愚か者の期待

「……あなた、が?」


 愕然と、ミズキは少年を凝視した。


「おひとりで、ですか」

「はい」


 事も無げに、カヤと名乗った少年がうなずく。たしかに、たとえ援軍としてであれ、游宮ゆうみやの術師に大挙して来られたならば、都主みやこぬしの城内が今とは違った意味で大騒ぎになるだろうことは想像にかたくなかったが。


 都は游宮に、何度討伐隊を送っても歯が立たなかったアララギをどうか退治してくれと願ったのだ。その嘆願を受けて寄越された術師が、この少年ただ一人。それはつまり游宮が、目の前のこの線の細そうな少年を、単独でアララギに対抗できると見込んでいるということで。

 幻島とも呼ばれる游宮の内情は謎に包まれている。よもや、こんなにも若い、アララギ級の人材がごろごろしているのだろうか。

 ごくりと息を呑んだミズキの前で、少年がゆるく首を傾けた。


「案内役の方がいらっしゃらなかったもので」


 少年のほうはミズキの「ひとりか」という問いを、案内がいなかったか、という意味にとらえたらしかった。


「……いませんでしたか」


 たしかに、考えてみればそちらも妙だ。游宮から派遣されてくる援軍に対し、アララギのいるやしろまで誘導する、案内役は出すはずだった。その者は案内役だけでなく、監視役も兼ねるはずだったのだ。

 游宮の連中は信用ならん、あのアララギを本当に退治したかどうかよく確認して、また、どさくさに紛れて都に仇なすようなことがないかようく気をつけておかねばと、符術師寮で上役たちが言い交わしていたのを知っている。ただ、肝心の案内役をだれにするかということについては、皆アララギのいる廃社に近づくのを嫌がって、押しつけ合いだったようだけれど。


「ええ、どこにも。三日待ちましたが気配もなく。游宮の船を着けた場所からですと、案内役を訪ねて都へ行くよりはいっそ問題の場所へ直行するほうが近そうでしたのでそのように」

「それは……」


 案内役は、まさか決まらないままだったのか。あるいは押しつけられて逃げたのか、それとも――先のミズキのように、妖に不意を突かれてしまったのか。


「……すみませんでした。でも、よくそれでアララギの――蛇の目の符術師のいる場所がわかりましたね」

「かの符術師のいる社は瘴気しょうきに塗れて堕地おちとなっているとのお話でしたから、そういう類の気配を辿ればそれなりに。この先でしょう?」


 当然のように少年は言ったが、おそらく彼が船を着けただろう港から、ここまでですらかなりの距離がある。まちがっても瘴気の届くような距離ではないはずだった。


「……游宮の方はすごいですね」


 さっきの技にしたってそうだ。

 ミズキに襲いかかっていた妖を、この少年は瞬きの間に消し飛ばした。手にした朱塗りの弓に矢をつがえることすらなく、ただその弓弦ゆづるを弾いただけで。それによって響いた音の、宙に伝播した振動だけで、妖を千々ちぢに砕いたのだ。

 相手がいくら小さな妖だろうと、呪符を放つでなく呪言じゅごんによる補助を加えるでもなく、弓弦を弾くだけで跡形もなく消滅させるなんて、規格外だ。


「恐れ入ります」


 淡々と、少年が答えた。その態度が、アララギによく似ていると思った。ミズキはアララギと間近で接したことなどなかったけれど、そう感じた。


 自分たちの想定外のことを、涼しい顔でこなしてしまう人間の姿だ。


「……失礼ですが、おいくつでいらっしゃるのですか」

「今年十五になります」


 返された答えは、ミズキが内心当たりをつけていたよりは多少上だったけれど、それでも年若には違いなかった。ミズキより、四つも若い。日々修練となる術師の世界において、年嵩であることは強みとなるはずなのに。――そんなところも、アララギと同じだと思った。


「……案内は、不要ですね」

「ええ、案内はもういいのですが」


 さらりと言って、少年がまた、軽く首を傾けた。


「あなたが北の都の符術師でいらっしゃるのなら、蛇の目の符術師退治の見届け人になっていただけますか。仮に私がこのまま依頼を終え、退治したと都に言ったところで、すぐには信用されないでしょう」


 あり得る話だった。

 けれど、そんな証人になることを独断で引き受けるのは、ミズキには荷が重かった。


「都に一度確認して……」

「私はそれでも構いませんが――かの符術師のいる場所は、もう、すぐそこでしょう? これから都に向かっていては、かなりの遠回りになります。都は、彼の退治をお急ぎなのでは?」


 そうだ。それに。


 ――「珠姫様を止められなかった責任を取って討ってこい、それができなくば死んでこい、というわけだな」。


 女符術師の言葉がまた、ミズキの脳裏によぎった。


 きっとその通りなのだろう。どのみち、ミズキはこのままおめおめとは都に帰れない。

 そしてきっとこの先、アララギのもとには珠姫さまも向かっている。そんな確信があった。


 ――目の前のこの少年が珠姫さまに出くわしたら、どうなるだろう。


 都はアララギ退治を游宮に、宝を積んでこいねがった。ミズキにはこの少年に、差し出せるものなど何もないけれど。でもアララギに似て、けれどアララギよりも気安そうな彼ならば。あの花見の宴でアララギが、姫に迫った恐るべき脅威を、符術師たちが後手に回った瘴気塗れの妖を涼しい顔で消し飛ばしたように、あえて願われるまでもなく、なんでもないことのように、姫を救ってくれるのではないか。

 游宮からアララギ退治の適任として寄越された彼ならば。軽く弓弦ゆづるを弾いただけで、一瞬にして妖を消滅させるだなんてはなわざを、当たり前のようにやってのけた彼ならば。


 きっとそうだ、そうに違いないと――呑み込みミズキはうなずいた。


「わかりました。お受けします」





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