第30話 感情ジェットコースター 5
嫉妬したということはゼイン様は私に対し、少なからず異性として好意を抱いてくれているのだろうか。
そう考えると、じわじわと顔に熱が集まっていく。そんな私を見て、ゼイン様は綺麗に口角を上げた。
「未だに何も伝わっていなかったんだな」
「えっ?」
「俺は君のことばかり考えているのに」
一体いつからだろうと戸惑いながらも、ゼイン様の瞳から目を逸らせなくなってしまう。
「ランハート・ガードナーと一緒にいる姿を見て、君の存在の大きさを思い知ったよ」
先ほどまでは好意ゼロだと思っていたのに、今度は想像以上にゼイン様に好かれているような気がしてくる。
「二人で劇場に行ったと聞いた。俺の時とは違って、ランハートの隣には座っていたとも」
「そ、それは……」
「妬けるな。俺を弄んで楽しいか?」
今まであの座席の件について言われたことはなかったけれど、実は気にしていたのだろうか。
初めて見る拗ねたような表情に、また心臓が跳ねる。
あれに関しては完全なミスだったものの、うっかり悪女ムーブとなってしまっていたらしい。
「グレース」
さらに距離が近づき慌てて私が身体を引いたことで、半ばソファ上で押し倒されるような体勢になる。
もはやパニックを超えて落ち着き始めていた私は「ゼイン様はどの角度から見ても本当に綺麗だなあ」「あ、睫毛まで銀色だ」なんてどこか他人事のように考えながら、整いすぎた顔を見つめていた、けれど。
「カジノの休憩室で何をしていたんだ?」
またもやストレートな質問をされ、目を逸らした。
「それは、その、た、楽しんでいました」
「何を?」
「お、大人の遊びを……」
嘘は言っていない。ポーカーなんて大人の遊び、前世ではしたことがなかったくらいだ。
「ははっ、確かに君にとってはそうかもな」
するとゼイン様は怒るどころか何故か「安心した」なんて言い、可笑しそうに笑った。まるで何をしていたのか知っているような口振りで、不思議に思ってしまう。
──本当に嫉妬したのなら、どうして私を咎めないのだろう。先ほどの様子を見る限り、流石に恋人としての演技とは思えなかった。
困惑する中、不意にノック音が響き、マリアベルの声が聞こえてくる。ゼイン様が返事をするとすぐにドアが開き、マリアベルが中へと入ってきた。
もちろん私は押し倒されたままで、マリアベルは慌てて「きゃっ」と両手で顔を覆う。本当に恥ずかしい。
「ご、ごめんなさい! お姉様がいらっしゃったと聞いて、急いで会いに来たんです……」
いつもと変わらない様子を見る限り、まだ浮気に関する話は聞いていないようで、思わず安堵してしまう。
ゼイン様によって腰に腕を回され起き上がると、再びぴったりくっつく形になる。そんな私達を見て、マリアベルは「ふふ、仲良しですね」と嬉しそうに微笑んだ。
「お姉様、先日は素敵なレシピノートをありがとうございました! 実は昨日、一人でかぼちゃのスープを作って、少し食べることができたんです……! 残りはお兄様が全部食べてくださって」
「本当に? よかった……! すごいね、マリアベル」
「ありがとうございます、お姉様のお蔭です!」
マリアベルの嬉しそうな様子に、心が温かくなる。
「グレース、本当にありがとう」
「いえ、どういたしまして」
たった数ヶ月の短い期間と言えど、私がゼイン様やマリアベルと交流を持てたことは無駄ではなかったような気がして、笑みが溢れた。
その後は三人で過ごし、マリアベルのお蔭で和やかな空気に包まれ、安心していたのだけれど。
「グレース、どうして俺の方を見ないんだ?」
帰り道、送ると言って譲らないゼイン様と共に馬車に乗り込んだことで、再び二人きりになってしまう。
その上、当たり前のように隣に座ることになり、じっと見つめられ、もう私は限界間近だった。馬車が揺れる度に、ゼイン様の良い香りがして、眩暈がする。
「とても近くて恥ずかしいので、つい……」
「あんなにも堂々と浮気をするくせに?」
「それは、その、ゼイン様に飽きてきたからです」
「なるほど。それは困るな」
このままでは距離を置くどころか、ゼイン様のペースに巻き込まれてしまいそうだ。焦った私は心を鬼にしてそう告げたけれど、彼に傷付くような様子はない。
そんなゼイン様は「それなら」と続けた。
「どうすればまた好きになってくれるんだ?」
「えっ?」
「ああ、君は俺の優しい所が好きだと言っていたな。それならもっと優しくするよ」
「…………っ」
「これから先は、君にしか優しくしない」
こんなの、ずるい。この人にこんな風に言われて、ときめかない女性がいるのなら教えてほしい。
顔が赤くなっているであろう私を見て、ゼイン様はやがて真剣な表情を浮かべると、名前を呼んだ。
「君は何がしたいんだ? 俺とどうしたい?」
まるで全てを見透かされたような問いに、どきりとしてしまう。そんなことを聞かれたところで、素直な気持ちなど答えられるはずなんてないのに。
「わたし、は……」
思わずこのままでいたいと言いかけて、口を噤む。
私がどうしたいかなんて、今は関係ない。この物語の舞台装置でしかない悪女の私は、決められた役割をこなすだけなのだから。
舞踏会まで、ゼイン様とシャーロットが出会うまで、もう後1週間ほどしかない。ここでしっかりしなければ、全てが無駄になってしまう。
そう自分にきつく言い聞かせた私は、顔を上げた。
「無理をしてゼイン様に合わせることに疲れたんです。私には結局、ランハートのような男性が合うので」
「……それで?」
「ゼイン様にも、もっとお似合いの女性がいるかと」
「それは君が決めることじゃない」
そう告げた瞬間、ゼイン様の纏う空気が明らかに冷えたのが分かった。好意を抱いている相手にこんなことを言われて、怒らないはずがない。
「つまり君は、俺が君以外の他の女性と一緒になることを望んでいると言いたいのか」
「そうです」
そう答えると、ゼイン様は呆れたように息を吐いた。
「……もういい。今はこれ以上、君と話をしたくない」
「そう、ですか」
愛想を尽かされたのだと、すぐに悟る。当初の作戦としては大成功しているはずなのに、何故か全く嬉しいとは思えず、安堵することもない。
むしろ胸が苦しくて、痛くて仕方がなかった。
「来週また、舞踏会で」
それだけ言うと、私はいつの間にか停まっていた馬車から逃げるように降り、自室へと駆け込んだ。
◇◇◇
「……はあ、完全に嫌われちゃっただろうな」
「そんなことはないと思いますよ。一度好きになってしまえば、簡単に嫌いになんてなれないですから」
「それはそれでダメなんだけど……」
翌日、ミリエルに向かう馬車に揺られながら、私は繰り返し深い溜め息を吐いていた。そんな私の話を、ヤナはずっと聞いてくれている。
「……これでいいはずなのに、すごくもやもやする」
「あんなに親しくされていたんですから、当然ですよ」
昨日のゼイン様の様子を見る限り、間違いなく私に呆れ果てたはず。このまま舞踏会で別れを告げ、彼を傷付けるようなことを言えば、全てが上手くいくだろう。
小説の通り彼はシャーロットと出会って幸せになり、私は裕福な侯爵令嬢として好きに暮らせるというのに、気分は晴れないまま。
ちなみにエヴァンは他の仕事で忙しいらしく、今日は代わりの護衛が5人も付いている。
私含め全員が平民の装いをしているとは言え、常にぞろぞろと歩くのは目立つ上に落ち着かず、エヴァンのありがたさを実感していた。
『最近、子どもを狙った犯罪が増えているようです。お嬢様は大丈夫だと思いますが、お気を付けて』
エヴァンの話しぶりからすると、どうやら先日カジノで会った時の仕事というのもその件に関することのようだった。子どもを狙うなんて、絶対に許せない。
早く事件が解決すること、エヴァンが無事に仕事を終えて帰ってくることを祈るばかりだ。
「……よいしょ、っと」
その後、店に到着した私は胸のもやもやを取り払うべく、
そうしていくつかの料理を作ってみた後、店の裏口から出てゴミ捨てをしていた時だった。
「……て、たすけて! だれか!」
「えっ?」
不意に泣き叫ぶような子どもの声が聞こえてきて、慌てて顔を上げる。すると目の前の林の中を、子どもを抱えた男達が走っていくのが見えた。
その先の地面は光っており、先日、本を読んで学んだばかりの転移魔法陣だと気付く。エヴァンの話を思い出した私は、すぐに大声を上げる。
もちろん護衛達も異変に気が付いたようで「子ども達を助けて!」という私の命令に従い、一人が私の側に残り、四人が男達の元へ向かった。お父様が用意してくれた騎士なだけあり、次々に魔法で倒していく。
私も何かしたいけれど邪魔になるだけだと思い、両手を握りしめて様子を見守ることしかできない。
「クソ、邪魔すんな! 何なんだよ!」
そんな中、チッと舌打ちが聞こえたかと思うと、一番派手な装いの男の姿が視界から消えた。
「──こちとら、手ぶらで帰るわけにはいかねえんだ」
「え、っきゃ!」
耳元で声が聞こえてくるのと同時に近くにいた騎士が倒れ、私の身体は浮遊感に包まれる。この国でもかなり貴重な転移魔法だと気付いた時にはもう、遅かった。
私が捕らえられ首元に短刀を突きつけられたことで、他の騎士達の手も止まってしまう。それをいいことに男はそのまま転移魔法陣へと移動すると、数人の子どもを無理やり引き寄せる。
「グレース様!」
次の瞬間にはもう、目の前の景色は変わっていた。
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