第97話 ウェイオン混迷
その日、ウェイオン王宮内の部屋から羊皮紙や蝋板、石板などの書類・記録が大量に消えるという奇妙な事件が発生した。
朝、仕事の準備をしていた王宮の下級官吏たちが気づいたのが発端だ。あちこちで同じように紛失に気が付いた者が声を上げて次第に騒ぎとなった。
昨日まであったはずの書類がどこにもない。大したことのない書類から、少々重要なもの、秘密扱い、誰にも知られてはいけないものまで、見当たらないものが結構あった。
紛失が発生した部署は数十にのぼる。
施錠されていたはずの部屋の扉は、何故かすべて開錠されていたという。
必死に探すが見つからないため途方にくれる。
やむを得ず下級官吏は上長に報告し、さらにその上役の貴族、高等官吏へと
宰相の執務室、軍団長の作戦室、王宮秘書官の隠し部屋。
そんな機密性の高い場所からも、重要な書類が消え失せていた。
極めつけは王宮宝物庫の目録四本が消失していたことだ。
普段は王宮侍従長が管理する地下宝物庫に保管されているものだ。
その存在を知る者などほとんどいないし、ましてや保管場所を知っていてなおかつ手に出来る人物など片手で足りる人数しかいない。
そもそも宝物庫の三重の鍵が全て開いていたのがおかしかった。
もっとおかしいのは、宝石や財宝はそのまま手つかず、文字が書かれた巻物などだけが消えている。
あり得ないことだった。明らかに非常事態だった。
当然のことながらすぐに王宮に緘口令が敷かれ、内密の調査が始まった。
しかし、調べている最中に近くの貴族からも報告が相次いで上がってきた。
貴族たちの屋敷からも同様に書類などが数多く行方不明となっていることが明らかになったのだ。
騒ぎは王宮の外にも拡大していった。
こうして官吏や貴族たちの騒ぎはすぐに王都の住民たちにも知れ渡った
王宮で重要なものが盗まれたようだと噂が広まり、尾ひれがついて王国内の市井にまで話題となっていく。
それから数日経った頃に、王都混乱の隙を突いて王国の機密情報が次々と国外へ流出していった。王宮側が気が付いた時には手遅れであった。
その十日ほど前。
海ちゃんとハチの一行は王都に到着していた。
翌日には王宮に侵入して行動開始である。
猫たちが一斉にいろんな書類を片っ端から咥えて持ちだし始めた。
もちろん仲間になった現地猫の手を借りている。王宮内に住んでいる愛玩猫は海ちゃんが姿を見せただけですぐ海ファミリーに加わり、恭順して率先して働いた。
毎日が暇だった猫たちは、こういう変化に飢えていたのだ。
協力した猫の総数およそ五十頭。皆、喜んで海ちゃんに協力した。
字が書いてあるものや皮紙や石板を持ち出すようにと頼まれて探し回る猫たち。
鍵がかかった部屋を見つけたと連絡があると、海ちゃんが猛スピードで全部開けてしまった。そういう場所にこそ一番欲しい物があるのだ。
スキル「猫の鍵しっぽ」
幸せを呼ぶ鍵型の尻尾。
どんな鍵でも一発オープン!
王宮、さらには出入りしている貴族の屋敷からも、猫たちは次々と運び出していった。
何かを咥えて次々とどこかに持ち去る猫の姿を、領民が目撃していた。
その足取りはウキウキして軽かったという。
「忘れえぬ刺激的な一日でした、にゃん♪」(運搬した猫の談話)
書類に何が書かれているかは不問だった。
そもそも猫たちに文字が読めるはずもないから当たり前である。いちいち確認する手間をかけるより、数で勝負だった。
とにかく怪しそうな書類があればどんどん持ち出した。
そして王都に潜むこれまた怪しげな連中の元に、そういう書類をそっと置いてきたのだ。
海ちゃんはウェイオン王宮や軍部に「敵意」を向けている連中が怪しいと予め目星をつけていた。
スキル「
猫の目スキル第一の型。
対象に向けられた「嫉妬」「悋気」「敵意」を察知する。
以前、リンメイラの襲撃部隊を見つけ出したスキルである。
今ではスキルの精度が爆上りしていた。目的の密偵たちをほぼ正確に補足していたのだ。
その密偵の住処に、持ち出した書類をお届けしたのである。
猫たちがこっそりとやってきて、小山ほどの量の羊皮紙、青銅板、蝋板、石板を密偵たちの元に置いてきた。
役に立たないどうでもいい書類も多かったが、中には外交に関わる機密情報もあったり、国家間の表に出せない犯罪行為の証拠もあった。
つまりいろいろと不味いものがそれなりに含まれていたのだ。
その中に、ウェイオン王宮宝物庫目録と書かれた豪華な羊皮紙(全四本)があった。
一本一本がどれも見事な装飾を施された一品で、それだけでも芸術的な価値が相当高いとわかるものだ。
これを丸ごと手に入れてしまった某国の密偵は、冷や汗を流し戸惑いながらも汚さないように丁寧に中身を確認した。
そして仰天した。
他国の国宝級の財がこれでもかと列挙されていたのである。
どういう経緯でこの国の宝物庫に入ったのか?
誰が持ち出してこの国に持ち込んだのか?
どれも正統な本来の所有者の元にあるはずのものばかりだった。
たとえば某国王室の正統な系譜図。現国王に王位継承の資格がない証拠。
たとえば某国遺跡の失われた宝具。某国は騙されて偽物を掴まされている。
こんなものが当事国の手に渡ったら何が起きるかわからない。
内容が知られるだけでもひと騒動あるレベルの危険な内容だった。
誰が
何が目的なのか?
思わぬお届け物を手にした密偵たちは、罠の可能性と情報の信憑性を最初に疑った。
が、やがて王宮や上位貴族が騒いでいると漏れ聞くに至り、おそらく本物だろうと結論付けた。
たとえ偽物の可能性があっても、本国に運び込んでからゆっくりと検証すればよいのだ。何かの罠だとしても危険を顧みず急いで持ち出す価値は十分にある。
他の密偵たちもまた、程度の差こそあれ価値のある情報を手に入れて同じことを考えた。
身頃を商人や旅人に変えて念入りに偽装して、重要と判断した羊皮紙束や記録板を隠し持って静かに王都を離れていったのだ。
彼らが立ち去った後には、ゴミと思われた書類がうず高く積みあがって残されていた。
そんな密偵たちを海ちゃんとハチが、みすみす肉球を舐めて見逃すわけがない。
指令を受け、現地採用猫たちが再び嬉々として追尾を開始した。
旅人の後を猫がスキップしながらついていく信じがたい光景が、王都周辺で数多く目撃されたという。
「忘れえぬ
そして、密偵たちが戻った先の他国の首都でも同じことを始めた。
ただウェイオン王国よりはずっと手加減して規模も小さくした。これは他国間同士でも適度な綱引きをしてもらってウェイオンだけが一気に弱体化するのを防止するためだ。
結果、ウェイオンを震源地とする大規模な機密情報の漏洩騒動が大陸全土、国家レベルで発生した。ウェイオン以外の国家間でも少数ながらも諍いが起きたが、震度の大きさはウェイオンの比ではなかった。
問い合わせとは名ばかりの他国からの恫喝を受け、ウェイオンは大変な困った立場に追い込まれてしまったのである。
隣接国からの圧力に動揺し、気が付いた時には遠く離れた茫洋大陸に手を出しているような状況ではなくなっていった。
そこに海ちゃんはさらに追い打ちをかける。
別命を受け、ミーが軍港に姿を見せていた。見届け人はハチ。
命令の内容は停留しているウェイオン軍の船舶を沈めること。
その数、八隻。これがウェイオン保有外洋船のほとんど全てだった。
ミーは最初の船に忍び込むと、迷うことなく最下層まで降りて行った。
ミーの猫パンチは海ちゃん直伝。しかも免許皆伝だ。
もしかしたらヴィットのパンチと同等の威力があるかもしれない。
船底に辿り着いたミーは「うにゃ!」と叫んで猫パンチを放った。
一瞬、燃え上がる巨大な鎌の形をした「何か」がその肉球から飛び出したのは目の錯覚だろうか? 海ちゃんは何を伝授したのだろうか?
分厚い船底に激突すると、ドゴーンと大きな音とともに船全体が大きく揺れた。
続けざまに何度もミーが猫パンチを繰り出す。
炎の大鎌が乱れ飛び、やがて悲鳴に似た耳障りな音が船底の大きな空間に響いた。
竜骨が叩き折られ、船底に大きく亀裂が入った音だった。
そしてすぐに大量の海水が流れ込んできた。
ミーの両前脚からシューっと水蒸気が立ち上る。
満足気に「うみゃ!」と叫んで甲板まで駆け上がると、ミーは次の船に飛び移った。
こうして八隻の船が次々と猫パンチ【獄炎の大鎌】の餌食となった。一晩のうちに全ての船が航行不能になった。
どの船も修理できるような壊れ具合ではなく、大穴が開いたうえにに竜骨が折れてしまっては廃棄するしかないだろう。
しかも水深の浅い場所で水没しているから完全に沈めることも出来ない。
放置するしかない船の残骸が全ての桟橋を塞いでしまった。
ということは、つまり港自体が使用不能ということだ。
この作戦の一部始終を見ていたハチは呟いた。
ミー、恐ろしい
船舶の破壊という指令だけで軍港ひとつを壊滅に追いやってしまったのだ。
大鎌の
この後、ウェイオン王国は長い混迷の時代を迎えることになった。
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