第4話 影響力のあるデタラメ

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 鹿島秋良。二十九歳。男性。

 特別に秀でた所もなく、平々凡々な男として生きてきた。

 十代の頃に両親を同時に亡くし、年下の幼馴染とひとつ屋根の下で暮らすことになる。

 それだけを聞くと、恋愛系フィクション作品の主人公のようではあるが、現実は厳しかった。辛いことが多かった。


 そんな彼も結婚して幸せに……というには遠く、結局は妻の不貞により婚姻関係も破綻することに。


 ただ、結婚も離婚も相手あってのこと。当然に妻の側にも言い分はあった。


「それで? こんな夜中に呼び出したかと思えば、不倫がバレて揉めたって? ……当たり前でしょ? だから止めとけって言ったじゃない。麻衣のことをあんなに想ってくれてた秋良先輩をよく裏切れるよね」

「私が馬鹿なのは重々承知してるから……それよりも、今は秋兄ぃを捜さないと……酷いことを言ってちゃって……」


 鹿島麻衣。秋良の配偶者。

 夫を深く傷付けてしまい、飛び出していった彼を心配する妻。


 地元を離れたいま、鹿島夫婦の共通の友人で日常的に会える相手というのは少ない。

 彼女が相談したのは、そんな数少ない……というより唯一の友人。

 麻衣とは小中高に加えて、大学まで同じであり、卒業後にそのまま大学のあるエリアで就職した品川しながわ京子きょうこ

 彼女は地元からの友人であり、秋良と麻衣の家庭事情やその関係性を知る人物。


「はぁ……麻衣は変わらないね。そうやってはぐらかすの。自分が馬鹿なのは承知してるって? ……でも、結局は我を通すんだよね? 秋良先輩を心配してるけど、自分が悪いとは思ってないでしょ? 『傷付けたのは確かだけど、飛び出していった秋兄ぃが悪い』って感じ?」

「な……ッ! そ、そんなこと思ってないよ! いまはとにかく秋兄ぃが心配だから!」


 図星。

 麻衣は自分の非は理解しているが、秋良に対しては、本気では悪いとは思っていない。不倫にしてもそう。『私を不倫に走らせた秋兄ぃが悪い』という論調。


 昔からの友人である品川京子には、麻衣のそんな考えが透けて見える。


 ただ、彼女にとっても秋良は友人であり、気の良い先輩なので、当然にその身を心配する気持ちがあった。


「ま、今はいいや。麻衣は秋良先輩とは離婚するんでしょ? だったら、喜んで先輩を捜すのを手伝うよ」

「……何よその言い草……京子、ちょっとおかしいよ?」


『おかしいのはアンタの先輩に対しての態度だ!』


 そう言いたいのを京子は飲み込む。

 勉強もスポーツも優秀。友人も多く、場の雰囲気を明るくするタイプ。それが麻衣だった。ただ、京子が一つだけ昔から気になっていたのが、彼女の秋良への態度。


 気を遣われるのが当然。好意を向けられて当然。何をやっても許してくれるのが当然。


 何故か麻衣は秋良にだけはそんな態度を取る。軽く注意しても止めることもない。友人知人の人間関係の中では、一度もそのような振る舞いは無いのに……と、京子はずっと不思議に思っていた。


 今になってみれば分かる。


「(麻衣は……先輩に甘えてるだけだ。何をやっても大丈夫という安心感を持っている。実の親兄弟であっても、そんな訳にはいかないのにね。はぁ……まぁ先輩が甘やかした結果とも言えるんだけどねぇ……)」


 内心で呆れつつも、麻衣の相手をする京子。

 彼女としては、鹿島夫婦の離婚問題が決着すれば、麻衣との友人関係も終わりだという心算がある。別に友人として普通に付き合う分には問題ないが、どちらかと言えば、京子は心情的には秋良側。……とは言っても、秋良の方にも『優しくするのと甘やかすのは違う!』と、文句の一つも言ってやりたい気もある。もちろん、不倫関係については麻衣が百パーセント悪いという前提でだが。


「(麻衣と先輩が円満に続くなら、私の余計なお世話で済んだのにな……)」


 昔から秋良と麻衣の関係性を見ているのに加え、明らかな麻衣の不貞行為だ。既に京子はどこか冷めている。麻衣への嫌悪感はあるが、特別な怒りなどはない。彼女に対して感情を動かす労力そのものが無駄だと切り捨ててもいる。


「ほら、先輩が行きそうなところの心当たりとかないの? 捜すといっても、女二人で夜の街を捜し歩くわけにも行かないでしょ?」

「あ、ありがと。えぇと……財布は持って出たけど、たぶんそんなに現金も持ってなかったと思うし……あ、スマホは置いて行ったけどロックが掛かってて……」

「(はぁ……スマホのロックは仕方ないにしても、先輩の交友関係とか、行きそうなところの心当たりはないってわけね……)」


 結局のところ、二人して秋良からの連絡を待つしかないということに。



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 ……

 …………

 ………………



 一方で異世界でのアキとユラ。


 大聖堂を訪れ、話し合いをする予定だったのだが、何故か真正面からやり合うことに。


 聖堂騎士団と呼ばれる教会直属の武力勢力と、大聖堂の敷地内での殺し合いに興じていた。


「死ねぇぇッッ!!」

れるモンならなッ!」


 既に深手を負っているのか、威勢の良い言葉とは裏腹に、血みどろの兵が扱う短槍たんそうの動きは鈍い。ただ、訓練と実戦に裏打ちされたその技は決して侮れないモノ。


 アキはその技……突き出される槍に脅威を感じた為、少し余裕を持って身をズラして躱す。……と、同時に一気に踏み込んでの掌打。


「……が……ッ!?」


 首がズレた。兵の意識と命が瞬断される。短槍を突き出した姿勢のままに倒れる。斃れた。


 兵の命が尽きたのを認識するか否かというタイミング、アキの掌打の打ち終わりを狙って、複数の兵が踏み込んでくる。各々の武器が突き出される。


 人体に刃が食い込む確かな手応えのある者。その攻撃が空を切る者。反撃によって命を刈られた者。


 結果はそれぞれ。


 だが、アキは意に介さない。致命傷となった一撃も、かすり傷も、躱した攻撃も……どれも同じ。彼は死なない。死んでも甦る。不死の存在。聖堂騎士団側からすれば悪夢だ。


 既に大聖堂の敷地内は死屍累々。若い新兵も、老兵も、未熟者も、実力者も……多くの者が斃れ伏している。


 アキが『身体強化』の魔法を身に纏い、拳を、掌打を、蹴りを、膝を、肘を、頭突きを……振るう度に命が毀れていく。


「がぁッ!!」

「ゲホ……ッ!? こ、この……あ、悪魔……め」

「ぎゃぁッ!!」

「い、痛ぇよ……か、母ちゃん……」


 敢えてひけらかすように攻撃を受け止め、二十を超える死と甦りを経ても、アキは止まらない。

 この世界に来たばかりの頃は、その恐怖とおぞましさに眠れぬ夜を過ごしたりもしたが……もはや今となっては死と甦りにも慣れ親しんでいる。いちいち立ち止まることすらない。


 衣類は所々が破れ、出血の跡もみられるが、その肉体はいくら致命傷を与えても元に戻ってしまう。綺麗なまま。


「や、やめよッ!! 聖堂騎士団は武器を収めよッ!!」


 このまま続けても、最期まで立っているのはどう考えてもアキの方だ。教会側からすれば、その不死身たる在り様はまさに悪魔。ようやくその事実を直視する気になった者も出てくる。


「は、話し合おうッ!! もう殺し合いは十分だろうッ!!?」

「ん? こっちは普通に話し合いに来たんだぞ? それを問答無用で襲い掛かってきたのはソッチだろう?」


 アキは特にたかぶってもいない。別に血に飢えているわけでも、戦いや殺しに酔っているわけでもない。ただ、手を出されたからやり返したまでのこと。そこに然程の熱量はない。


 アキとしては、やられたからやり返しただけ。


 目には目を。歯にはを歯を。


 この世界をユラと旅して回った際、とことん身に沁みた教えだ。


 本来は過剰な復讐、際限のない報復合戦を抑制するための教えだと言われているが……アキは『やり返せ』という意味で受けとっていた。自分を傷付けようとする相手に遠慮など不要だと。何なら『やられる前にやれ』とまで思うようになっている。


 旅の中で知り合った、とある魔境を住処とする戦闘民族的な氏族とは、その事で意気投合したほどだ。むしろ積極的にアキがその氏族連中に『やられたらやり返せ』『やられる前にやれ』『気配を感じたらやれ』……と、教えを広めていたのだが……それはまた別の話。


「……わ、分かった。まずは落ち着け……」

「いや、こっちは十分に落ち着いている。血に塗れた身で大聖堂に立ち入らないように配慮までしてるぞ。話し合うというなら、責任者をここへ連れてこい」


 高位の聖職者ではあるが、まだ年若いその男は使いの者を走らせる。これ以上の戦いは不毛だと彼は悟った。


 男はアキと対峙しながら、この場の責任者……枢機卿が来るまでの間を耐えることを決意していた。目の前の悪魔が何をしようとも、己の命をもってして一挙手一投足を見張ると。


 ただ、アキからすればそれこそが不毛。手を出してこないならそれで良いだけだ。……決して、帰還前にムシャクシャした気持ちをぶつけてやろうという八つ当たりではなかったはずだ。たぶん。きっと。


 ユラはこの結果を見越していたのか……


『期待した私が馬鹿だったよ。アキが帰還した後、私はほとぼりが冷めるまで姿を消すことにする。もう君の好きにすれば良い……』


 ……とのこと。いまも付近には居るが、魔法による隠形で隠れている。


「(私の愛しいアキは、元の世界でちゃんとやっていけるんだろうか……? 戻ったらいきなり犯罪者として収監されそう……はぁ……一刻も早く、向こうの世界に干渉する許可を貰わないと……まったく、立つ鳥跡を濁さずとは何だったのやら………)」


 ユラの懸念は当然のこと。いまのアキは、元の世界の倫理観を置き去りにしてしまっている。異世界での二十年がそうさせてしまった。



 ……

 …………



「……で? まだやるのか? 先に言い掛かりで手を出してきたのはソッチだ。止めたいのならまず謝罪だろ。発端となったあの生臭坊主は地獄に墜ちて当然のクズだ。教会が裁けぬ悪を俺が裁いてやったまでだ。その程度はお前らだって判ってる筈だろう?」


 大聖堂の扉の前。

 如何にもな上位者として悠然と現れた老齢の枢機卿に向け、開口一番にアキは要望を吐き出す。


 本来であればお付きの者が『無礼者め!』となる所だが、敷地に点在する兵士達の遺体を見て、枢機卿とその周りの者は言葉を飲み込む。


 仮に普段通りに叱責の言葉を彼らが口にしても、血に濡れた悪魔アキにそんな戯言が通じるはずもない。


「……くっ……た、確かに彼の者は女神の徒にはあるまじき不埒者だったことは認めよう……。だ、だが……貴殿は、彼の者が秘匿していた『女神の託宣』を知らぬと……? 目にしてもいないと?」

「原典の一部などに興味はない。……が、託宣自体は知らぬというわけでもないな。まったく御大層なことだ。どうせまだ数百年は先のことだろうに……」

「や、やはり貴殿は……ッ!?」


 アキにしてみればまるで関係のない話であり、興味もない。この世界の教会関係者が秘儀として受け継いでいる『女神の託宣』とやらは、ユラが携わる“研究分野”ではなく、娯楽分野……ゲーム運営側の仕込み。


 NPCの時間感覚では、数百年は先の大規模イベントの為のモノだと……詳細は伏せられたが、上辺の情報程度をアキは知らされていた。


 ただ、神が実在するこの世界において、神の名を使っての介入イベントは宗教や文化に深い影響があるため、ユラが所属する研究班からは中止の打診もしているとのこと。


 アキはそんなプレイヤーなり、運営側なりの裏話を聞いている為、必死になっている教会関係者を若干哀れんでしまう。


 だからといって、自分を殺しに来る連中に対してアキは容赦などしない。ソレとコレとは話が別だと考えている。


せよ。どうせ俺は甦る。見てただろ? それに単純に実力不足だ。ここにいる聖堂騎士や兵たちじゃそもそも俺には勝てない。俺を本当に殺したいなら、北部魔境の昆虫バケモノ共でも連れてくるんだな」

「くっ!! ……だ、だとしてもじゃ……ッ! 託宣を知る以上、タダでは済ませられないのだ……ッ!」


 枢機卿……教会の表も裏も知る立場の者としては『はい、分かりました』で済ませられるはずもない。


 悲壮な決意を秘める者を前に、アキは言葉を重ねる。変な方向に早まって欲しくもない。


「……なぁ? まだ解らないのか? 託宣をある程度知っている上に死を超えるんだぞ? そして何より俺には使命がある。……ここまで言わないと解らないのか? ……本当に?」


 思わせ振りにアキは問い掛ける。枢機卿の目を真っ直ぐに見据える。

 彼としては、おっさんとジジイが見つめ合う図を俯瞰して、笑いが漏れそうになるが何とか耐える。


「……な、なにを……!?」

「薄々は気付いてるんだろ? 俺がどういう存在なのか……堕落した聖職者を殺した本当の理由を……」


 枢機卿にとっては、それはまさに悪魔の囁き。いや、女神の囁きか。

 殺しても死なない。平気な顔で甦る。傷が消える。再生する。特殊な魔力の波動もない。アンデッドのような不浄の気配もない。正真正銘のヒト族の気配。ただただ元通りになるだけ。


 そして、堕落した聖職者を誅する者。


 多くの兵が斃れたが、彼は始めに『話し合いに来た』と言っていたにも関わらず、武器を持って迎えたのは教会側だという事実。


「き、貴殿は……い、いや……まさか……!?」


 もっとも、アキは枢機卿が思うような相手ではない。ただのブラフだ。


「ちなみに俺は悪魔などでもない。……もう判るな? 女神の徒よ。お前は選ばれたのだ。後世への語り部としてな。語り継ぐがいい。俺の言葉を」

「あ、貴方様は……め、女神様の……遣い……なのですか……?」


 アキは内心でほくそ笑む。いい感じに勘違いしてくれたと。


 そして、動揺の隠せない枢機卿に、アキはそれっぽく適当なアレコレを語る。畳みかける。


 北部魔境の大森林を超えた先が楽土である。

 栄華を極めるいまの帝国が滅びた先、託宣の時代が来る。

 神は不自由であるが、現世に遣いを出しながらこの世界を見守っている。

 神であっても、より上位の存在に縛られている。

 俗世の欲の全てを捨てる必要はないが、女神の信徒が欲に溺れて堕落するな。

 手を出すなら、同じように反撃される覚悟を持て。

 まずは話し合え。

 小児性愛者に未来はない。

 不貞行為は神へ冒涜だ。

 特に夫なり妻なりの友人と関係を持つのは悪魔の所業だ。

 幼馴染だからといって仲良くする必要はない……などなど。


 はじめはそれっぽいことを言っていたのだが、すぐにネタが切れ、後半はアキの個人的な経験談からの呪詛が混じるという仕上がり。


 そんなアキの与太話を、ユラも姿を隠してしっかり聞いていた。

 本来、観測者としてのユラは現地の文化や宗教には我関せずのスタンスだったのだが……アキの話の余りのバカバカしさに呆れ、流石に大勢に影響はないだろうとスルーした。


 ただ、今回アキ達と関わった枢機卿は、そもそもが清廉な人物であり、敬虔な女神の信徒だった。アキが始末したような、世俗の欲に塗れた俗物などではなかったが故に、彼のバカバカしい言葉を真正面から受け止めてしまう。


 アキと出会ってしまったばかりに、枢機卿は後にその役職や立場を返上する。

 一介の修道士となり、語り部として各地を旅をすることに。


 そして彼の死後、女神の遣いが残した言葉を伝えた者として功績を讃えられ、後の時代に聖人と認定されることになるのだが……それはまた別の話。


 こうして、始まりは勘違いとはいえ、死屍累々の惨状を作り出した張本人であるアキは、教会と“和解”することになった。上からの命令によって散った聖堂騎士団の面々が浮かばれない……



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