第2話 王子様なんて迎えに来ないはずだった
「ちょっと、まだ広間の掃除が残ってるけど」
「でも、時間が……」
「はあ? お前の仕事が遅いせいでしょう? さっさと終わらせなさいよ、ノロマ」
やけに派手で豪勢なドレスを着た義姉は、そう言って私を見下ろし睨み付けた。その真っ赤なドレスを買うお金は、一体どこから出てきたのだろう。考えるだけで具合が悪くなりそうなので、これ以上考えるのはやめておく。
掃除を一旦止め、舞踏会の支度をしようとしていた私はぐっと唇を噛むと、広間へと向かった。我が家にはもう、メイドを雇うようなお金などほとんど残っていない。今や私がメイド代わりに、義母や義姉にこき使われているのだ。
本来ならば義姉や義母の言うことなんて聞きたくはないけれど、母だけでなく父も亡くなってしまった今、後妻である義母が全ての権限を持っている。
これ以上、病気の弟の治療代を削られてしまっては困るため、今は大人しく言うことを聞くしかない。私も時間を見つけては、こっそり魔法を使う仕事に出ているけれど、それではまだまだ足りなかった。
「……あーあ、もう始まる時間じゃない」
広間の掃除を終え、時計を確認した頃には、すでに舞踏会の開始時間となっていた。
異国の絵本で、こんな展開の話を見たことがあったような気がする。けれど私に王子様なんて現れないし、迎えになんて来ない。ほどほどの相手を、自ら捕まえに行かなかれば。
そうして気合を入れながら、何とか当日まで隠し通したフローラのドレスに着替え、自ら化粧を施し髪を結った。そうして屋敷を出る直前、弟のブレットの元へと向かう。
先程届けた夕食は完食したようで、ホッとする。「えらいね」と頭をそっと撫でれば、彼は嬉しそうに目を細めた。
「お姉さま、すごくキレイ! お姫様みたい」
「ふふ、ありがとう。ブレットはゆっくり寝ていてね」
素人目でも分かるくらい、ブレットの病状は日に日に悪くなっている。けれど完治させるために必要な神殿での高額な治療を受けるお金など、今の私にはない。
差し出せるのはこの身くらいなのだ、弟を助けてくれるのならばどんな相手でも笑顔で嫁げる自信はある。
私はそっとブレットの額にキスを落とすと、行ってきますと声を掛け、王城へと向かった。
◇◇◇
「エルナ、遅かったわね。心配していたのよ」
「掃除をしていたら、こんな時間になっちゃって」
「あいつら……。ねえ、本当に辛くなったらブレットと一緒に我が家に来てくれていいんだからね」
「ありがとう、フローラ」
気持ちは嬉しいけれど、友人にそこまで頼るわけにはいかない。もちろん、夫ならば何でも頼っていいというわけでもないけれど、妻としてならば返せることも多いはず。
とにかく、今日は本当にこの国の未婚の男女にとって、大切な一日なのだ。笑顔を貼り付け、再び気合を入れる。
「美人だもの、エルナなら素敵な相手を捕まえられるわ」
「そうだといいんだけど」
とは言え、貴族の中でも身分も低く貧乏で持参金すら用意できない私など、若くて素敵なお金持ちの男性に選ばれる訳がない。もっと条件の良い女性など沢山いるのだから。
「あら、スレン様よ。今日は誰とも踊っていないみたい」
「そうなんだ」
そんな中、フローラの視線を辿れば、そこには息を呑むほどに美しいスレン様の姿があった。正装を誰よりも着こなしている彼を見ていると、うっかり魂を奪われそうになる錯覚を覚えてしまう。なんとも恐ろしい。
それどころではないと辺りを見回すと、一人の男性がこちらへとやってくるのが見えた。確か彼は何度か話したことがある魔法学園の一つ上の先輩で、かなり裕福な伯爵令息だったはずだ。これ以上ない相手だと、笑顔で待つ。
「あの、」
「こんばんは」
するとそんな彼の言葉を遮るように聞こえてきたのは、甘さや艶気を含んだ低い声で。思わず振り返り、その声の主を見た瞬間、私は言葉を失った。
そこにいたのは、なんとスレン様だったからだ。
美しい紺色の髪を片耳にかけた彼の耳元で、美しい水晶のピアスが揺れているのを、ただ眺めることしかできない。
「良かった、来ていたんだね。ずっと姿が見えないから、今日は来ないのかと思ったよ。そのドレス、とてもよく似合ってる、とても綺麗だ。本当は今日のドレスも俺がプレゼントしたかったんだけど、いきなりは迷惑かなと思って」
「…………?」
まさかスレン様がこんなにもフレンドリーに話しかけている相手が、私なはずがない。そう思って前後左右を確認してみても、それらしい相手は私以外にいなさそうで、妙な汗が背中を伝っていくのを感じていた。
「エルナちゃん?」
「あっ、はい」
どうやら本当に、彼は私に話しかけているらしい。そのすぐ後ろでは、先程私に声をかけようとしていた男性が諦めたように戻って行くのが見えた。お願いだから待って欲しい。
「あの、私のことを覚えて……?」
「エルナちゃん、面白い冗談を言うんだね。魔法学園時代からの仲だし、最近は手紙や差し入れをくれていたのに。エルナちゃんから貰った物だけは、すべて大切にとってあるよ」
間違いなく、彼がファンの女性達から受け取ったものは数百を超えているはずだ。その中でも私の送った貧乏臭い、冷やかし程度のしょうもない贈り物や手紙だけをとってあるだなんて、社交辞令にしたって言い過ぎな気がする。
「エルナちゃんが俺のファンクラブに入っているって知った時には、本当に嬉しかった」
けれど目の前の、私に対して熱を帯びた瞳を向けてくる彼は、とても嘘をついているようには見えなかった。そもそもスレン様は、こんなにも喋る人だっただろうか。
意味は分かるけれど理解はできない彼の発する言葉達に、戸惑いすぎた私は最早、相槌ひとつ打てずにいる。
「俺達、両思いだったんだね」
やがて、この世の幸せ全てを詰め込んだような笑顔を浮かべたスレン様は、そんな信じられないことを言ってのけて。
私は呆然とその場に立ち尽くしながら「両思い」という言葉には私が知らないだけで、好き合っている、という以外の別の意味があるのかもしれないと、本気で考えていた。
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