五  フヨウ

出来損ないの役立たず

 フヨウは、出来損ないの役立たずだった。


 晴天の陽の光を浴びれば刺されたように目がくらんだし、大きな音を聞いたなら、頭の芯までぐらぐら揺れた。近くでだれかが腹を立てれば怒気に当てられ身が竦み、だれかが怪我をしたのを見れば、同じ場所に痛みを感じた。不機嫌なだれかと出くわせば相手の心のもやもやが、空気を伝って靄のようにフヨウに覆い被さってきて息ができなくなってしまったし、よどんだナニカを背負っているだれかにうっかり近づけば、たいてい当の本人以上にそれの気配に当てられて、吐き気や眩暈で寝込んでしまった。

 フヨウにとって世の中は、刺激と情報に満ちすぎていて、外に出て人の間にいるだけで、目が回って神経が焼けて熱が出て、何も考えられなくなった。


 そんなふうだったから、畑や家の手伝いも、木の実拾いも鳥追いも、普通の子どもにできる仕事がまったく形にならなかった。まわりの子どもと同じように頑張ろうとすればするほど、そんなフヨウを嘲笑うように身体は言うことをきかなくなった。


 ――「とんだ穀潰しじゃないか。きっと子どもだって産めないよ」。


 寝ついたと思われているのだろう夜に、すすけた襖の向こう側で、ささやく伯母の声を聞いた。


 ――「もう少し大きくなって、それでも生きているようなら、あれを知らない遠くの里へ、うまく嫁に出してしまうしかないな」。


 そうこたえたのは、父の声だった。


 フヨウはじっと息を殺して、薄い掛布を被りこんだ。


 出来損ないで、穀潰しの、役立たず。


 どうして自分だけこんなにも、弱いのだろうと悲しかった。まわりの子たちはみんな当たり前に、普通に遊び、働いているのに。


 だけどある年の里祭り、神代かみよを歌う太鼓演奏を、里の広場に集まって、みんなで聞いていたときだった。


 腹の底に響く振動の中、薄曇りの淡い空気に不意に生じた奥行きに、ああほんとうに神様が降りてきた、と思った。

 それで、気配のおわす宙を見たまま、感じたままを口にした。

「神様が、太鼓を聞きにきているね」と。


 そばにいた母が目を見開いて、わかるのかい、とささやいた。


「だってほら」


 あそこにいるでしょ、と指さしたフヨウを、その示した先を、母は交互にじっと見て、それから静かに目を伏せた。

 ――そうかい、あたしには見えないよ、と。


 それで初めて、フヨウは、自分が見たり感じたりしているものと、他人が見たり感じたりしているものは同じでないのだと知った。


 その日その場でフヨウの他に、太鼓を聞いて降りてきた気配を感じた人間は、だれもいないようだった。つまりこれは自分だけの特技なのだと、人より弱くて劣っていると悲しんでいた自分にも人よりできることがあったのだと、にわかに喜びがこみ上げた。


 嬉しくて、誇らしくて、フヨウはそれから見えたまま、聞こえたまま、感じたままを言い回った。フヨウにだけ見えて、聞こえて、感じられるものがどれだけあるのか確かめて、自分にも人より秀でている部分がたしかにあると思いたかった。


 そして、気味悪がられるようになった。


 ――「あれは気狂いだ」。

 ――「弱った身体を、妖に乗っ取られたのじゃないか」。


 向けられる目から声音から、言葉以上に雄弁な、恐怖と嫌悪が伝わってきた。だから、それからは一言も言わなかった。

 けれど、小さな里で一度立った噂というものは、そう簡単には消えないものだ。


 ――忌み子、鬼子、妖憑き。


 まっすぐ自身に向けられた多数の負の感情を浴びて、フヨウは、それまでで一番長く寝込んだ。


 そしてようやく目覚めた後のフヨウは、かわいげのない子どもになった。具体的には、何もせず一日寝込んでいただけの子に食べさせるものはないよと言われて、そのとおりですと静かにうなずき、食事の場に背を向けるような。


 振り返って考えれば、家族は本気で何も与えない気はなかったのだと思う。ただ労力にならないばかりか、里中から気味悪がられるフヨウを、山中に捨て去ることもなく、養っていてくれたのだから。


 だけどフヨウがあっさりと食事抜きを受け入れてからは、本当に与えられなくなった。具合が悪くてほとんど手伝いができなかった日に、二日や三日、食事がないのは普通になった。それで空きっ腹を抱えて頭が朦朧としてきても、フヨウはむしろ、その状態を歓迎していた。

 だってもう早いところ、消えてしまいたかったのだ。みんなから気味悪がられて、家族の負担にしかならない自分が、情けなくて、やるせなくて、フヨウも大嫌いだった。


 だけど自分から死ににいくほどの意気はなかった。徐々に衰弱して、お月様が欠けるようにゆるゆる死んでいけないものかと、都合のいいことを考えていた。しかしそんなフヨウの思惑と裏腹に、フヨウの身体は、しょっちゅうどこか痛んでいるくせ、妙なところでしぶとかった。本当に命にかかわるような重い病気をすることはなかったし、ある年の夏に悲惨な流行病が猛威を振るい、幼子や老人がたくさん死んだときも、フヨウは罹らず、生き延びてしまった。


 ――「なんであの子は無事なんだ」。

 ――「やっぱり普通じゃないんだよ。里へ置いておくべきじゃない。おやしろへやるべきじゃないかね」。


 そんなある日。

 妖退治のために里を訪れた、山のお社の老神官に、里長さとおさが申し出た。


「いかがです、宮司様。そちらの後継者のそばに、同世代の子も必要では」


 おもねるような里長の言葉に、老神官はしばし考えるようにしてから、


「そうですね。当人たちの気持ちしだいだが、それもいいかもしれない」

 と、答えた。

「十二になってもまだ見えているようなら、迎えましょう」

 とも。


「十二、ですか? ……七つを過ぎても見えている時点で、もはや」


 手遅れだろう、と言いつのろうとしたらしい里長を手で制し、老神官はフヨウの前で膝を折ると、視線を合わせて微笑んだ。


「子によって多少の差はあるものですよ。七歳を過ぎてもまだ見えている子でも、十――遅くとも十二にもなれば、落ち着くことがほとんどです」


 里長に答えているようでいて、フヨウの目を見て言い聞かせるようでもあった。じんわりと諭すような、優しくて、少しせつない目をしていた。今にして思えばあの言葉は、フヨウが人の世で生きるための猶予を教えてくれていたのかもしれない。あの後フヨウが、何が見えたとしても、もういっさい見えると言わずに黙っていれば、十二になったフヨウに対し、この子ももう見えなくなったようだと、言ってくれるつもりだったのかもしれない。そうしてフヨウが、人の間に埋もれ生きられるように。


 けれど、当時のフヨウに、そこまでのことはわからなかった。

 ただ、やっと居場所が見つかったと思った。


 フヨウという厄介者を引き取ることに対して、老神官は、まったく嫌な顔をしなかったから。十二になっても他の人には見えないいろいろなものが見えたままなら、自分はお社へ行っていいのだ。そこでならもしかして、自分でも何かの役に立てるのかもしれない、今より嫌がられずに生きていけるのかもしれないと、十二まではまだまだ遠かったけれど、希望ができた。




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