人の間にあらず
「噂は聞いているかね」
二度目の
都主は前と同じく、畳敷きの上座に座っていた。御簾が上げられ、広間がより広く感じられるためか、前の印象よりさらに小さく見えた。
板張りの下座に、アララギは座した。護衛が二人、置物のように控えているだけで、ほかにはだれもいなかった。
「
アララギが答えると、都主はうなずき、嘆息した。
「……矢も投げ槍も、あれの
紙と墨から作られる、呪符の威力は使い手次第だ。中でも城仕えの符術師は選りすぐりの精鋭であり、剣や槍といった武器の攻撃は効かない妖も多くいる中、彼らの放つ強力な呪符は、妖に対して抜群の効果を発揮した。
剣で斬れない妖がいても、兵士たちは絶望しない。符術師様を呼べ、と叫ぶだけだ。
だが、呪符が効かない妖の場合は――。
「六度の遠征で、都の符術師はだいぶ減った。優秀な符術師は皆焼き消されてしもうた。……日々の都の守りにも事欠くほどに」
「それで、
都主が顔を上げた。
「そなたの活躍は聞いておる。そなたが来てから、衛士たちの顔が明るくなった。――だが、絡繰灯龍の進攻を食い止めぬかぎり、安心はできぬ」
「参ります。七度目の討伐隊は、いつ出発するのですか」
淡々と答えたアララギを、都主はじっと見つめてから、
「五日後だ」
と答えた。
◇
七度目の討伐隊には、悲壮感と奇妙な高揚が同居していた。
死地に赴くと割りきっている者、今度こそかの悪名高き絡繰灯龍を倒すと息巻いている者。
同行する兵の中にはアララギの噂を知り、頼りにしていると親しげに話しかけてくる者もいたが、符術師たちは一様に眉をひそめ、遠巻きにしていた。
そんな一団が都を出発して七日目の夜、星のきらめく濃紺の空と、闇に沈んだ草地の間に、それは姿を現した。
ゆっくりとうねりながら近づいてくる、巨大な縄のような影は、下人たちが噂していた通り、遙か見上げる、暗紅色の龍だった。
「放て!」
号令とともに、無数の矢と、呪符が飛んだ。
絡繰灯龍が口を開いた。赤くて暗い、深淵のような喉の奥に、ぼう、と朱色の光が灯った。
次の瞬間吐き出された猛火は、矢を、呪符を、空を、土を焼き、夜闇を真っ赤に染め上げた。
雄叫びか、悲鳴かはたまた断末魔か。無数の声が響きわたり、ごうごうと炎が燃え
炎を裂いて空高く飛んだその呪符が、龍の額に張りついた。唸った龍の紅い目が、炎の中のアララギを
爛々と、
(みつけた)
絡繰灯龍の口が開いた。吐き出された紅蓮の炎が、一路アララギに襲いかかった。
――ふわり。花の香りがアララギを包んだ。
慕わしい、淑やかな香りを、今までで一番近くに感じた。かつて老神官を失い、泣けないままに張りつめていたのを、香神木の精に抱きこまれたときのようだった。
(……ああ。まだあなたは、僕のそばにいてくれる)
まるで、壁にぶつかった雪玉が砕け散るかのごとく。花の香りにはじかれて、紅蓮の炎は四散した。
◇
結果から言うならば、七度目の討伐隊は、絡繰灯龍を退けた。
アララギの呪符によって、胴の一部を欠けさせた龍は向きを変え、元来た方へと戻っていった。
香神木を失ってから、アララギが殺せなかった妖はこれが初めてだったが、退かせただけで快挙だと、討伐隊の兵士たちは快哉を叫んだ。
たしかに絡繰灯龍は退いたが、それほどの深手を与えたわけではない。今までにない抵抗に驚き一度下がっただけで、やがてまたやってくるだろう。アララギはそう思ったが、隊の長が、ひとまず都へ帰還して、
都主への報告には長が赴くということで、討伐隊は、城に着くと即座に解散となった。三々五々散らばっていく隊員を横目に、アララギはひとり、与えられた自室へと戻った。
翌日、アララギが寝起きする寮の部屋に、新しい着物が数着と、呪符に使える紙が一山、錦の小袋に入った金子といっしょに届けられた。
さらに翌日、アララギはひとり、都主の呼び出しを受けた。
◇
「聞いたぞ。大手柄だったそうだな」
広間は中庭に面した引き戸が開けられ、外の光が差し込んでいた。
「符術師はぼかしたことしか言わなかったが、兵たちに聞いたよ。すべてそなたの活躍であったと。よくやってくれた」
都主がそう言うと、影のように控えていた小者が、漆塗りの盆に錦の袋をのせて運んできた。
褒美はもういただきました、とアララギが伝えれば、都主はおかしそうに目を細めた。
「一番の功労者に皆と同じだけの褒美では、そのほうが不公平というものだろう。兵たちは祝杯を上げたようだが、そなたは参加しなかったのだろう?」
「……倒したわけではありません」
「だが退けた。初めてのことだ」
アララギが黙ると、都主は目元をなごませて続けた。
「受け取っておくれ。そなたの活躍のおかげで、城の空気が明るくなった」
ずしりと重い錦の袋を抱いて、アララギは頭を下げた。
呪符にするための紙を買おうと思った。
◇
その後もたびたび絡繰灯龍は人里近くに現れて、都から討伐隊が派遣された。そのすべてに、アララギは加わっていた。
アララギが加わったことで、しだいに討伐隊から悲壮感は消えていったが、緊張は残ったままだった。命を賭けて炎の大妖に挑むのだから、それも当然のことだっただろう。あとはおそらく、アララギという異端に対する緊張もあった。ただ、そのどちらも、アララギは問題にしなかった。
灼熱も轟音も気にならなかった。絡繰灯龍と相対すれば、
だからこそ。そうして遠征を繰り返すうち、しだいにアララギは
討伐隊の動きは遅い。呪符の補充、矢の補充、糧食の補充と、隊の準備を万全にして旅立つのだから無理からぬことだが、一刻も早く絡繰灯龍と死合いたいアララギにとっては、無駄な時間でしかなかった。
だから、十何回目かの遠征を終えて、またひとり呼び出されたアララギは、最初とくらべれば気安く感じるようになっていた都主の差し出す金子を断り、かわりに願った。
「僕に馬をお貸しください」
意表を突かれたように目を瞬かせた都主に、膝を乗りだし、畳みかけるように続けた。
「身動きの遅い集団はいりません。どのみち絡繰灯龍とやり合えるのは僕だけなのですから、行くのは僕だけで十分です。そのほうが効率がいい」
都主はじっとアララギを見つめ、何か考えているふうだった。
やがて口を開いたとき、その声には諭すような響きがあった。
「……たしかに、そのほうが効率は良かろうな。そなたがそれだけの強さを持っているのも、もうわかっておるよ。――しかしな、アララギ」
ひたり、と、都主の目が、深い色をして、アララギを映した。
「それではそなたは、独りになるぞ」
アララギは、
「最初から、僕は独りです」
都主が、痛ましげにアララギを見た。しばし考えるようにうつむいてから、長く細い吐息を漏らした。
――わかった、と、都主は答えた。
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