02 招き猫ならぬ、招きハンド

 夜の間はそこで過ごして、明け方になってから町へ向かった。

 おじさんの肩に乗っているので、移動が早いというのもあるんだけど、思っていた以上に町は近いところにあったらしい。

 僕が生息していたザラムの森は、経験値稼ぎして知られていることもあってか、冒険者に向けて発展を遂げた町なのだという。町の名前はメブレ。

 門をくぐるとき、衛兵の兄ちゃんがぎょっとした顔をした。おっさんの肩にブラッディ・ハンドが乗ってるんだ、そりゃ驚くよね。

「ゼクさん、それは一体……」

「仲間にした。これからギルドに行って登録してくるから、よろしく頼む」

「いや、でも、それブラッディ――」

「なかなかいい男なんだ。新入り同士、仲良くしてくれよな」

 十代とおぼしき新人衛兵くんの顔が強張っている。

 うん、気持ちはわかるよ。僕もあなたの立場ならきっとドン引きだから。

 指でちょいちょいとおじさんの頬をつつくと、おじさんはくすぐったそうに笑う。そして、肩口の僕を――手でいうところの甲の部分を撫でるのだ。まるで頭を撫でるように。

 撫でられるのなんて、何年ぶりだろう。十歳のころに親が事故で亡くなって、親戚の家で暮らすようになってからは、そんな扱いされたことがない。べつに辛く当たられたことはないけれど、やっぱり向こうは距離を計りかねていたと思う。あそこの家の子どもは女の子だったから、余計に。

 道行くひとが振り返るのも気にせず、おじさんは歩く。

 仲間にした魔物は、冒険者ギルドへ登録する必要があるということで、まずはそこへ向かうと説明されている。

 街並みは、RPGゲームのような雰囲気。石畳の大通りを歩いているのは、いかにも冒険者といった出で立ちのひとは少なくて、普通の町人がほとんどだ。まだ朝だから、かな。

 彼らに話しかけたら、NPCのように「ここはメブレの町です」とか言うんだろうか。ちょっとやってみたい。


 やってきたのは、二階建ての建物。営業時間にはまだ早いけど、冒険に時間は問わないため、時間外受付所があるらしい。

 ところがおじさんはそれすらスルーして、裏口の扉を開く。そのまま進むと、奥の階段をあがって二階へ。迷うことなくひとつの部屋の前に立つと、ノックをした。

「ヘインズ、俺だ。魔物の仲間登録をしたいんだが頼めるか」

「……朝から騒々しいな。あとにしろよ」

「急ぎで頼む」

 カチリと鍵の回転音がして、ドアが開いた。眠そうな顔をした四十がらみの男性が僕を見て、目を丸くする。

 あ、赤い目だ。すごい、ファンタジーだ。いまさらだけど。

「これは、なんだ……」

「見てのとおりだよ」

「いや、しかし、こいつは」

「だから登録を頼みたい。ギルド統括長の案件だろ?」

「――おまえ、どこで見つけてきたんだよ」

 いま、ギルド統括長って言った? それ、すごく偉い人なんじゃ? おじさん、そんな人を顎で使うの?

 それはそれとして、僕はやっぱりレアなブラッディ・ハンドみたいですね。他と比べて小さいなーとは思ってたけど。でもだからって、そんな目で見なくてもよくないですか? その、珍獣を見るようなまなざしは哀しくなる。

「いや、すまん。君のせいではないよな」

 ヘインズさんは、僕の雰囲気を察したらしく謝罪した。

 すごい、人の上に立つ人物は、こうでなくちゃ。僕が働いていた店のオーナーは、他人のせいにする天才だったぞ。



 契約書的なものにサインをすることになった。

 人間なら拇印を押すところだけど、魔物の場合は血を貰うらしい。「ちょっとチクっとするぞ」とお医者さんの注射みたいなことを言われつつ、僕は自分の血を見た。

 赤かった。

 種族によるのかもしれないけど、ブラッディ・ハンドは赤い血みたいだね。人間っぽくて、ちょっとだけホッとする。

「名はどうするんだ」

「覚えてねえみたいなんだよ。なあ」

「そうですね」

 そうなのだ。仲間にした場合、名は自然に生まれるものらしいんだけど、僕の中には名前と思える単語は浮かんでこなかった。

 そして不思議なことに、本当の名前――前世の名前も覚えていない。まったくちっとも。刺されたショックなのか、働いていた店の名前も覚えていない。

 よく声をかけてくれたママさんが経営するスナックの「マモリ」という店名は覚えていて。だけどママさんの顔は記憶に残っていない。ご都合主義とはよくいうけど、これは逆ご都合主義?

「だから、それはちょっと保留にしといてくれ。タマルーサとマルティナの意見も聞きたい」

「そうだな、それがいい」

 知らない名前が出てきたので訊ねると、おじさんの奥さんと娘さんらしい。なんてこった。妻子持ちだった。

 おじさんの店は、家族経営のこじんまりとした商店だという。今日から僕は、そこで客引きアイテムとして働くわけだ。招き猫ならぬ、招きハンド。


 なにかあったらすぐに呼べとヘインズさんが言い、僕たちはだいぶ賑わいはじめた町を歩きながら、おじさんの家へ向かう。

 途中、顔なじみらしい店で朝食用のパンを買ったとき、店主のおじさんは僕を見て一瞬固まったけど、笑顔になった。商売人ってすごいな。



     +



「あんたってひとは、また……」

「気になるだろうが」

「そりゃあ、そうだろうけどさ」

 おじさんの奥さんは、僕を見て唖然とした。

 またってことは、以前にもなにかあったんだろうか。捨て犬を拾ってきたとか、そういう。

 朝食の前に緊急家族会議だ。焼きたてパンの香りが漂うなか、おじさん・僕vs奥さん・娘さんのタッグでファイト開始。


「店番をさせようと思うんだ。マルティナだけじゃ不便なこともあるだろうし」

「あの、客引きは苦手なんですが」

「ブラッディ・ハンドなのに?」

「僕は劣等生だったので、うまくできなくて」

「まあ、だったら私と同じね」

 十代前半ぐらいの娘さんが、笑顔になる。長い金髪は、染めているわけじゃない天然もの。宝石みたいな蒼い瞳も勿論カラコンではない。

 奥さんも似たような配色で、黒髪のおじさんだけが異色っていうかなんていうか。美女と野獣だった。

「母さん、いいじゃない。父さんが決めたことに、間違いはないわ」

「……マルティナが言うなら仕方がないね」

「ありがとう、母さん」

「すまん、タマルーサ。ゼクトルーゼンの名にかけて、害はないと誓う」

 父親が捨て犬を拾ってきて、母親が難色を示して、娘が「いいじゃない、飼おうよ」と言って、許可が下りた。なんか、そんなかんじ? となると次の議題はアレだ。

「こいつ、名前がまだなんだ、なにがいいと思う?」

「ブラッディ・ハンドだもの、ブラちゃんでいいと思うわ。ねえ、ブラちゃん」

 いや、勘弁してくれませんか娘さん。それじゃ女性用下着ですよ。

「ブラッディ・ハンドにしては変わった色だね。やけに黒いけど、契約のせいかい?」

「いや、天然ものだ」

「そりゃ珍しい」

 ずっと森にいたから気づかなかったけど、僕の身体は黒いらしい。

 漆黒のブラッディ・ハンド。

 ――ごめん、忘れて。我ながら中二病くさかった。

 奥さんがじーっと僕を見る。

 外国美女に見つめられると、かなり恥ずかしいんですけど。

「……レイ。レイってのはどうだい?」

 奥さんが言った。

 黒いヘドロを纏っている僕は、黒い服を着ているのと同じこと。この国では、正装として黒い服を着るらしい。礼服だ。

「まあ、素敵だわ!」

「いいじゃないか。なあ、レイ」

「……そう、です、ね」

 僕のなかで、なにかが蠢いた。この身体のどこかに心臓があるのかどうかもわからないけど、鼓動が速くなったような気がする。

 これはつまり、名付けられたから、なのだろうか。

 主従の契約。名を縛るとか、よくある設定でしょ。たぶんあれ。

「じゃあ、レイ。食事の前には手を洗うんだ。あんたの手がどこまで綺麗になるのかはわからないけど、それでもヘドロだらけの手で食卓にあがるのは勘弁だよ。マルティナ、案内してやりな。ゼク、あんたはレイの生活環境を整えるんだ。具体的には寝る場所をこさえてやるんだ」

「俺の朝食は……」

「なにか言ったかい?」

「なんでもないさ、タマルーサ」

 タマルーサさんは、細身の美人だけど肝っ玉母ちゃんだった。僕も口答えはしないようにしよう。イエス、マム。ここではきっとそれが正解だ。


 あまり綺麗になった気はしなかったけど、僕は食卓に乗ることを許可された。ブラッディ・ハンドの食事方法についても、とくに嫌悪されることもなく受け入れてくれたのは驚いたけど、ありがたい。

 食事が終わると、僕は店に案内された。家と地続きになっているようで、廊下を歩いていくと店のカウンター裏に繋がっている。

 マルティナが細くてちいさな手で僕を抱え上げ、ぐるりと店内のようすを見せる。入口扉には、開店前のため店の看板プレートがぶら下がっていて、その名前に僕はまたドキリとした。

「ここがうちのお店。マモリっていうのよ」


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