九  珠姫討伐隊

浮かばれぬ花の行く先

 深くてくらい闇の底に、ずっとずっと沈んでいた。

 哀しい眠りに落ちていた。


(どうして、どうしてどうしてどうして)

(どうして殺してくれなかったの?)

(そしたらせめてあなたの中の、傷になれたかもしれないのに)


 足りなかったと思い知る。彼に見つめてもらうには、ただ妖になったくらいでは、ぜんぜんちっとも足りなかった。

 だからもっともっともっと、もっと強くならなくちゃ。


 ――その通りだよ珠の姫。波打つ闇がささやいた。


 珠の姫とはだれのこと? 思い当たらずそう訊けば、なんでもないよと返された。


(もっと強くならなくちゃ。あなたが決して無視できない、恐ろしいものにならなくちゃ)


 その一念で眠りから覚めて、彷徨さまよう無念の気配があれば、飛んでいっては呑み込んで、根を張る怨念の気配があれば、降りていっては吸い込んで、どんどん重く、密度を増した。


 そうやって、他者の恨みを取り込むごとに、かつての「珠」は消えていった。


 身の内で、黒々渦巻くどろどろの、よどんだ念がうごめいている。どうしてどうして、たりないたりない、さみしいさみしいとうめいている。


 そうねわたくしも同じよと、衣越し、薄っぺらの腹部を撫でる。


(だから形なきおまえたちは、わたくしのかてとなりなさい。そして強くなったわたくしが念願叶って満たされたなら、わたくしの一部となったおまえたちもまた満たされる)

(そうしてわたくしが笑っていたら、まわりもみんな、幸せでしょう?)


 ――そろそろいいよ、珠の姫。


 頭の中の隅っこで、無形むぎょうの影がささやいた。


 ――なにせあなたは身体持ち、それが澱みを吸い込んだ。絡繰灯龍からくりどうろうのいない今、邪魔するものはもういない。……いとしいものに、会いにお行き。

(今度こそアララギは、わたくしを見てくれるかしら)

 ――もしも見てくれないのなら。


 頭の中にいる影が、しゅるりと舌なめずりをした。


 ――かけらも残さず喰らっておしまい。今の姫ならそれができる。そうすればもう絶対に、よそ見なんてしようがない。

(そう。そうね)


 そうしましょう。


(……でもねできれば、そうなる前に――)


   ◇


 珠姫様が生きていた。

 けれど、あの晩以上の異形と化して、里を襲っているという。

 けがれを喰らい瘴気しょうきを溜めて、さらに恐ろしい妖になっていると。

 ――「いつも守ってくださってありがとう。これからもよろしくね?」

 大切な記憶として胸に刻んでいた軽やかな声は、いまや呪詛のように反響しては、ミズキの心をさいなんだ。

 そして、花の大臣おとどの名でなされた召集が、ミズキにもかかった。




 都主みやこぬしの城、建物の配置は何一つ変わらないはずなのに荒み色褪せた景色の中を、指定された広間へ向かう。

 同じく召集されたのだろう、ミズキのほかにも、狩衣の符術師ふじゅつしたちが足早に広間へと急いでいて、それを貴族たちが物陰から、仄暗ほのぐらい好奇を滲ませた目で眺めていた。


 ――「珠姫様の討伐隊が組まれるらしいな」。

 ――「花の大臣から言い出して組織なさったとか」。

 ――「花の大臣もお気の毒に」。

 ――「致し方あるまい。アララギはもはや手に負えぬ。だからこそせめて娘御だけでも、己が手でけりをつけたいのだろう」。

 ――「新都主様の就任早々、游宮ゆうみやに頼らざるを得なくなったこの失態。お妃様にはまだ子がおられぬ。下手をすれば廃妃もあり得る」。


 アララギの討伐は、南東に浮かぶ術師たちの島、游宮に依頼することが決定していた。


 都の符術師は游宮の術師を、唾棄すべき邪道の力を扱う、妖と変わらぬやからと忌避している。都の符術が唯一正道と言ってはばからず、まだアララギが現れる前、絡繰灯龍によって討伐隊が次々倒されていったときでさえ、游宮の手を借りようという話は出なかったのだ。


 けれど今回「アララギの呪いで」、都の空には妖が、地には瘴気が満ち満ちた。人が屋敷に閉じこもり息を潜める一方で、妖たちは大通りを縦横無尽に飛び回っている。なんとかして元を断たんと、山のやしろを根城としているアララギへ差し向けられた討伐隊は、ことごとく退けられた。

 困窮する事態に、新都主は体調を崩して寝込み――とうとう、游宮への依頼を決めた。


 宝を積んで平に願う。どうかアララギを、都に仇なす蛇の目の邪術師を討伐してくれ、と。


 それは、都の権威の失墜を意味していた。

 同時に、花の大臣の栄華の終わりも。


 ――「姫の妖は里を襲ったというではないか。いくら花の大臣でも、いや花の大臣だからこそ言い逃れできぬ。人ならざるモノからの守りを一手に引き受けていたのが仇になったな」。

 ――「かつてのように鳥の大臣に任せておけば良かったものを」。

 ――「ほほほほほ」。


 かつての鳥の大臣派だったのだろうか、それとも日和見ひよりみを決め込んでいた月の大臣か、無関心を装っていた風の大臣の閨閥けいばつか。

 いずれにしても花の大臣の子飼いたる符術師を見ても噂話が止まぬほどに、花の大臣の威光は衰えていた。

 さざめきを聞き流しながら、唇を引き結んで、ミズキは奥の広間へ急いだ。




 板張りの薄暗い広間にはすでにかなりの符術師が集まっていたが、熱気とは裏腹の、陰鬱に冷えた空気が漂っていた。だれもが低く潜めた声で、深刻そうな顔をして、手近な相手とささやいている。そのざわつきは、到着したばかりのミズキをも、ひどく落ち着かない気にさせた。


「――やはりおまえも呼ばれたか」


 かけられた声に顔を向ければ、よくミズキと二人一組で花の屋敷の警備を担当していた、女符術師が歩み寄ってきていた。


「あの夜あの場にいた者は、全員呼ばれているようだ」


 ちらりと周囲を顎で示して、女符術師は肩をすくめた。


「珠姫様を止められなかった責任を取って討ってこい、それができなくば死んでこい、というわけだな」

「……止められなかったのに討つのですか。僕らは、救えなかったのに」


 女符術師が心外そうに眉を上げた。


「我らに何ができたと言うのだ。我らが任されていたのはあくまで、花の屋敷の呪詛に対する警備だ。姫がみずから妖に堕ちた、そんな責任まで取れるものか」


 その通り。その通りだと、思いたい。

 けれどミズキには、そう開き直る覚悟もなかった。

 だってミズキは覚えている。毎夜のように、浅い眠りの夢に甦り、冷や汗とともに飛び起きる。

 妖と化して濃密な夜空に浮かんだ姫を、取り巻いていた人形ひとがたの群れ。青い月光に照らされて、禍禍まがまがしく輝いていたその白さ。


 ミズキが、城の符術師たちがアララギへと向けたはずだった、あまたの呪詛。


 あの呪詛の力だけで姫が妖に堕ちたとまでは思わないし、思えない。だけどああして取り巻いていた以上、何かしらの悪影響を与えたのは確かだろう。


 ミズキは無力なはずだった。何もできないはずだった。だから何をしたところで大事になんてならなくて、無辜むこであれるはずだった。

 けれどあの、夜に白々と浮かび上がった呪詛の人形はミズキにはっきり見せつけていた。――「おまえの罪はここにある」、と。


 あのときあの呪詛を見たのはミズキだけでなかったはずなのに、だれも何も言わなかった。取るに足りないことだと思っているのか、なんの因果もないことだと思っているのか、あるいは、そのどちらでもないから何も言えないのか。


 何にせよ、だれも何も言わないからだれかにそれとなく相談もできず、考えすぎだともそんなはずはないとも言ってもらえないから、思考はどんどん悪い方へと沈んでいった。弱っていた姫を、ミズキの呪詛が蝕んだのだと。直接の原因ではなくても、姫を妖に堕とす、一因となったのだと。


 あんなに美しくて、幸せそうで、春の象徴のようだった姫を。


 身の内から湧いてくる恐ろしさに身が震えた。


 無言のまま立ち尽くすミズキを女符術師が見ているのがわかったけれど、何も答えられずにうつむき続けた。


 ふいに、広間のざわめきが止まった。


 上座側の入り口が開いて、花の大臣が入室してきていた。まさか直々のお出ましとは、と驚いて、顔を伏せながらも盗み見た、その顔に思わず息を呑んだ。


 ミズキのような末端術師が見る遠目にも、ふくよかでにこやかな印象の強かった花の大臣は、今やごっそり頬が削げ、土気色の顔をして、目だけがぎょろりと血走っていた。鬼気迫るそんな形相で広間をぐるり睥睨へいげいし、花の大臣は口を開いた。


「諸君。昨今ちまたを騒がせている、姫のなりをした妖の討伐を命ずる」


 それがだれのことなのか、わからない者はいなかった。


わしは花の大臣として、都と、それに従う多くの里への危険を見過ごすわけにはいかぬ。――娘の姿をした妖を、退治せよ。手心は無用である」


 御意、と皆がこうべを垂れた。

 ミズキも同様に頭を下げた。身体がひどく冷たかった。





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