第18話 外へ!

 それから一週間、マサミツは採集と地図作成をしながら静謐窼せいひつしょうの全域でフィールドワークを続けた。


 海ちゃんが登るのを諦めた高い岩壁。

 その内側全域を調べ終わったとき、マサミツはここが地形学的には陥没カルデラなのだと推測した。


 地下のマグマが隆起してドーム状になったあとに中央部が陥没、高さ三百メートル級のカルデラ壁を残して出来上がった凹地ではないかと考えたのである。


 半径二十キロメートルほどの円形の土地。

 それほど広いとは言えないが、陥没地にあたる内側の盆地部分には穏やかな原生林が立ち並び、川も沼も湖もある。

 万年雪に覆われた険しそうな山脈が壁の上の遥か北に見えている。


 そして特徴的とも言える岩の外壁は人工物には見えなかった。

 自然活動によるものと考えたほうがよさそうだ。

 とすると、こんな地形を生み出すのはマグマ活動しか思い当たらなかった。


 この地形ができてから相当の年月が経っているはずである。

 人間を一人も見ないことから、外部と隔絶されているのは間違いない。


 人はいないけれど生物は多様だ。

 海ファミリーはネコ系ばかりだけれど、その他の種も数多く生息している。

 植物も相当の種類を見つけた。

 どれもマサミツが観察できた範囲のものなので実際にはその数倍から数十倍はいるかもしれない。




「今日もよろしく、ヴィット」


「狂い熊」討伐の日からホワイトタイガーのヴィットは嬉野コーポの庭にいることが多くなり、マサミツが外出するときは必ず付いてくるようになった。

 ヴィットに任せれば安心と思っているのか、海ちゃんはアパートで丸くなって寝てばかりである。


 ある朝マサミツがアパートの外に出たらヴィットが身体を低くしてじっとして動かない。首を傾げていたら


 乗って! 私の背中に乗って!


 というヴィットの気持ちが伝わってきた。


 恐る恐る背中に乗って首のあたりの白銀の毛をしっかり掴むとヴィットが立ち上がり歩き出した。


 それ以来、マサミツはヴィットの背に乗って静謐窼を走り回るようになった。


 目的は壁の外に出る方法を探すことだ。


 マサミツは自分一人だけで今の暮らし続けるのはいずれ限界が来ると思っていた。


 転生してこの地に来てからそれほど経つわけでもないのに、やっぱり人と話をしていないと独り言が多くなってしまう。海ちゃんやヴィットに話しかけても声が聞こえるわけじゃない。


 この世界の人間と交流し、この世界の一員として生きていかないとだめだという想いが念頭にある。


 それは直ちに叶う願いではないかもしれない。

 それほど急いで実現させる必要はないかもしれない。


 ただ遅くとも嬉野コーポが消えてしまう前に、外界に出る方法を確保しておくほうがいい。海ちゃんが静謐窼の女王であっても、ファミリーではない危険種がマサミツを襲う可能性は無くならない。

 いくら祝福がマサミツを守ってくれていても、寝ている間に突然頭や首を噛みつかれるのは勘弁してほしいと思った。



 マサミツはほぼ完成した自家製地図を片手に岩の壁を丁寧に調べて、外に続く亀裂や横穴がないか確認して回った。


「狂い熊」が潜んでいたのと同じような洞穴がところどころ見つかり期待して内部に足を踏み入れたけれど、どれも行き止まりでがっかりする。


 それでもマサミツは諦めないで探し続けた。

 祝福の力を使えば壁に穴をあけてトンネルを作ることもできるだろう。

 でも、天然の要害ともいえる外壁を破壊してまで通路を作るのは最後の手段だと思っていた。


 そうしてさらに一週間が経った。

 けれど外壁周辺を調べ終わって深い失望がマサミツを襲っていた。


 見つからない。どこにも出入口になる場所がない。

 どうやって外に出ればいいのだろうか。


 マサミツは壁の前で座り込んでいた。

 あれこれ考えをめぐらしてみたけれど、結局はひとつの答えに行き着いてしまう。


 ── 何か見逃している。外に出る方法は絶対にある。


 マサミツと海ちゃんは願いを叶えて生きていけるように、いろいろな力を与えてもらってこの地に来た。だから必ず外に出られるはずだ。


「壁に沿って階段を作って乗り越えてみる? でも向こう側へ降りるときはどうしよう。こっちと同じ階段を作ると向こうからも出入りできてしまう。それは良くない気がする。とても目立ちそうだし」


 三百メールはある壁を見上げてマサミツは呟いた。


 静謐窼せいひつしょうが外界と隔絶している土地であることがわかればわかるほど、そこに意味があるように思える。それを安易な方法で変えてはいけない気がしていた。


 ふと「狂い熊」が棲んでいた洞窟を思い出した。

 調査した洞穴の中で一番大きな洞窟で最奥まで五百メートルはあった。

 途中に「狂い熊」が立ち上がれるほどの広い空間があって、その先を進むと大きな岩が行く手を塞ぐようにごろごろ転がっていた。そこで引き返したのを思い出す。


「あれ? あの岩の先はまだ洞窟が続いてた?!」


 巨大な岩ばかりでとて通れないと思ったけれど、その先が外界に繋がっているかは確認していない。


 本当に行き止まりで通れないかもしれないけれど。


「ヴィット、「狂い熊」の住処にもう一度行こう」


 マサミツが背に飛び乗って行き先を伝えるとヴィットはすぐに走り出した。

 ほんの数分で入口に到着。

 ヴィットに乗ったまま小走りで洞窟の中を進み、前に引き返した地点までやってきた。


 マサミツは立ち上がって五感を澄ましてみる。

 微かだったけれど頬を撫でる空気の流れがあることに気が付いた。


「ああ、奥から風が吹いてきてるよ、ヴィット!」


 ヴィットが小さく みゃおん と鳴いた。


 しっかりつかまってください と言っているみたいだ。


 マサミツが首にしがみつくと同時に、ヴィットは大岩のでっぱりに爪を立ててジャンプする。


 たーん

 たーん

 たーん


 三回のジャンプで大岩の上まで登った。天井との間にはヴィットが通るのに十分な空間がある。

 マサミツはここは落盤の跡じゃないかと思った。


「よし、先に進めるだけ進んでみよう」


 大岩を乗り越えて地面に降りたヴィットが再び小走りで進む。

 ゆるやかにカーブしている洞窟が、だんだん細く狭くなっていく。

 ヴィットやゴルトでも通れる幅や高さはあるけれど、あの「狂い熊」の巨体はさすがに無理だろう。


 キラキラ光る岩壁や地下水の溜まりがあるとそのたびにマサミツは採集や調査をしたくなった。でも今はまずこの先がどうなっているか確認するのが優先だ。


 ちらりと白い点のようなものが遠くで見えた。

 それがどんどん近づいてくる。


 マサミツとヴィットは光の中に飛びこむ。

 目の前に鬱蒼とした森が広がっていた。


「ああ、やった! ここが不入の森。外の世界だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る