように何も持たないからこそ得られる物があるという事でございます。」


「なるほど。承知しました。」


(さっきのは何だったのだろう?)


 再び歩き始めたコルトに追従するミコはその様に疑問に思うも、気にしても仕方ないと割り切り後を進む。


 数分としないうちに廊下の奥に見えてくるは、両端には帯剣している厳つい二人の兵士。その眼光は近づく者全てに向けられ、不審者を排除しようと注意深く警備している。


「「コルトさん!お疲れ様です!」」


 コルトが二人の兵士に近づくと、兵士は畏まり、右胸に手の平を置き一礼をすれば、ゆっくりとその扉を開けた。


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おまけ



(危ない。私とした事が絶対機密の情報まで語りかけてしまった。)


'魔族'の説明と、この世界が英雄に頼む事の説明をド忘れしているコルトは、機密情報を暴露しかけた事に内心で焦っていた。


ギギィ……とゆっくり扉が開いて行く中。コルトはカチリと止まる。


(……あ……まずい。)


コルトは思い出した。

自らがやるべき事をやっていない事に。


(今からでも言えば間に合うか?いや、もう扉開いちゃったし、でも我が君に「コルト……またか?」と、呆れられてしまう。やはり、どんなに不自然でも言うべきか?)


葛藤するコルトは額に汗をにじませていた。


(いやでも……。あぁ……!あぁあ……!!エルーーーー!!)

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