第19話 逃避行
■中央ゴレムス暦1582年6月20日 17時
アウレア平原 某所
アウレア大公国第1公子ロスタトは
体に刺さった矢は抜かれずにそのままで、地面に擦りつけられる度にズキズキと痛んだ。その痛みによって気を失うこともできず、流血もそれほどではなかったため、死ぬに死ねなかったのだ。
「おお、捕らえたか!」
ロスタトはどこかで聞いた声に、痛む体に鞭打って声の主を探した。
そこにいたのは衝撃の人物であった。
――ネフェリタス・エクス・アウレアウス
言わずと知れたアウレア大公国の第2公子である。
現在はヨハネス伯爵家の養子となり家督を継いでいるはずであった。
ロスタトは思わず自分の目を疑った。
「(何故……? 何故ネフェリタスがここに……?)」
「おい、猿轡を外してやれ」
「ネフェリタスか……? 何故お前がここに……?」
「ふははは! 阿呆になったのか? 兄者よ」
狂ったように嗤いながら地面に這いつくばるロスタトを前にネフェリタスは破顔していた。
「見て分からんのか! はははは! あの聡明叡智と謳われた兄者が阿呆のように口を開けておるわ!」
「……貴様ッ!
「寝返ったぁ!? 寝返ったと言うのか? お前は俺が寝返ったと言ったのかッ!」
つい先程まで高らかに嗤っていた元第2公子は阿修羅の如くその顔を変化させた。
まさに怒髪天を衝いている状態だ。
「ぐぅ……国を売り渡した国賊め……」
「売国奴と言ったのか? お前は馬鹿かッ! 俺は大公の継承順位を正しただけだッ! 嫡男を養子に出すような阿呆には言っても分からんのだッ!」
「嫡男だと!? 貴様は第2公子……側室の子であろうがッ!」
「生まれたのは俺の方が早いのだ。俺が正当な次期大公なんだよッ!」
「まさか……それだけの理由で
「謀叛などではないッ!」
「バルト王国軍を国内に入れておいてよくもぬけぬけと言えたものだッ……」
「バルトには少し力を借りただけだ。俺がアウレア大公になれば我が国は真の強国となろう。なぁに割譲するのはネスタト以北だけだ」
「それで済む訳がないであろうがッ! 阿呆は貴様だ、ネフェリタスッ!」
怒鳴り返したせいで体中が苦痛に襲われる。
この状況でまだ生きているとは人間は意外としぶといようだ。
そう、ロスタトは場違いなことを考えていた。
「俺だけの意思ではない。国内の貴族共の支持は既に取り付けてあるのだッ! 積極的に動いてくれたぞ。特にネスタト領主のオゥル卿がなッ! これが上に立つべき者の資質と言うものだ。バルト王国も喜んで手を貸してくれたわ。奴ら、友好を約束してくれたぞッ! 持つべきものは友だなぁぁぁ! ふはははは!」
「この愚か者が……」
「あーん聞こえんなぁ?」
にやにやと零れんばかりの満面の笑みを浮かべるネフェリタス。
その声は
ロスタトの脳裏にアウレアの終焉が過った時、ネフェリタスの隣に控えていた女将軍が突如として声を上げた。
「閣下、やはりこんなことは間違いです。閣下はオゥル卿に騙されているのです」
「あー? ベアトリスぅ……お前は俺から国を奪おうとしたロスタトが正しいとでも言うつもりかッ!」
ベアトリスがネフェリタスを諌め始めたことで、周囲にいた者たちからも動揺の気配が伝わってくる。ロスタトは敵も一枚岩ではないのなら付け入る隙もあるやも知れぬと淡い期待が胸に灯った。
「閣下は既にヨハネス伯爵家を継いでおられます。それに敵国を領内に入れるのは国家叛逆の罪に当たります。国を奪おうとしているのは――」
「くどいぞベアトリスッ!
「では
「えーい。このたわけを捕らえろッ!」
「か、閣下ッ!」
命令に反して周囲の者は誰も動こうとしなかった。
お互いを目で牽制しあっている。
若いとは言え、ベアトリスは
「ええい! お前ら、さっさと捕えろッ! 捕えろと言っておろうがッ!」
ネフェリタスの近習たちがようやく動き出す。
ベアトリスは一瞬だけ聖剣の柄に手を掛けたが、抜くことはなかった。
「ベアトリス様、申し訳ございません……」
「これでアウレアも終わりか……」
ベアトリスは全てを諦めたかのように呟くと、どこかへ連行されていった。
それを見てロスタトの意識は急激に薄れてゆく。
「
ネフェリタスの不吉な言葉が聞こえたような気がした。
―――
■中央ゴレムス暦1582年6月20日 23時
門前街 エストレア
大公ホラリフェオは門前街エストレアまで落ちのびていた。
本当はアウレアス城まで戻りたいところだったのだが、アドがつぶれただけでなく自身の消耗が激しかったため、一晩の宿として寺院を借り受けたのである。
あの大軍の攻撃を受けて、今尚生きていると言う奇跡。
まさに九死に一生を得た形だ。
湯浴みを済ませ、血を綺麗に洗い流した
エストレアはかつての大国レーベテイン王国の国教であった。
現在のアウレアは信仰の自由を謳っているため、国内には様々な宗教、宗派が存在している。その名の通り、唯一神エストアを信仰している門前都市である。
「おのれ……バルト王国だと……? 奴らがいると言うことは
しかし冷静になって考えてみるとラムダーク・ド・テインは若いながら高潔で誇り高い人物であり、その人柄はホラリフェオも一目置いていたところだ。
別に計画した者がいるのかも知れない。
事前に情報を掴めなかったことだけが残念至極である。
「主にオーグ狩を仕切っていたのはオゥル卿か? しかし奴だけでここまで大規模な計画を動かせるものか?」
情報はほとんどない。
今は考えるだけ無駄だと判断したホラリフェオはすぐに休むことにした。明日早朝――日の出の頃には出発したいところだ。
「全員、鎧を着たまま休め。私は身軽な格好で逃げる」
モリランたちに明日のことを告げると、疲れからかホラリフェオはすぐに意識を手放した。
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