第6話 帰還


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 ……

 …………

 ………………



 目に痛い白さ。

 壁も天井も調度品もことごとくが白。

 テーブルに置かれた離婚届の、緑の枠線がやけに浮いているように感じられる。


 いつの間にかアキは……鹿島秋良は椅子に座っていた。テーブルを挟んだ正面には、白いシャツ、ベスト、蝶ネクタイという典型的なバーテンダースタイルの初老の男性。管理者マスター


 秋良は向こうの世界へ行く直前にいたの場所へと戻ってきたが、そもそもこの空間が元の世界であるという保証はない。


「おかえりなさいませ。鹿島秋良さん。いえ……アキさんと呼んだ方がよろしいですかな?」

「……とりあえず鹿島秋良で。こっちでは鹿島秋良として生きていくと約束したからな。ま、急に中身が変わるわけでもないんだが……」


 突然の視界の転換にも、アキは動じない。

 ユラと存分に語らい、愛し合い、別れを惜しみつつ去った。今の彼にとって、ユラと別離以外は些事。心がそれほど動かない。


「もう少し取り乱すのかと構えておりましたが……いらぬ備えだったようですね」

「いや、普通に色々と言ってやりたい気はあるけど、言ったところでどうしょうもないのを理解してるだけさ」


 マスターは若干肩透かしを食らいながらも話を進める。被験者である秋良に、まともに話が通じるならそれに越したことはない。


「向こうで色々と情報を得たと思いますが……改めてご説明させていただきます」

「あぁ。存分に聞かせてもらおうかな」


 秋良の方はユラにも釘を差されていた為、話を聞く覚悟は万全であり、後は運営側がこの世界で、自分に何を求めているのかを確認するのみ。


 マスターは語る。


 曰くこの世界には、自然発生的に一部の『特殊な機能』を開放した者達が存在しており、それらの『特殊な機能』を悪用し、現地の法で裁けぬような者も存在している。


 異能者。


 ユラの居た世界においては、一般にも認知されて活用されていた『魔力』なり『魔法』なりの超常現象。それらは文明の根幹と言っても過言ではない能力であり技術。

 そんなモノが、鹿島秋良が生きる世界においても存在しているのだとマスターは語る。

 その上で違法な異能者を取り締まる異能者の組織すらあるという。


「それが運営が管理する“ゲーム”のフィールドというわけか?」

「ふふ。そのような認識まで得ておられるとは……秋良さんを被験者に選んだのは当たりでしたね」


 秋良が最初に思ったのは、上層世界のアバターによるゲーム。運営側の演出。


 だが違った。


「実のところ、異様なパラメータを持つ者はこの世界の人類誕生の頃からそれなりに居たのです。基本的に我々はこの世界の文明に大きな影響を与える事は許されていません。運営側の管理が許されている場は、この世界が元々持っているモノでしかないのです」

「……この世界の異能者は運営側が用意したものではない? 」

「はい。ユラさんが居る世界とは違い、そもそもこの世界で我々が弄れるパラメータでは、『異能者』を上手くアバターで再現できません。……それほどに繊細なのですよ」


 マスターによれば、この世界の『異能者』は判りにくいとのこと。科学技術が発展していく中で異能が弱体化したのか、そもそも異能はイレギュラーなことで淘汰されつつあるのか……それすらも現状は不明だという。


 この世界の主流は科学技術であり、異能ではないことは確実。よって異能者の調査に運営側の介入が許された。


 そして介入は秋良達のような被験者を通じて行われる。

 異世界において、いわばの異能を得た者達を現地の異能者と関わらせるという……調査であり、ある種の娯楽。


「はぁ……そんなことのために俺は異世界転移させられたのか……」


 運営側である上層世界からの介入者と、被観測側たる下層世界のNPCとでは、その体感時間に差は大きい。

 マスターたちにとっては然程のことでは無いのかも知れないが、秋良にとっての二十年という時間は決して短くはなかった。


「……そう言えば、こっちと向こうでNPCを交換すると言ってたような……?」

「ええ。向こうの一般人にもこちらで過ごしてもらいました。……残念ながら、こちらの世界の常識を身につける前に色々とやらかしてしまい、記憶を消しての強制送還となる者も多かったのですよ。……実は、秋良さんのように二十年の期間を満了した者は少ないんです」

「……何故に現地の者を利用するのかがよく分からないんだが……? プレイヤーとしてアバターで介入できるくらいなら、はじめから理想の実験体たるNPCを創るくらい容易たやすいのでは?」


 秋良の純粋な疑問。いちいち現地のNPCを流用する必要があるのか?


「誤解があるようですが……我々はあくまでもこの宇宙に介入はしますが、システムとして不可侵の領域は多いのです。好き勝手に世界や個体群のパラメータを弄れる訳でもないのですよ。……要は自前で『理想の実験体』をゼロから創れはしません。秋良さんにとっては気分が悪いかも知れませんが……『現地住民を理想の実験体に仕立て上げる実験』とでもいいましょうか……」


 上層世界の住民といえど、秋良が思うほどに容易にアバターや世界のパラメータを弄れるわけでもないと知る。もっとも、マスターが真実を語っている保証はないが。


「ただし、これらはあくまで秋良さんに分かり易いようにと端折った説明です。研究としての意義などを説明するのは、流石に禁則とされていますので……」


 申し訳無さそうにマスターはぴしりと頭を下げる。その振る舞いは、一般的には誠実さが滲み出るモノではあるが……秋良には響くことはない。それも当然のこと。結局、彼が実験動物モルモットであることに違いはない。


 それにマスターの態度には、ユラにはあった秋良への『敬意』はない。上辺だけのものだと看破もしている。


「まぁいいさ。それで結局俺は何をすれば? 一応、ユラからは『研究や運営への協力以外は普通に暮らせるはずだ』と聞いていたんだが……?」

「基本的にはその通りです。普通に暮らして貰えれば構いません。向こうの世界で得た魔法を使用して頂いて結構です。むしろ……」

「……ばんばん魔法を使って、異能を取り締まる組織とやらと一悶着起こせってか?」

「ふふ。こちらの都合としてはそうですが、別にそこまで秋良さんに強要することはありません。ただ、時折こちらからの“お願い”を聞いてもらえれば……といったところです」


 秋良としては、想像していたよりはガチガチに縛られるわけでも無いと感じたが……運営側の“お願い”とやらが、まともな内容であるはずもないと考えていた。


「……もちろん、その“お願い”とやらには報酬があるんだろう?」

「ええ。当然でございます。ちなみに、異世界のパラメータ……異能を持ち帰るという今回の件についても、相応の報酬を用意しております」


 まず秋良が気にするのは金。金がなければ暮らせない。当たり前のこと。まさか明日からいきなりの職場復帰などは考えていない。離婚し、仕事を辞め、住む場所を変える。既に彼はこれまでの「鹿島秋良」を脱ぎ捨てる心算。幸せに生きるとユラには誓ったが、今までの鹿島秋良を続ける気はなかった。


「この世界の金なんて、あんた達には意味のないモノかも知れないが……貰えるモノは貰っておくさ。……それでだ。俺の報酬をちょっとくらいカットしても良いから、ユラのアバターについての情報が欲しいんだが?」


 そして、いまの彼の心に引っ掛かるのはユラ。たとえ彼女自身ではないとしても興味はある。そもそも、秋良がそのアバターと出逢わなければ、彼の近況をユラが知る術がない。


「ユラさんのアバター……まぁ厳密には分身アバターではなく、秋良さんに分かり易く言えば、彼女の特徴を持つNPCとなりますが……それでも知りたいですか?」

「NPC? この世界の一般人ということか?」

「はい。残念ながら、追加のアバターではなく、接続が切れたこの世界の一般人としての介入だけが許可されました。……有り体に言えば、ユラさんがログを閲覧できるというだけの別人です。それでも良いと?」


 マスターの声と表情は変わらないが、秋良には情報を出し渋る雰囲気を感じ取る。


「……ああ。出来れば情報が欲しい。アバターがどうのじゃなく、ユラへの近況報告の為にそのNPCには会っておきたい」

「畏まりました。ですが、今しばらくは情報提供は控えさせていただきます。まずは鹿島秋良さんの生活を整えることを優先していただきたい」


 ぴしりと頭を下げるマスター。それは丁寧だが断固たる態度。


「(ふん。俺への“お願い”とやらの交渉に使われそうだな。……まぁ構わないさ。俺にも身仕度があるしな)」


 アキの帰還。


 新生された鹿島秋良の人生の始まり。



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