【サマーフィッシュ】

 サマーフィッシュが食べたいと言ったのは『海鳴亭』にいらした、老齢のお客様であった。


 料理長のレイチェルに尋ねたところ……。


「幻の魚とも言われるくらい漁獲量が少ないんだよねー。とりあえず、魚市場や馴染みの漁師に声をかけてみるよ!」


 なかなか手に入れることが難しい魚だとわかった。


 お願いして、私は調理場から出た。


 どんな魚なのか本で調べてみたところ、この夏の時期にしか釣れず、体長約1メートル以上ある。白身魚で食べやすく、フライや焼き魚に向いている。……ということらしい。


 ランの間のお客様の所へ行くと気難しい顔をして部屋の外に広がる真夏の海を眺めていた。


「失礼いたします。マーフィーさん、サマーフィッシュが手に入るのか料理長に尋ね、市場や漁師さんに……」


「わかっている……やはり、難しいのですな」


 私の言葉を遮り、わかっていると呟く。


 お茶を淹れましょうかと尋ねると飲むと言われる。


「市場の方や漁師さんにお願いしています。マーフィーさんは拝見したところ、サマーフィッシュに何か思入れのようなものがあるように思うのですが?」


 腕組みをしていたマーフィーさんは腕を解いて、お茶の前に座った。


「実は長年、わしは漁師をしていた。そしてサマーフィッシュと闘い続けていた。しかしちょうど一年前、腰を悪くして船に乗れなくなったのだ」


 はあ……と重々しいため息を吐いてから、続ける。


「温泉が腰痛に良いと聞いたので来たのだが、こうして夏の海を眺めていたら、無性にサマーフィッシュに会いたくなってしまった」


 ふと、数年前にトトとテテと一緒に湖の主を釣ろうとしたことを思い出した。失敗してびしょ濡れになったけど楽しかったなぁと思い出が一瞬、脳裏に浮かんで消える。


「魚とは人を魅了するものなのかもしれませんね」


「女将さんもそう思うかね。……お願いがある!サマーフィッシュを探してくれる漁師と一緒に船に乗ってはいけないか!?」


「ええっ!?マーフィーさんがですか!?」


 腰は大丈夫なのだろうか……。


「頼む!」


 頭を下げられる。真剣な思いが伝わる。


 私はとりあえずレイチェルの知り合いの漁師さんに話を通してもらうと、返事は早く、早朝、行こう!と乗り気だったそうだ。


 私も気になって、港まで早朝、マーフィーさんを送りがてらやってきた。


「マーフィーさんって、もしかして……あの伝説の釣り人ですか!?」


 タオルを頭に巻いた若い漁師さんが船を用意しながら尋ねるとマーフィーさんは声には出さずに頷いた。


 目を輝かせる若い漁師さん。


「やっぱり!サマーフィッシュの話と名前でそうだと思いましたよ!……ぜひ!釣り方を教えてください」


「マーフィーさん、すごい釣り人だったんですね」


 私が言うと、いやいやと謙遜して首を振る。


「もう船に乗れないから、過去の人だ」


「そう言わないでくださいよ!サマーフィッシュだけじゃなく、魚に関してすごく詳しいと聞きました!ぜひ一緒に船に乗って魚のことを教えてください!」


 暗い気持ちでいるマーフィーさんに若い漁師さんは明るい声音で言う。


「若い人にそう言ってもらえると嬉しいよ」


 そう言うと船に乗り込み、私にペコリとお辞儀をする。


「気をつけていってきてください。これ、レイチェルさんから差し入れです!」


 レイチェルが作ったお弁当やお茶を渡した。ありがとうと受け取り、船は出港した。


 見えなくなるまで私は船を見送る。釣れるといいなぁ……。


 夕方のことだった。レイチェルが興奮した様子で『きた!きたわよっ!』と私を呼に来た……ま、まさか!


 厨房用の出入り口には若い漁師さんとマーフィーさんが立っていた。その下には大きな青色のケース。


「釣れたんですよ!マーフィーさん、すごいんですよ。サマーフィッシュはとても元気で動きが早く、暴れてましたが、それをゆーーっくりと流すようにして体力を削ぎつつね……」


 若い漁師さんは興奮し、語りが止まらない。レイチェルと私は覗き込む。


「これがサマーフィッシュ!?」


「サマーフィッシュだ!大物じゃないか!」


 私の問いかけにレイチェルも若い漁師さんに負けないくらい興奮していた。


 少し青みがかった銀色に輝く鱗に体長1メートルはある、美しい魚だった。


「サマーフィッシュって綺麗な魚なんですね。……マーフィーさん?」


 私は鱗を触ってから顔をあげ、マーフィーさんの顔を見ると涙を零していた。


「ありがとう……もうサマーフィッシュを釣るのは辞めようと思っていたのだ。歳を取り、体もあちこちガタがきている……しかし12歳の頃から父親と海に出てサマーフィッシュを見た瞬間に虜になった。死ぬまで辞めれないことがわかった」


「大好きなんですね!」


 そうらしいとマーフィーさんは苦笑した。


 レイチェルがよーし!美味しく料理するからね!と言って腕まくりした。


 すっかり気の合った漁師さんとマーフィーさんは二人で温泉へ入りに行き、部屋でしばし夕食の時を待つことになった。


「うわ!すごいな!!さすがレイチェルさん」


 サマーフィッシュを使った料理が並ぶ。若い漁師さんが声をあげた。マーフィーさんが嬉しそうにお酒を片手に食べだす。


 フライ、カルパッチョ、お吸い物、焼き魚、蒸した物にとろりとあんかけをかけたもの、骨せんべいなど……美味しそうと私も食べてみたくなる。


「マーフィーさん、あのサマーフィッシュに使ったルアーですけど、形も色も大きさも決まってるんですか!?」


「そうだ。あのくらいの大きさが一番……」 

 

 会話が弾む二人を微笑ましく見ながらおかわりのお酒を取りに行く私だった。


 た厨房でレイチェルが言う。


「マーフィーさんの後継者、誰もいなかったらしいよ。家族もいないらしい……サマーフィッシュに夢中になっている間に歳をとってしまったと言っていたようだよ」


 なるほど……しかし、レイチェルは嬉しそうに続ける。


「しかし、今日の漁師を気に入ったらしい。弟子になったようだよ!伝説釣り人マーフィーといえばけっこう気難しい釣り人と聞いていたが、アイツなら人たらしだから大丈夫だと思ったよ!」

 

 アッハッハとレイチェルは若い漁師さんのことをそう言う。


 サマーフィッシュが生きがいだったんだなぁと納得する。


 マーフィーさんはサマーフィッシュ料理をたいらげ『また会おう』そう長年の戦友に声をかけるように言ったのだった。


 その後、貴重なサマーフィッシュは夏の間『海鳴亭』で口にできることになった。

 

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