【恐妻家の逃亡劇】

 海鳴亭に乗り合い馬車組合の会長が宿泊している。


 この世界の移動手段と言えば馬車なので、なかなかのお偉いさんなのである。

 

「本当は噂の温泉旅館にもっと早く来たかったんだが、どうも忙しくてな!」


 ガハハと大声で笑う。


「むっ!この絵画はムハール氏のものだな!ワシくらいになるとわかるぞ!」


 廊下に飾ってある風景画に足を止めて言う。……セガール氏のです。


「本日はお一人でいらしたんですか?」


 私の問いにニヤニヤと嫌な笑い方をして言う。


「まずは……な!」


 何か含みが有りそうだが、ニッコリ笑って受け流す。


「そうですか。どうぞごゆっくりお過ごしください」


「ガハハ!そうさせてもらう!」


 私は一礼して、接客係のスタッフと交代した。

 

 春の海が窓から見える。ゆらりゆらりとした波が眠気を誘う。

 

 天気も良いし、気分もいつもの2割増しくらい明るくなるわね。


 ほのぼの~と私は思っていたけど……そんな場合ではなかった。


 スタッフが私に訴えに来たのだ。


「女将ー!聞いてくださいよぉ!あの乗り合い馬車組合の会長、すごい大変なんです」


「どうしたの!?」


 『海鳴亭』のスタッフ達は新しい人が多いと言っても、接客レベルは高いと思う。『花葉亭』である程度の研修期間を経て来ているのだ。困ってるのはちょっと珍しかった。


「お菓子とお茶を用意したんです。そしたら、お茶っ葉は最高級品のマルレーの物しか飲まない!とか売店からアイスクリームを持って来いとか食事は宴会場ではなく、部屋食に変えろとか……」


「……まあ、聞けない範囲ではないけれど、一人で対応するには、大変ね。もう一人スタッフをつけて対応しましょう」


 要望を全部聞くんですかーっ!?と言われたので、私はうーんと腕組みして、考えてから答える。


「少し他の人よりは注文が多いかもしらないけど、もしかして、家ではマルレーのお茶を気に入られて飲んでるのかもしれないし、アイスクリームを買いに行くには1階までは遠いし……お食事もゆっくりとお部屋で食べたいのかもしれないわね。ここでは家のようにくつろげる場であってほしいの。大変かもしれないけどお願いします」


 でも……と私は続ける。


「到底無理と思えるものや問題になりそうなことは報告してね。その時は私が対応するわね」


 もう一人、助っ人に経験の長いスタッフをつけて、二人で接客をしてもらえるよう頼んだ。


 実は乗り合い馬車組合の会長とは初めて会ったわけではない。


 商売人達が集まる会合で何度か話したこともあるし、馬車で物流を動かしている以上、お世話にもなっている。


 嫌な人ではなかった……と記憶している。


 人を周りに集めるのが好きなタイプで常にかこまれていた。おしゃべりも大好きだったはずだ。なので、一人で宿泊しに来たことは意外すぎた。


「何かあったのかしらねぇ」


 ポツリと呟く私。まぁ、誰しも生きていれば良い日もあるし悪い日もあるわよね。


 レイチェルのいる厨房へ行き、夕食のメニューについて話をしていると、女将!とスタッフが顔を出した。


「とうしたの!?」

 

 スタッフの慌てように私は驚く。何があったの!?


「受付に来てください!乗り合い馬車組合の会長さんの奥様がいらしてて……すっごく怒ってますっ!」


 怒ってる!?どういうこと!?


 受付にいたのは背の高い美女で、ドンッとした迫力のあるハスキーボイスが響いた。


「乗り合い馬車組合の会長はいるかしら?」


(いないと言ってくれ!)……といつの間にか様子を見に来た会長が、コソコソ柱の影から隠れて合図しているのが見えた。


 乗り合い馬車組合の会長ともあろう人が何してるんだろうと私は半眼になった。


「い・る・わ・よ・ね?」


 ごめん。売ります。許して。めっちゃ怖いです。迫力に押される。


「います……あちらに……」


 指を差す。


 会長は猛ダッシュで背中を見せて逃げようとしたが、ガッ!!と首根っこを奥さんに捕まえられた。


 す、すごい!なに!?今の動き!?


「あー、乗り合い馬車組合の奥さんはもともと騎士団にいたんですよねー」


 フリッツがひょっこり現れて言う。今までどこにいた?


「フリッツ、登場が遅くない?」


「みつかりたくなくて……めっちゃ怖いんですよー!あの人!」


 フリッツも隠れていたのね……。


「あなたっ!仕事を放ったらかして、逃亡するなんて、許さないわよっ!」


「たまに休みくらいいいだろ!?365日働いているだろおおおお!?」


「なに、言ってるの!?こないだもそう言って、カジノに行っていたでしょう!?ちょっと目を離すとこうなんだからっ!帰るわよっ!」


「そんなあああ!!」


 そろそろ助けるかな。他のお客様の迷惑にもなるし。


「奥様、よろしければお食事はこちらでしていきませんか?用意してある美味しい海の幸の食材が無駄になっちゃいますし、お風呂に入られてる間に用意しておきますから。二人分、なんとかなりますよ」


「もう!勝手に予約して、勝手に休暇作って……」


 そう言いつつ、奥さんは手を離して私の方を見た。


「お肌にも良いと評判のお湯だったわね」


「はい。スベスベになります!それに疲労回復もしますよ」


 今回は許してあげるわ!と言う。奥さんに良かったーとホッとする会長。


 その後、奥さんは温泉に入り、ほんとに肌がスベスベになったし、古傷の痛みも和らいで良かったわ!と機嫌良く、夕食の時間に話していたという事だった。


 フリッツが後から説明してくれた。


 乗り合い馬車が昔、盗賊に襲われた時に体を張って助けてくれたのが、奥さんで、乗り合い馬車組合の会長はべた惚れ。


「あんな感じの二人ですが、基本的には仲は悪くありません」


 なるほど……と、私は頷き、納得した。


 さっき様子を見てきた会長の顔が来たときよりも、明るく楽しそうであったからだ。


 乗り合い馬車、これからもご愛顧の程よろしくお願いします!と挨拶して仲良く帰っていった。


 夫婦の形はそれぞれだ。

 

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