第22話 シャノアの変化
ガチャリとドアの開く音でシャノアは一瞬ビクついたが、逃げ出そうとするほどではなかった。
「ん?」
スタスタと背筋を伸ばして歩くメイドさんの後ろで、アイリスは身を縮めて俯いている。
なにやら小箱を抱えているが、それが重いとかそういうのではなさそうだ。
「アイリス、どうかしたのか?」
「い、いえ……とくに、なにも……」
という割には、なんだか様子がおかしい。
「お嬢様はアラタ様に〝優しいうえにめちゃくちゃ美人〟と言われて照れておいでです」
「ちょっとモラン!?」
どうやらこのメイドさん、モランさんと言うらしい。
しかし、そうか……しまったな。
シャノアにかけた声が、外まで丸聞こえだったか。
こりゃセクハラ案件だぞ。
「アイリスさん、申し訳ありません。悪気はなかったのです」
とにかく、こういうときは謝罪が大事だ。
「い、いえ、その……別に……」
「アラタ様、お嬢様は照れたというよりむしろデ――」
「モラン!!」
無表情で紡がれる言葉を、アイリスはまたも遮る。
こりゃよっぽど怒らせちゃったか……?
「悪気はなかったとはいえ、不適切な発言を……」
「いえ、大丈夫です! 問題ありませんから、謝らないで……!」
「ですが」
「言葉遣いも、前のままで……お願いします……」
なんだかアイリスがしゅんとしてしまった。
まぁ、彼女がいいと言っているなら、いいか。
「わかったよ、アイリス」
俺の言葉に、アイリスはほっと胸を撫で下ろした。
「それで、そのネコチャンが……?」
「ああ、ウチのシャノアだ。かわいいだろ?」
「はい、とっても!」
花の咲くような笑顔ってのは、こういうのをいうのかな。
少し微妙だった空気も、すっかり穏やかになった。
やはり猫は偉大だ。
「それで、その……実はネコチャンにプレゼントしたいものがあるのですが……」
「プレゼント?」
「はい、こちらを」
彼女はそう言うと、抱えていた小箱を掲げてフタを開けた。
中には透明な小瓶が入っていた。
それを見て、無表情だったモランさんが目を見開く。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「ええ。かまいません」
モランさんの驚きようからして、よほど貴重な物らしい。
「これは?」
「エリクサーです」
「エリクサー!?」
思わず声を上げてしまった。
〈鑑定〉した結果、間違いなくエリクサーだとわかった。
あらゆる怪我や病気を治し、生命力まで回復してしまうという、万能の霊薬。
死者を生き返らせたり、身体の欠損を再生したりは不可能だが、それ以外ならなんでも治せる超絶レアアイテムだ。
日本でもいまのところダンジョンの宝箱からしか手に入れられず、錬丹術での再現は不可能といわれていた。
数も少ないため、数百億から数千億で取引されているらしい。
「こんな貴重なものを、どうして?」
「アラタさまはマリアンを助けてくれたでしょう? その恩返しです」
護衛のひとりマリアンは、アイリスと同い年で、とても仲がよかったらしい。
もちろん戦いに身を置いている以上、いつかは命を落とす日が来るかもしれないと、お互いに覚悟はしているそうだが、だからといってそんな日は永遠にこないほうがいいに決まっている。。
瀕死の重傷から生き返ったら、嬉しいに違いないだろう。
「マリアンから話を聞いた治療士によると、即死に近い致命傷だったのではないかと。それほどの傷を癒すとなると、かなり高品質のライフポーションが必要だとも言われました」
「それは、たまたま持っていたもので……」
「ですがそれは、ネコチャンにとって大切なものでしょう? それを惜しみなく使っていただいたのです」
「いやいや、惜しみなくなんてとんでもない! ほら、こうやて少しは残してるんだぜ? 使ったのはせいぜい半分か、それくらいだよ」
そう言って俺は、シャノアを片腕で抱えたまま緑の小瓶を取り出した。
そこにはまだ、4分の1ほどの液体が残っている。
「はぁ……」
じっと小瓶を見ていたアイリスがため息をつき、額に手を当てて小さく首を横に振る。
がっかりさせちゃったかな?
「これほどの高品質なライフポーションを半分も……」
俺が思っていたのと別の意味で呆れられたようだ。
どうやらアイリスも〈鑑定〉を使えるらしい。
「やはりなんとしても恩返ししなくてはいけませんね」
魔素の薄いこの世界のポーションは、おそらく濃度が低く、効果も小さい。
なので地球産のポーションは、こちらではもの凄く効果の高い貴重なものとなる。
その点ダンジョンの宝箱から得られるエリクサーの品質は、変わらない。
以前東京のギルド本部にいった際、ショーケースに飾られたエリクサーを〈鑑定〉したことがあるのだが、それとまったく同じものだった。
つまり、地球と変わらず貴重なものなのだ。
そんなものを、もらっていいのだろうか?
「それに、よく見てください」
「ん?」
透明な小瓶をよく見ると、中身は底にたまる程度しか残ってなかった。
「もう、ほんのちょっとしかありませんから。これでおあいこです」
彼女はそう言って、にっこりと微笑んだ。
そこまで言ってくれるなら、遠慮するのも失礼か。
シャノアのために何でもすると決めているわけだしな。
エリクサーなんてシロモノが出てきてビビってしまったけど、腹をくくろう。
「じゃあ、1滴だけ。シャノアには、それで充分だと思いますから」
とはいえ俺も小市民。
限界までは遠慮させていただこう。
「わかりました、1滴ですね」
アイリスは小瓶を手に取ると、フタを開けた。
「アラタさま、手を」
「ああ、はい」
小皿を用意するより、俺の手から飲ませるほうがいいな、たしかに。
「それでは……あらら」
小瓶を慎重に傾けていた彼女だったが、急にわざとらしい声を上げたかと思うとそのままひっくり返してしまった。
「まぁ大変。うっかり全部出しちゃいました」
アイリスはそう言うと、ペロリと舌を出した。
いや、何回か振ってたよね、小瓶を。
あとなにその表情、かわいすぎるんですけど?
「これはもう、戻すわけにもいきませんね」
「はぁ……しょうがないなぁ」
ここまでされたら、もう全部飲んでもらうしかないか。
「ほら、シャノア。飲みな」
シャノアはチラリと俺を見たあと、手のひらに溜まったエリクサーをペロペロと舐めた。
「おおっ?」
シャノアの身体が、一瞬淡く光る。
慌てて顔を上げると、アイリスがじっとシャノアを見ていた。
そして、ふっと微笑んだ。
「アラタさま、〈鑑定〉を」
「〈鑑定〉? あ、ああ」
言われて、慌ててシャノアを〈鑑定〉した。
「ああ……!」
治っていた。
ずっとシャノアにまとわりついていた魔素不全症が、完全に消えていた。
「シャノア……よかった……」
気づけば、涙が溢れ出していた。
10年。
家族を失い、唯一残った飼い猫が、俺の拠り所だった。
シャノアがいなければ、俺はどうなっていただろうか。
生きる気力を失い、自暴自棄になっていただろうか。
それとも死んだように、だらだらと生き続けただろうか。
「10年……ずっとお前を……お前の、おかげで……」
シャノアを抱き寄せ、彼の腹に顔を埋める。
いつもは嫌がるのに、今日は受け入れてくれたみたいだ。
そのせいで、ますます涙が溢れてくる。
「いつか、シャノアがいなくなるんじゃないかって……探索から帰って、倒れてたらどうしようって……俺、ずっと怖くて……」
「すまんな、心配をかけて」
「まったくだ。本当にいつも心配をかけて……って、え?」
なんだ、いまの渋いイケボは。
思わず顔を上げ、当たりを見回す。
俺とシャノアのほかに、アイリスとモランさん以外、誰もいない。
そのふたりが大きく目を見開いて、シャノアを見ている。
「シャノア?」
俺は抱えたシャノアに、顔を近づける。
するとシャノア視線を逸らし、逃げるように顔を背けた。
猫ってのはそういうもんで、これはいつもの反応だ。
いつもの反応なんだが……。
「
シャノアがしゃべった。
ものすごく渋い、おじさんボイスで。
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