その男、異世界帰りにつき
なるのるな
異世界帰りの男
プロローグ
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とある廃ビルの敷地内。
前触れはなかった。
その場の誰も気付かなかった。
認識することが出来なかった。
ただそこに居た。現れた。
ソレは異形。立体の影。
まるで墨汁をたっぷりと含ませた毛筆で、幼児が人型の塗り絵をしたかのよう。枠線をはみ出ても気にしない。しかもその墨汁の黒は、まるで炎のように揺らめいてもいる。
黒いヒトガタ。
「なっ! 何だコイツはッ!?」
少年の叫び。その場に居合わせた者の代弁とも言える。
混乱による停滞。本来であれば致命的な隙。
「下がれ健吾ッ!」
いち早く混乱を脱したのは少女。
制服……ブレザー姿に不釣り合いな、腰に
「はぁッッ!」
一閃。
踏み込んだ勢いそのままの横薙ぎ。
月明かりに照らされたギラつく刃は虚しく空を斬る。
少女の技はいっそ呆気なく躱された。
斬撃のモーションと同時に、ヒトガタは危な気なく軽く後ろに下がっていた。
しかしそれは少女も想定内。躱されるのが前提。ただ、少年から距離を取らせるための
そして少女……
取られた距離を潰すように、流れるままにヒトガタへ肉薄していく。
僅かに射し込む月明かりを頼りに、ビル内でのチャンバラだ。
先のような大振りではなく、突きを主体とした連撃へと繋いでいく。実戦の技。鈍く光る刃が踊る。
それらは必殺のモノではなく、あくまで手数によって、敵に傷を負わせる為の技。出血を強いて動きを鈍らせる類のモノ。
しかし、ヒトガタは躱す。躱す。凌ぐ。
軽やかな舞踏。目まぐるしく流れる刃は、その尽くが素通りしていく。
「(コ、コイツ!? こっちの狙いを分かった上で!? ば、馬鹿にして!)」
ヒトガタは顔も黒く塗りつぶされており、その表情などは見えない。
だが、余裕のある動きでありながらも、放たれる刃を全てを紙一重で躱している様は……完全に相手の少女を舐めている。お遊びの範疇だ。そして、そんなヒトガタの態度は当然に彼女も理解していた。
「(この速度が私の全てと思うなッ!)」
死の舞踏の流れの中で、葵は隙を見せずに徐々に『気』を練っていく。仕留める一撃の準備を積み上げる。
相手が舐めてかかっているなら、彼女からすればむしろ好都合。その舐めきった余裕ごと命を絶つのみ。
今の舞踏が葵の限界などではない。『気』を乗せた一撃は今の数段上の速度と威力を誇る。まさに必殺となる技。
刻々と迫るヒトガタの臨終の際。
『百の異能を束ねる』と謳われる
人の世の法を掻い潜る外道の異能者……『鬼』を取り締まる、歴史の影に潜む異能者組織。
その宗家たる桃塚家の直系であり、一門衆の若手の中では頭抜けた実力を誇る。それが桃塚葵。
黒いヒトガタ。その正体は不明。しかし、彼女は聞いたことがあった。ここ最近、界隈に出没している異形の異能者のことを。
一門の者も何度か出くわしており、粛清対象である『鬼』を逃がすような動きも見せている。その上でかなりの実力者。
ただ、他の『鬼』と協働しているのかと言えばそうでもなく。奴に連れ去られた『鬼』はそのまま消息不明となり、一度などはその遺体が後日に発見されたこともあった。
何を目的としているかは不明だが、何らかの異能者であることは明白。
どんな意図があるにせよ、私欲のために異能を用いて、人の世の法を乱す者は『鬼』。百束一門の取り締まり対象だ。
既に一門の者も何人かが奴の手によって犠牲になっているという状況。明確な証拠はない。しかし、葵は目の前に突然現れたこの黒いヒトガタが、一連の犯人だと確信した。濃密な死の匂いを纏う異形が、そう何人も存在して堪るかという想いもある。
死の舞踏は続く。
決して手を抜いている訳ではないが、いつまで経っても葵の刃はヒトガタに届かない。
「(このリズム……次だ……ッ!)」
だが、遂に流れが来た。ヒトガタの命を絶つ。その流れが。葵が練り上げた『気』とそれを活かす絶妙な間合い。リズムを狂わせ、躱せぬ一撃をお見舞いする必殺の機会の到来。
「(終わりだッッ!!!)」
葵の『気』が爆ぜる。刀身が
斜め下から切り上げるような軌道を描く……逆袈裟斬り。『気』を刀身にすら纏わせての一撃。
ソレは呆気なくヒトガタの身体を二つに分断する…………筈だった。
「なッ!? う、嘘でしょ……ッ!?」
冷静にヒトガタの動きを見極めての瞬間的な『気』の開放。心。
開放された『気』を全身……刀身の隅々まで行き渡らせる。技。
地にめり込むほどの踏み込みそのままに全身を連動させる。体。
桃塚葵が、その持てる心技体の全てを噛み合わせた一撃。
それでも、彼女の刀がヒトガタの身体を分断することはなかった。止まる。止められる。硬い衝撃もなく、柔らかく静かに。
瞬間的な『気』の開放も、その『気』の活用も、恐ろしいほどの勢いでの踏み込みも……その全ての衝撃すらやんわりと受け流される。
桃塚葵。
刀を振るった側。止まる。呆然として思考には空白。動けない。
黒いヒトガタ。
受けた側。止める。
その手の先には刀。指で刀身を掴みつつ、軌道を変えながら一撃の勢いすら殺して止めてみせた。
剣の持ち手である敵の身にも負担がない程の絶技。
もっとも葵からすれば、肉体ではなく精神には深い負担……傷を残すことになるが。
「あ、あり得ない…………」
『…………』
無様の一言。
自信に満ち溢れた一撃を止められたことは確かに衝撃ではあろうが、葵は動きを止め、思考を止めた。隙だらけの棒立ち。戦う者としては余りにも未熟。
そして、ヒトガタは間違いなく強者であり、その動きは葵の再起動を待たない。
「げぼぉッ!!?」
軽く振り上げられたヒトガタのつま先が、吸い込まれるように葵の腹に突き刺さる。瞬間、葵の全身に雷撃の如き悶絶する苦しみが駆け巡る。中断されていた思考の再開というにはショック療法が過ぎるか。
膝から崩れ落ちそうになりながらも、葵は刀から手を離さない。ヒトガタが掴んだままのため、ぶら下がるような形。これもまた、戦う者としては『殺してくれ』と言わんばかりの醜態に違いはない。
「あ、葵ぃぃッッ!!!」
今更ながらに、少年……百束一門に連なる、
次は健吾に標的を定めたのか、ヒトガタは掴んでいた刀身を弾くように離し、彼の方を向いて待ち構える。
刀を支えにぶら下がっていた葵は、弾かれた刀に引っ張られるように倒れ、悶絶しつつ
「葵からッ!! 離れろぉぉッッ!!!!」
日本刀を武器として扱っていた葵と違い、健吾は指先から肘辺りまでを覆う革製の手甲を着用している。その両の手には既に『気』が練られており、ヒトガタに突っ込むと同時に仕掛けるのだろうことがありありと見て取れた。
「喰らえッ!!」
『…………』
健吾の『気』を纏う拳が唸るが、ヒトガタは構えた手でフワリと軽く受け流す。
受け流された側の健吾。流されるままに逆らわず、回転しながら蹴りを放つが……先ほどと同じく柔らかく受け流される。
葵の得意とするのとは違うスタイル。
彼女は瞬間的に『気』を開放することでの一撃必殺を心に描いているが、健吾は違う。
全身に『気』を巡らせ、底上げした身体能力での戦いを得手としている。
ただ、継戦能力や汎用性はともかく、健吾の瞬間的な火力はどうしても葵に劣る為、彼は自身の技がヒトガタに通用するとは思っていない。捨て身。他の者が来るまでの……葵が復調するまでの時間稼ぎだ。
先程の舞踏と同じような流れ。焼き増しのようなやり取り。
その肉体を武器として、健吾は力強くも流麗な連続攻撃を繰り出すが、その尽くがヒトガタに凌がれる。ただ、葵の時と違うのは、ヒトガタは健吾の攻撃を躱すことはなく、その両手足を使いながら対処しているということか。
「く、くそッ!!」
『気』を纏う健吾の拳、貫き手、掌打、蹴り、膝、肘……そのどれもが十分な威力と速度を誇るが、いっそ芸術的なほどの練度で捌かれている。受け流す際にヒトガタの両手足と健吾の身体が接触するが、まるで手応えがない。技の差が見えてしまう。舐められているどころの話ではない。健吾の技は、ヒトガタにとっては児戯にも等しいのだ。
「(くッ! コイツ! この見た目で技巧派かよッ!? 他の連中は何をやってんだッ!?)」
所々につなぎはあるものの、その一撃一撃は本気。にも拘らず、健吾の技はまるで通じない。届かない。綺麗な型の練習のよう。道場の組手であっても、ここまで示し合わせたような型にはならないほど。
さりとて彼の行動は無駄にはならない。
騒ぎを聞きつけて、他の階に展開していた一門衆達も集まってきており、葵も何とか立ち上がり『気』を練っている。反撃の狼煙を上げる準備はできつつある。
場に居る皆の目が、正体不明の謎の黒いヒトガタに集まっていた。
「お嬢様! な、何なんだアレはッ!?」
「わ、分からない! で、でも……間違いなく『鬼』だ……ッ! 要救助者を確保しようとしたらいきなり現れたの! あッ!? か、彼女は無事!?」
突発的に発生した死合いにより、葵は本来の目的を見失っていた。
行方不明となっていた者の救助。
「こ、こっちは大丈夫よ! 気を失っているだけだと思う!」
既に別の者が対応済み。
葵は安堵するが……問題は残っている。
「あ、ありがとう。貴女はそのまま彼女を連れて下がって……残りはあの黒い奴の対処よ」
未だにヒトガタは健吾との演舞に興じている。徐々に健吾の体捌きは精彩を欠くようになってきているが、何故かヒトガタからの反撃はないまま。
「(……さっきよりも……もっと早く、もっと強く……ッ!)」
葵は先程よりも更に『気』を練り上げ、その身の内に循環させながら纏う。
今の彼女は十分に引絞られた矢だ。放たれれる時を待つのみ。
「止めとけ」
健吾の助太刀にと、葵が踏み込もうとした瞬間に……蓋。制止の声が被せられる。
「ッ!?」
「な……ッ!?」
それは声だけに非ず。濃密な『気』の圧を含むもの。その圧の余波が場に静寂を生むほど。
「(ちッ!? また別の奴かよッ!?)」
『…………』
先ほどの二の舞は演じはしないとばかりに、急な圧を感じつつも、健吾は止まるのではなく、一気に下がってヒトガタと距離を取った。
今回は停滞も空白もなし。健吾は緊張感を持って臨戦態勢を維持している。
一方のヒトガタは、新たな闖入者を認識しても意に介せず。相手となる健吾が離れたため、その場で棒立ちとなるのみ。そんなヒトガタの様子を確認し、闖入者の男が独り言ちる。
「俺を認識しても気にもしないってか。ま、その余裕もここで終わりだけどな」
闖入者……少年はヒトガタを真っ直ぐに見据える。
「……な、何者だッ!?」
比較的近くに位置していた百束一門の者が問う。男に気圧されて、若干腰が引けた状態ではあったが。
「あの化け物に気を取られ過ぎ。ちゃんと周りにも気を配っておかないとね」
そう言いながら、少年は『気』の放出を緩める。見せびらかすのを止める。
「お、おまえは……?」
ごく自然体で男は『気』を扱った。それは明らかに百束一門の技。異能者を取り締まる側が扱う技に他ならない。周りの者は驚愕しつつも、男が一門衆であることを確信していた。
「ふん。悪いが名乗りはしない。俺はただ、あの黒い奴を始末する為に遣わされただけだ。どうせここの連中は宗家のお嬢様の守り役だろ? ここは俺が引き取るから、お嬢様を連れて下がってろ」
泰然自若。少年はただ黒いヒトガタを目指して、悠然と近付いていく。
その身の内には濃密な『気』が巡り、自然体そのものの動きに一切の隙は無い。
ヒトガタもようやく気を向けたのか、近付いてくる少年の方へと向き直る。相変わらずその姿は、ゆらゆらと揺らぐような影を纏う異形。
「ま、待ちなさいッ! そのヒトガタは強敵よ! 一人で相手をするのは無謀です!」
「あ、葵ッ!?」
先ほどのダメージが残っているものの、先ほど練り上げた『気』を保ちながら、葵は闖入者である少年を制止する……しようとした。
「おいおい。宗家のお嬢様、いまは止めとけよ。あの黒いのはあんた達じゃ相手にならない。それに……俺は総代から直々に頼まれてここに来ている。……その意味が分からない?」
「そ、総代……お祖父様から!? まさか貴方は……ッ!?」
彼は百束一門の中でも特殊な枠。
今の世においては、圧倒的に血縁と修練による選別が多い一門衆ではあるが、この少年は別だ。
天然の異常個体。生まれついての異能者。一門の技とはまた別の
そして、そういう者達は普通の一門衆とは扱いが違う。いざという時の為、宗家の“懐刀”として存在を秘されることも多々ある。彼もそんな一人だった。
「ま、安心しろよ。俺ならあの黒いのとやり合えるさ」
なにより少年には秘密があった。
“この世界とは違う世界の力がある”……という秘密。
……
…………
………………
『(ようやく出てきたか。今回の“
そして、“ソレ”は黒いヒトガタ……
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