雨の日のセイラ

 今日は何日だったっけ……?ああ、そういえば、今日は休暇前の成績順位発表の日だ。これが終わると明日から学園は休暇に入る。


 ムクッとベッドから起きて、簡易な洗面所で顔を洗い、歯を磨く。


 鏡の向こう側には眠くて不機嫌そうな目をした自分の顔。あ……寝癖。適当にチョイチョイッと黒髪に水をつけて、ブラシで直しておく。1つに纏めて縛っておけばバレないだろう。黒の制服を上までキッチリボタンをとめて着る。


「あー!セイラが来たのだ!」


「今回も一番なのだ!」


 いつも騒がしい双子が私に声をかけてきた。他の人の視線がこちらを向く。壁に順位が張り出されたところを生徒たちが見ている。


 毎回思うけど……誰がこの張り出された順位で得するのかしら?私は見もせず通り過ぎる。


「トト、テテ、おはよう。教室でね」


 挨拶をし、歩く背中に嫌味な声がする。


「なにあれ!?一番とって当たり前って態度!?」


「相変わらず、無愛想で可愛げねーな!」


「学園きっての天才って言われてても、あれじゃあなぁ」


 聞こえるように言っているのがわかる。名も知らぬ人達だけど。


 教室に入るとジーニーとリヴィオが楽しげに話していた。


「オレの家に遊びに来いよ。おまえ、別宅といえど、学園だとあんまり休暇って感じしねーだろ?」


「今回の休暇もお言葉に甘えようかな。何より王都で遊びたいしな」


 私に気づいてリヴィオが言う。


「セイラもどうだっ!?一緒に休暇を過ごさないか?」


「私?……やめとくわ」


 リヴィオが猫耳があったらしょんぼり垂れている表情になる。なぜ?誘って来たんだろうか?なんでガッカリしてるのだろう?


 誰に誘われたところで父は許さないから行くことはできない。忙しい祖父にはこちらから連絡はとれない。運が良ければ祖父から何日か休暇を一緒に楽しもうと連絡が時々来る。


 私がこの学園にいることすら、家族、皆忘れているだろう。


 でも祖父のおかげで名門エスマブル学園に入学させてもらえ、学べ、居場所を与えてもらっていることだけでも私は感謝すべきなのだろう。そう言い聞かせる。


 教室の席に静かに着いて、本を開く。今はあまり表情を見られたくない。顔の近くまで本を持っていき、隠す。


「また勉強か……」


 ジーニーが小さい声で呟くのが聞こえた。


 読書をしている時や勉強をしている時は余計なことを考えなくて済む。ただそれだけだ。


 次の日は朝から、皆が楽しそうな声で廊下を行き来する。バタバタと騒がしい。何台も馬車が停まっては動いて去っていく。


 少しずつ静かになっていく学園内。

 そっと廊下へ出る。以前に『休暇を学園で過ごすなんて信じられない』『いらない子なんでしょ』『家族からお菓子やプレゼントや手紙を送られて来たのも見たことない』などと嘲笑されてからは皆がいなくなるまでジッと自室に籠もっていることが正解なのだと理解した。


 歩いて正門が見える窓辺へ行く。皆が帰ったことを確認するために。それは一人になったことを意味するが、心が苦しくなるような余計なことを耳にしなくて済むので、今はそれがホッとする。言われることには麻痺して、慣れてきてるけれど……やはり現実は辛い。


 最後の一台が停まっている。カムパネルラ家の馬車だ。たいていジーニーを連れて行くので、最後になっているようだ。


 リヴィオが馬車に乗ろうとして、ふと私の方を見た。視線が合う。私は慌ててカーテンの後ろへ隠れた。見ていたのがバレた?そんなはずない……。そっとカーテンの影から見ると馬車は出発した後だった。


 そう。それから何度も休暇があったが……必ずリヴィオは見上げていた。私がいつも見送る窓を。


 ガバッと私は起きた。雨の音がした。春の雨は肌寒さを感じる。少し頭痛がする。


 嫌な夢だ。……学園の時の夢を見るなど久しぶりである。雨の薄暗さもあり、気持ちがどんよりとした。


 今の私は『花葉亭』の女将でナシュレの領主で……現実に頭を戻していく。頭もなんだか重いが体もだるい。


 こんな日は何をしてもうまくいかない。


「あー!あんたじゃだめだ!所詮、女だな!おい!おまえが案内してくれ」


 酔っ払ってしまったお客さんを怒らせてしまった……近くにいたリヴィオが呼ばれる。


「酒癖わりー客はあぶねーから、任せろって言ってるだろ?」


 小声でそういって、私と交代した。


「女将!?どうしたんですか?」


 つまずいてコケて料理をこぼしてしまう。驚くスタッフ……めったにないミス。料理長に謝りに行く。


「料理遅いよ!」


「申し訳ありません……ただいま持ってきます」


 それで料理の提供時間が遅くなる。


 だめだ……だんだん頭痛がひどくなってきた。  


「女将……顔色が悪いです。今日は休まれたらどうでしょう?」


 休憩室に入るとスタッフたちが心配する。顔色に出ているなんて……私、だめだ。女将失格じゃない。


「おい……ちょっと、こっち来い」


 リヴィオが手招きし、呼ぶ。廊下に出ると、手を引いて歩き、玄関へ連れてこられた。傘を渡される。外はシトシトと細かい雨が降り続いていた。


「今日は帰れ。屋敷へ戻れ。後はオレがする」


「大丈夫よ!やれるわよ!」


 このくらいの体調不良で抜けていたら仕事にならない。リヴィオがいいから!と傘を開いて肩を掴んで中へ入れる。


「帰らねーなら、無理やり屋敷まで送っていくからな!」


 金色の目が真剣に怒っている。でもそれが私のために言っているということは理解できる。


「わかったわ……ごめん」


「疲れてるんじゃないか?ゆっくり休んだほうがいい。こんな日もあるさ」


 私は傘をさして、雨が降る薄暗い道を歩く。気持ちがどんよりしている。足取りが重い。


 今更……昔の夢を見たから、どうだというのだろう?昔の寂しさなんて、今はないのだから。意味のない落ち込みように私は自分が嫌になる。


 屋敷に帰ると執事のクロウが待っていた。来ることをわかっていたようだ。


「おかえりなさいませ。お風呂の準備ができてます」


「お風呂??」


「ハイ。リヴィオ様が用意をしまして……なんでもヨモギ風呂と言ってましたかな?いい香りです」


 私は目を丸くした。いつの間に!?


 ……そういえば、昼の休憩時間にいなかったような?


 雨で思った以上に体は冷えていた。お風呂に入って温まる。じんわりと手足が暖かくなる。湯気が立ち上り、ヨモギの香りが強くなる。薬草風呂ね。トーマスに良い薬草がないか聞いてリヴィオがヨモギを摘んできてくれたらしい。


 ヨモギの匂いってお団子を思い出してしまう。美味しい草団子の匂いだわとフフッと笑う。


 ……私、今日、初めて笑った気がする。どうかしていたわ。

 

 手足を伸ばしてゆっくりと長めにお風呂に入った。


 それから自室へ行き、布団へ潜り込む。ホカホカと暖まり、サッパリした心地よさでウトウトと眠った。


 気づいた頃には夕方だった。随分寝てしまったわ。頭痛もとれている。


 暗い部屋が嫌で慌てて、明かりをつけるとメイドが気づいたようで、お腹空いたでしょう?お食事持ってきますね!とドアをそっと開け、声をかけてくれる。


 自室で食事をするのは久しぶりだった。いたれりつくせりだ。


「お嬢様、最近お忙しかったようですから、お疲れだったんですよ」


「そんなに私、顔に出ていた?」


 メイドにまで言われる。野菜スープをよそって、お皿に焼き立てパンをのせ、横にはトロリとしたジャムと四角いバターを置いてくれる。


「はい。皆が心配しておりました」


 熱々の白身魚のフライの皿を給仕係が持ってきて頷く。白いタルタルソースがかかっている。サクサクとした衣を楽しむ。


「そっかー……」


 フルーツの入ったサラダを食べる。


「食欲も戻っておられますね。最近、残しがちだったでしょう?デザートもありますよ」


 給仕係が嬉しそうにそう言う。


 確かにこうやってのんびりと夕食を食べたのも久しぶりかもしれない。

 

 早目に今日はベッドに入った。明日はこんなことがないようにしよう。


 私は夜、なぜか灯りをすべて消せない……小さい灯りだけ朝まで残しておく。小さい子どものようであるが、ずっと習慣になっている。


 トントンとノックされる扉。


「どうぞ?」


 ヒョコッとドアから顔を出したのはリヴィオだった。風呂上がりらしくタオルを頭から被っている。


「だいぶ良くなったか?」


 ベッドのそばまで来ると、端に座る。ヨモギの匂いがした。 


「うん。ヨモギのお風呂も仕事もありがとう。助かったわ」


「……いや」


 リヴィオは何かを確認するかのように金色の目でジッと私を見て、ホッとした顔になった。


「朝、学園のときのセイラに戻っていたから、どうしたのかと思っていた。笑いもしねーし、

声をかけても返事がろくに返ってこねーし……」


「リヴィオは休暇に入る前に……馬車に乗る前にいつも窓を見上げていたけど、目が合っていたのは偶然だったの?」


 唐突な話題に驚いたような顔をして私を見たリヴィオ。


「いいや。偶然なんかじゃねーよ……いつも、連れていきたいと思っていた。休暇に入るたびにセイラは学園で一人で過ごすのか?と気になっていた。オレも子供だったから一回断られてからは怖くて誘えなかったけどな!」


 そう言って笑った。

 私はポロポロと涙が溢れる。


「はあ!?今、泣くような話だったか!?」


 私は私が学園で一人でいることを誰も気にせず楽しく休暇に行くのだと思っていた。誰の中にも存在していない自分だと思っていたのにリヴィオは気づいてくれていたのかと……あの頃からずっと?


「大丈夫か?……まあ、なんで泣いているのかわからないが、泣きたいだけ泣けばいい」


 リヴィオはわけがわからないと言いつつ、私に自分のタオルを寄越す。


 泣けなかったあの頃の分の涙が止まらなかった。


「……よし!今日はオレもここで寝ていく」


「なっ!?何!?」


 私の横へ来ると寝転ぶ。


「オレをタオル代わりに使っていいから」


 そう言って添い寝!?な、なに!?この状況は!?固まって動けない私。涙は驚きで止まり……。


 しばらくして、私の代わりに仕事を頑張っていたリヴィオは疲れていたらしく、数秒で寝落ちし、爆睡するのであった。心地よさそうな寝顔。


 ……猫は一日のうち、殆ど寝て過ごすらしい。彼もまた『黒猫』というだけあって……いやいや!ちょっと待って?おかしいよね?


 じ、自分の部屋で寝なさいよおおおおお!!!


 ……ほんとに!もー!と怒りつつ、心配してくれてありがとうと小さく呟いた。







 


 

 

 






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