第54話 怒りのバルト王国
■中央ゴレムス暦1582年10月30日
バルト王国 王都ベイルトン
「アウレア如きが調子に乗りおってッ!!」
国王トゥルンが怒りのあまりに投げつけたグラスが、部屋の壁に当たって粉々に砕け散った。執務の間でアウレアの討伐令のことを思い出したトゥルンは手元にあった果実水の入ったグラスを反射的に手に取ってしまったのだ。
「討伐令だと……おのれ……我が国を討伐すると申すのかッ! 小癪なッ!」
執務補佐官は怒りに触れないように縮こまっていた。
その時、部屋の扉が大きな音を立てて開き、トゥルンの大音声を聞きつけた衛兵たちが中に入ってくる。
「どうなされました! 陛下ッ!」
視線が集中して少し頭が冷えたのか、トゥルンは少し落ち着いた声で言った。
「……カルケーヌを呼べ。大臣共を集めろ。すぐにだッ……」
「は、はッ!」
衛兵は弾かれたように走り出すとそれぞれの大臣たちのところへ向かったのであった。
※※※
「討伐令の話でしたか……速く我が国の行動指針を示せと言うことですな」
宰相カルケーヌのかすれた声が静かな部屋に小さく響く。
「そうだ。あれからアウレアのことを考えると怒りで頭がどうにかなりそうになる」
トゥルンは未だ怒り冷めやらぬと言った感じで忌々し気に吐き捨てた。
額には青筋が浮かんでいる。相当な怒りを感じているに違いない。
「なぁに。奴ら、先の戦いで勝利したので気が大きくなったのでしょう」
「その通りでございます。前回軍を率いたのは傭兵上がりと言うではありませぬか。バルト正規兵が出れば勝利は間違いありません」
「アウレア兵は弱卒なれば、鎧袖一触ですぞ!」
参謀総長、軍務卿、軍務大臣が揃って楽観的な言葉を述べる。
いや、楽観的と言うよりもトゥルンの機嫌をこれ以上損ねないようにしているのだ。ちなみに軍務卿と軍務大臣は似て非なる存在である。貴族諸侯の軍を束ねているのが軍務卿なら、軍部の常備兵を統括しているのが軍務大臣である。
バルト王国は近年の軍制改革で兵の転換を行ってきたのだ。
「しかしあのアルデ将軍が総大将か……」
軍務卿の頭には報告にあったアルデ軍の強さがよぎっていた。
ラグナリオン王国と互角の戦いをしていた先軍が、アルデ軍の参戦によりコーラル子爵を討ち取られた上、一気に瓦解した。話を聞けば、竜騎兵による突撃を敢行したと言う。運よく生存した兵士はあの時のことを思い出すと震えが止まらないと言っていた。凄い速度で竜が突っ込んできたかと思うと、次々と撥ねられ、斬られていったと言う。ラグナリオン兵よりも強かったと証言した兵も数知れない。
軍務大臣も同じ考えなのか、不安そうな顔を見せていた。
その中でとりわけ元気な声を出したのは参謀総長であった。
「相手に取って不足なし。奴らにはアルデ将軍しかおらんのです。彼奴を倒せばこの戦は勝ったも同然です」
そりゃ総大将を倒せば勝つだろうよと他の2人が内心でツッコミを入れているが、それが届くはずもなく、彼がどうしてそこまで自信があるのか疑問に思うのであった。
「アウレア平原での戦いでは兵士数も多かったと聞いておるぞ? すぐに計画を出せ。今すぐでも構わんぞ」
「陛下、私に案がございます。奴らは春に攻めてくるでしょう。もう冬も近い。その間にデルタ城のうちヴァンパ城付近に防柵や土塁を築きます。そこに火縄銃部隊を配置してじょじょに出血を強いていけばよいと存じまする。それにデルタ城郭の連携は奴らには破れますまい。やがて食糧の尽きた敵軍は撤退することとなるでしょう」
勢い込んで発言した割には手堅い作戦であった。
他の2人はそれほど言うのだからどんな過激な手を使うのかと心配だったのだ。
しかし、納得しない者がいた。
「それでは守ってばかりではないかッ! アウレアなどにそんな弱腰で当たれというのかッ!」
トゥルンには侮辱されたままでは済まさんと言う思いがあった。
必ずや野戦でアウレア軍を叩きのめし、余勢を駆ってアウレア本国まで攻め込んでやると言う無謀な考えにまで至っていたのであった。
「良いかッ! こちらはブレイン将軍に指揮を取らせるッ! 必ずや野戦で勝利しアウレアを蹂躙せよッ!」
※※※
国王であるトゥルンからあのブレインの名を聞かされた3人は頭を悩ませていた。
「おい。どうするのだ。あの畜生男が総大将だと」
「陛下の意向だ。何かあるのかね?」
「そうは言うがな? あの男の異常さを知らんからそう言えるのだ」
ブレイン――ナリッジ・ブレインは騎士爵位として将軍職を与えられた後、軍制改革で軍部にも少佐の身分を持っている。
なので軍務卿と軍務大臣は彼の素行をよく知っているのだが、参謀総長だけは噂で少し聞いた程度であった。
2人はこの無知な参謀総長に畜生の洗礼を受けさせてやろうと思ったが、流石に憐れに思い、結局全員でアウレア撃破計画を立てることにした。
そして早速ブレインを呼び出したのだが、中々現れない。
その人となりを知っている軍務卿と軍務大臣は何も言わずに待ち続けていたが、参謀総長の方はそうもいかない。一応、抱えている仕事もあるのだ。生来、真面目なこの男はその目に怒りを湛えていた。
呼び出しをかけてから3時間後にその男はやってきた。
「あーお呼びですか。カイラス卿。お、デナード卿も……」
「君……遅いぞ」
「……」
「遅せぇよ! 遅すぎんだよ! 今更何なんだ貴様は。お呼びじゃねぇんだよ!」
諦めていた2人はともかく参謀総長はブチギレていた。
「何だテメーは。お呼びじゃねーのなら呼ぶんじゃねーよ。ブチ
「なッ……貴様、なんだその態度はッ! 軍法会議にかけてやるぞ」
「殺していいか? こいつ」
「駄目だ。我慢しろ」
珍しいこともあるものであった。
ブレインは殺すと思ったら誰に聞くまでもなく殺す男である。
「で? 俺に何のようだ? 軍務卿様よ」
「実は近々戦争になる。相手はアウレア大公国の烈将アルデだ」
「何ッ!? あのアルデか? いいねー楽しい
「ああ、アウレアが我が国に対して討伐令を出した。身のほどを分からせてやってくれ給え。君はすぐに正式に総大将に任命されるだろう」
「おほッ……了解了解。で? どう戦うかは俺が好きにしていいのか?」
「それを今から話し合う」
「話 し 合 う ?」
「い、いや……検討する……案を出すから君の好きにし給え」
「おお、分かったぜ」
最初からそう言えよと思いながらブレインは軍務卿のカイラスから話を聞きとっていく。先程から後ろが静かだが、参謀総長を必死で抑え込んでいる男がいるためである。流石に仲間が死すらヌルいと思われるようなことをされるかも知れないのに放ってはおけない。
そしてこの後、説得された参謀総長と共に対アウレア戦の案を4人揃って検討し始めたのであった。
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