第8話 キャパオーバーです


「っゼインお兄様……!」


 ふらふらと立ち上がったマリアベルは、まっすぐにゼインの腕の中に飛び込んでいく。


 ゼインもマリアベルを抱きしめ返し「本当に、無事でいてくれてよかった」と、消え入りそうな声で呟いた。


 本来なら二度と会うことができなかったはずの二人の姿に、胸がじわじわと温かくなっていく。


「……あ、あれ」


 気が付けば、私の目からは涙が零れ落ちていた。


 もちろん嬉しいという気持ちが一番ではあるものの、これで本当にマリアベルが助かったのだという、安堵の気持ちも大きかった。


 烏滸がましくはあるけれど、ずっと他人の命を抱えているような、そんなプレッシャーがあったのだ。


「────」


 慌てて服の袖でごしごしと目元を拭い顔を上げると、ゼインとぱっちり視線が絡んだ。


 泣いている私を見て、彼は金色の瞳を驚いたように見開いている。もちろんゼインだって、侯爵令嬢であり色々と有名であろうグレースのことは知っているはず。


 あのグレースが妹が誘拐された先の山奥にいて、ボロボロの姿で泣いているなんて絶対におかしい。


「…………」

「…………」


 ゼインに手紙を送ったものの、いざ鉢合わせた時にどうすべきかなんて、考えておく余裕などなかった。とは言え、手紙のお陰で助かったのも事実で。


「お兄様、あの方が私を助けに来てくれたんです」


 これからどうしようと内心頭を抱えていると、妙な私たちの空気に気付いたらしいマリアベルはゼインの手を握り、紹介してくれた。


 マリアベルは来年から社交デビューのため、グレースのことを知らなかったのだろう。その気持ちは嬉しいけれど、困ってしまう。


「君が妹をこの場所まで助けに来てくれたのか」

「……別に、助けに来たわけじゃありません」


 ストーリーから大脱線し、詰みかけている今、恩を売るということも考えた。けれど、なぜマリアベルが攫われたことを知っているのか、この場所が分かったかなど説明できないことが多すぎる。


 下手に怪しまれても困るため、ひとまず誤魔化すことにした、というのに。


「あっ、グレースお嬢様! 良かった、無事にマリアベル様を助けられたんですね。こんな時間にこんな山奥まで来た甲斐がありました」

「…………」

「犯人の男は半殺し、いえ8割殺しにしたら人間に戻ったので、とりあえず縛って転がしておきました」


 血まみれのエヴァンが爽やかな顔をして丁寧に解説しながら現れたことで、いきなり嘘が露呈ろていしてしまう。


 とは言え、これも全て彼のお蔭なのだ。エヴァンにはこっそりお礼を言い、そのまま逃げるようにこの場を立ち去ろうとしたのだけれど。


「グレース・センツベリー」


 ゼインに名前を呼ばれたことで、心臓が大きく跳ねた。どきりとしてしまうくらい、声まで良くて困る。


「妹を助けてくれたのなら、どうか礼をさせてほしい。だが、どうしてこの場所にいたんだ?」

「…………それは」


 こんな時間にこんな山奥に、侯爵令嬢が騎士と二人きりでいるなんて、明らかにおかしい。いくら考えても、言い訳など思いつかなかった。


 そしてこの時の私は本当に、限界だったんだと思う。


 そもそも平凡に生きてきた日本のOLだというのに、魔物なんて化け物に遭遇しグロテスクな死体を見て、サイコパスな犯罪者と対峙して、今度は巨大な化け物、そして再び魔物に襲われるなんて経験を一気にしたのだ。


 どう考えたって、平気なはずがない。間違いなく、頭がおかしくなったって仕方のない状況だった。


 それでもマリアベルを救いたいという一心で、ギリギリのところで精神を保っていたけれど、それも遂に限界を迎えてしまう。


 結果、私は足元の草をぶちっと引き抜いた。


「こ、これはプーハという草で、炒めて食べると美味しいんです。こう見えてトゲも柔らかくて」

「…………は」

「夕食を採りにきたら、襲われていたところにたまたま遭遇しただけです。本当です、生でも食べれます」


 そして、血迷った私はそのまま葉を食べてみせた。もう自分でも何を言っているのか、何をしているのか分からなかった。


 ひとつだけ分かるのは、もう何もかもが終わったということだけだ。


「…………」

「…………」

「…………」


 そうして消えてなくなりたくなるような重く苦しい沈黙の中、辛くて泣きそうになっていると、なぜかエヴァンも近くに生えていたものを引き抜いて食べ始めた。


「あ、本当だ。全然いけますね」


 正直、エヴァンのことが好きになりそうだった。絶対に結婚はしたくないタイプだけれど。


 いきなり草を食べ始めた私達がゼインとマリアベルの目にどう映っているのかなんて、考えたくもなかった。


「それにしても、最初からこれが目的だと言ってくださればよかったのに。もっと探してきましょうか?」


 申し訳ないけれどエヴァンではなくゼインに信じてほしかったと思いながら、私は首を左右に振る。


「も、もういいから、帰ろう! 失礼します!」


 遠慮のなくなった私はエヴァンの背中にしがみつくと、急いでこの場を離れるよう頼んだのだった。



 ◇◇◇



「どうしようどうしよう……どうしよう……」


 二日後、私は侯爵邸の裏庭でぶちぶちと雑草を抜きながら、絶望感でいっぱいになっていた。


 様子のおかしい野草女になってしまった今、ここからゼインの恋人になる方法など、ひとつも思いつかない。


「……私ね、お店をやりたいの」

「店ですか?」


 現実逃避を始めた私は、エヴァンにそう声をかけた。


「うん。子どもが無料でご飯を食べられるお店」

「それ、お嬢様に何の得があるんです?」

「得はないよ。そういう為にやるわけじゃないんだ」


 ──子どもの頃、幼いながらに家計の状況を察していた私は、お腹いっぱい食べるのが良くないことだと思っていて、少食のふりをしていた時期があった。


 今思えば子ども一人が満腹になるまで食べようと食べまいと、どうにもならないレベルで家計は火の車だったのだけれど。


 そんなある日、どうしてもお腹が空いて公園で木の実を食べていたところ、近くの食堂のおばさんが声をかけてくれ、お腹いっぱいご飯を食べさせてくれたのだ。


 その後も「大きくなったら、沢山食べに来てくれればいいから」と言って、何度も無料でご飯を食べさせてくれた。嬉しくて美味しくて、温かくて。私は一生、あの味を忘れないだろう。


 けれど結局、沢山は食べに行けないまま死んでしまった。そんな私だけれど、今度は誰かに料理を振る舞う側になれたらいいなと思っている。


「近々、エヴァンの名義でとある土地を買ってほしいの。十倍近くになるはずだから」


 小説の通りなら、王都のとある土地の値段が一気に跳ね上がるはず。そこで得たお金を、準備資金にしたい。


 グレースの持つお金で十分可能ではあるものの、やはり他人のお金という感覚が抜けないのだ。とは言え、結局土地を買う際には借りることになるのだけれど。


「もちろん、エヴァンにもお礼はさせてもらおうと思ってるよ。カジノはダメだけど」

「でも、面白いんですよ。一度行きませんか?」

「……一回だけね」


 そんな会話をしていると、ヤナがひどく慌てた様子でこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。


「お嬢様! 大変です、お客様がいらっしゃいました」

「ええと、誰? 聞いたところで分かるかな」

「ウィンズレット公爵様ですよ!」

「…………えっ?」

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