悪い魔女は、献身的

A

第1話 悪い魔女は、献身的



 自分を犠牲にして、人に尽くして、不幸になる。

 最初は、バカな女だと思っていた。

 

 でも、それが例えどれだけ過酷な道でも歩みを止めず、ひたむきに進み続ける強さ。

 そして、自分がどれだけ辛くても失わない優しさに心を奪われてしまった。


 悪しき魔女。確かに、その名はお前にふさわしいのかもしれない。 


 だって、何かに縛られることを最も嫌っていたはずのこの俺を、これほどまでに惹きつけて、がんじがらめにして、全てを捧≪ささ≫げさせてしまうのだから。











◆◆◆◆◆










 ドアを蹴破るような大きな音に、意識が覚醒する。

 どうやら、いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。



「悪しき魔女、クーデリアよ。貴様を死刑とする」



 大きな声とともに、金属の擦れるような音が近くから聞こえてくる。

 恐らく、私は武装した何者かに取り囲まれているのだろう。直接見えなくても、何となく状況は理解できた。



「貴様が諸悪の根源であることは既に分かっている。どれだけ取り繕うとも、この私、ウィリアム・レイ・ガーハルドの目だけは誤魔化せん」


 

 ガーハルド、確かそれは一番大きな国の王族の家名だったはずだ。

 若そうな声に、騙されたのか、功に焦ったのかはわからない。

 だが、どうやら彼は、私を政治の供物にすることを決めたらしい。

 


「魔物を呼び寄せ、それを自分で討伐し、よくもそんなことを考えつくものよ」


 

 そんな事実は一切無いが、今の私には声を出すことすらできないので諦める。

 いや、どうせ、何か言えたとしても無駄なのかもしれない。



「正義のため、死ね。そうすれば、世界は正しい形に戻る」



 自分が幸せになれないことはわかっていた。

 強大な魔術を使う度、代償を支払うことになる私は、そもそもそんなこと最初から諦めていたのだから。



「ようやく、長きに渡った戦の時代は終わる。他でもないこの私の手で」


 

 自分に酔ったような演説。

 もしかしたら、彼が王宮に呼ばれ、不在であることも全て仕組まれたものだったのかもしれない。


 しかし、せめて、終わりくらいは穏やかに過ごしたいというのはこんな私には欲張り過ぎたのだろうか。


 私を愛してくれとは言わない。感謝してくれとも言わない。


 ただ、静かに、最後の時を迎えられればそれでよかったのに。


 







◆◆◆◆◆






 



 赤い瞳に真っ白な肌と髪を持つ私は、小さい頃から怪しげな子として忌み嫌われてきたが、使える魔術がわかってからはそれはさらに顕著になった。



 願った者の何かを代償に、強大な力を行使する魔術



 最初は、奇跡の力と呼ぶ者もいた。

 しかし、永遠の命を願ったものが肉と皮を奪われ言葉を話す人骨となり、最強の力を求めたものが知能を奪われ暴れるだけの肉塊となる。

 

 そんなことが続くうちに、私が悪しき魔女として迫害されるのにそう時間はかからなかった。 

 支払われる代償は、私自身にも選べないというのに。

 





 


 力が強すぎるが故に直接的な暴力を受けることがなかったのは幸運だったのかもしれない。

 ただ、どこに行っても受け入れられることはなく、魔物に襲われ瓦礫となった村や街を寝床とする長い孤独な旅路は続いた。


 そして、その流浪の果てに、私はいつしか思うようになっていた。


 人は魔物達に追い込まれ、他者に優しくできるほどの余裕が無い。

 力の差は歴然で、いくつもの国々が暴力の波に飲み込まれ、勢力圏が日ごとに狭められていく。


 こんな世界では、私のような異端が受け入れられることはこの先も無いだろう。

 

 幸い、力だけはある。それならば、余裕のある私が世界を救ってみるのも一興かもしれないと。 


 


 日が登り、落ち、それを繰り返すうちに、やがて私は一人きりで戦い始めた。

 それが感謝や賞賛からは程遠く、余計に恐れられるようになるだけの茨の道だとしても関係ない。


 切り拓いた道の後ろで私の代わりに笑える人がいる、たったそれだけでもこの身の存在価値はあると思えるから。














◆◆◆◆◆










 魔術を行使し、魔物を滅ぼし続ける日々。

 その拓≪ひら≫かれた大地は、諸各国の統治者にとっては都合が良かったらしく、我先にと軍隊が進軍するようになっていた。


 もちろん、最前線には私しかおらず並び立って戦うことは無い。 

 いやむしろ、私と一緒に戦える者などいないというのが正しいだろうか。


 でも私には、それでもよかった。

 人の領域が広がっていけばいくほど戦場は人の住む場所から離れ安心を与えていく。


 なら、それでいい。

 私には私の、彼らには彼らの、それぞれの役割を果たしていればそれで世界はうまくいく。

 












 しかし、そのままずっと一人で戦っていたある日の夜、人の領域からほど遠い場所で人に声をかけられた。



「あんたが噂の魔女殿か?」



 最初は見間違いかと思った。こんなところに人がいるはずなんて無いと。

 だが、何度見返してもそれは確かに人で、戸惑いながらも言葉を返した。

 


「…………貴方は?」


「ん?俺は、ロイ。ただの流浪の戦士だよ」


 

 極めて簡潔な自己紹介をする巨躯の男、確かにその体からは圧倒的な力を感じた。

 それに、その背にはその立派な体に見合う巨大な剣が背負われており刻まれた傷から相当使い込まれていることが窺がえる。



「その戦士様は、どうしてこんなところに?」


「ああ。噂の魔女殿とやらを一度見てみたくてな」


「噂ですか……どんなものかは知りませんが。それは恐らく、私のことでしょう」


「やはりそうか。でも、なんというか意外に小さいんだな」


 

 その言葉に少しだけ怒りを覚える。

 確かに、私は小さく大人の女性といえる体つきでは無いだろう。

 しかし、見ず知らずの者にそんなことを言われる筋合いは無いはずだ。



「……貴方が大きすぎるだけでは?」


「ははっ。すまん、悪気は無いんだ。ただ、化け物が暴れたみたいな戦場跡だったから勝手にそれ相応の外見だと思ってただけだ」


「なるほど、そういうことですか」



 人ならざる力。どうやらこの男は、それを見て恐怖ではなく好奇心を覚えたらしい。

 恐らく、相当な変わり者なのだろう。



「しかし、悪しき魔女と聞いて恐ろし気な老婆くらいを想像していたんだが……蓋を開けてみれば、こんなに可愛らしい外見だったとはな」


「可愛らしい、ですか?」



 そんなことを言われたことは一度も無かったので、戸惑う。

 赤と白が混じり合った不吉な外見。それ以外のことを私に抱く者などこれまでいなかったというのに。 



「おう。どっちかというと好きな部類だ」


「…………変わってますね」


「あんたに言われたくはないな。たまに必要な物資だけ貰いに来ては毎日のように暴れ回っている狂人と聞いたが?」


「狂人ですか。確かに、普通の人から見ればそうなのかもしれませんね」



 戦う理由が理解されないことは分かっている。それが逆に不気味だと思われていることも。

 だけど、そんなことはどうでもいい。ただ、私は私のしたいことをしているだけなんだから。

 


「実際のところ、戦う理由はなんなんだ?名声や、富、そんなものではないんだろ」



 それはそうだ。それらが欲しいならばもっと立ち振る舞いを考える。

 しかし、私はそれはしない。むしろ、万が一にも傷つけてしまわないよう近づかせないことこそが最善だろう。

 


「…………私は、ただ助けられるのなら助けたいだけです。それができるだけの力もありますし」


「は?正気か?」


「…………何と言われてもかまいません。理解されないのはわかっています」


 

 きっと、私という存在はもうずっと昔に壊れている。

 守るべき自己が無いからこそ、こんな狂った行いが出来るのだ。



「ははっ、まるで聖女だな。やっぱり、噂ってやつは当てにならないもんだ」



 どんな噂を聞いたかは分からない。

 しかし、それはかなり悪い印象を与えるものだったのだろう。



「聖女なんて綺麗なものじゃありませんよ。ただの狂人、本当にその通りでしょうから」


「そうか?少なくとも俺は、自分を持ってるやつは嫌いじゃない」


「…………本当に、変わった人ですね」


「こんな荒廃した世界だ。変わってるくらいがちょうどいいのさ」


「ですが、変わっているとはいっても限度があるでしょう。服装を見るに、どこの国にも仕えていないようですが」 

 

 

 その身に纏ったものには、どこにも所属を表すものが見受けられない。

 戦いを生業とするものであれば、物資や装備、それに安全な拠点の確保などのメリットを鑑みて普通はどこかの国に仕えるものなのだが。



「何かに縛られるなんて死んでもごめんだね。自分の意志で剣を振るい、戦い、そして戦場で死ぬ。それが俺の生き方だ」


「その力を誰かのために使うことは無いと?」


「そうだ」


「なるほど、それもまた一つの道なのかもしれませんね」


  

 この残酷な世界で、人は何かを守るために何かに縛られることを選ぶ。

 家族に、村に、街に、国に、そうでなくては生きてはいけないから。

 

 しかし、そんな中でも彼は自由を選ぶらしい。それは、ある種の尊さすら私に感じさせた。



「ほう、怒らないんだな。大抵、人のためになんて考えを持つやつはこんなこと言うと怒りだすもんなんだが」


「世の中に、真の意味で正しいことなんてないと思うので。それこそ、魔物の命を奪うこと自体が相手からしてみれば悪ですから」


「は?……あっはっはっはっ。あんた、面白いな!やっぱり嫌いじゃないタイプだ」


「そうですか。別にどちらでもいいですけど」



 目の前の彼は、どうやらさっきの発言が相当ツボにハマったらしい。

 腹を抱えて笑った後、こちらに上機嫌そうな笑顔を向けてきた。



「こんなに笑ったのは、久々だ。そうだ!あんた、前衛はいらないのか?少しなら手伝ってやるぞ」


「確かにそれは、ありがたいですが。持ち合わせなどほとんどありませんよ?」


「あっはっは。その見すぼらしい服装と装備を見りゃわかるさ。別に何も要らないよ。ただ気が向いただけさ」


「…………なら、一度貴方の戦いぶりを見てから決めさせて貰ってもいいですか?巻き込んで殺したくないので」



 私がそう提案すると、彼は驚いたような顔をした後、優し気な顔で笑った。



「それでいい。あんた、名前は?」


「クーデリアです」


「いい名前だ」


「そうですか?ただ、生まれ場所の近くにあった湖の名前というだけなんですが」



 物心ついた時には、親に捨てられ既に一人で生活していた。

 自分の名も知らず、不便であるからという理由だけでただ付けた名前だった。



「それでもだ。少なくとも俺は、あんたに似合う綺麗な響きだと思った。それに、もうそれはあんただけのもんだろう?」


「…………確かに、そうですね。ありがとうございます」


 

 持って生まれた魔術と不吉な外見、それらしか私は持ってないと思っていた。

 家族も、友人も、何もかも。


 それに、得られるものも悪意ばかりで褒められるような何かがあるなんて考えたこともなかった。

 しかし、少なくとも私は、自分だけの名前を持っているらしい。



「意外に素直なんだな。もっと擦れていてもおかしくない境遇だろうに」


「私なんかを騙しても何もメリットが無いとおもっただけですよ」


「ははっ。あんた、ほんとに金目の物は何も持って無さそうだしな」


「最低限のものさえあれば、困らないので」


「欲の無いことだ」

 

 

 どうせ、何か持っていたとしても嵩張るし、邪魔になる。

 戦うのに必要な物さえあれば、それで十分だ。



「とりあえず、その目元の隈を見るにあんまり寝てないんだろ?今日の夜警は俺がしてやるよ」


「不要です。慣れてますから」


「はいはい、そうかい」


「でも、気遣いはありがとうございます。嬉しいです」


「…………なんか、調子狂うぜ。まぁいい。なら、明日また来る」 

 


 頭を掻きながら立ち上がった彼が、目で追えないほどの速度で掻き消える。

 そして、それとともに近くにいた魔物の気配が根こそぎ無くなっているのが分かった。



「優しい人ですね」



 今日は、もしかしたら夜に起こされることは無いのかもしれない。

 私は、そんなことを思いながら浅い眠りについた。










◆◆◆◆◆









 あの日からしばらくの時が過ぎ、私はロイと共に戦うのが日常になっていた。 

 

 彼は本当に強い。目の前では嵐のような剣閃が走り、次々に魔物がその命を散らしていく。


 それに、戦場を俯瞰しているとでもいうのか全体を把握する力が尋常ではないようだった。



 私が遠距離魔術を行使しようとすれば、一際派手に暴れて注意を自分に引く。

 そして、自分の剣が通りづらい相手を見ると、そちらに背を向けて私に相手を任せる。


 敵の動きを先読みし、先回りし、効率的に殲滅する。


 荒々しいようで、実に繊細かつ合理的な戦い方だと思う。







「これまでの戦いが嘘みたいですね」


「そりゃ、お互い様だ。お前の魔術を見たら、他の魔術師の力がお遊びにしか見えないぜ」


「まぁ、怖がられるにはそれ相応の理由があるんですよ」


 

 周りを見ると、夥しい数の魔物の死体がいくつもの大きな山を形作っていた。

 


「確かに、これは人ならざる力だ。しかし、代償とやらは大丈夫なのか?」


「今日は大きな魔術を使っていないので、大丈夫です」


「そうか。ならいい」



 私の魔術の行使に代償があることは既に伝えている。

 本当に大きなものを使わなければ、微かに寿命を削るだけで抑えられることも。



「今日は、このくらいにしておくか」


「そうですね。そろそろ………………」



 こちらが了承の意を示そうとするも、どうやら彼はそれを待つ気はなかったようで、私を背に抱え瞬時に移動を始めた。

 


「はぁ、本当に自由な人ですね」


「早く休みたいんだよ」



 まるで空を飛ぶような動きに、あっという間に景色が流れていく。

 しかし、私に当たるはずの空気の壁はその大きな体に阻まれてほとんど感じることは無かった。



「そうですか」


「ああ」



 愛想なくそう言う彼は、ぶっきらぼうなようで、その実優しい。

 彼の無尽蔵の体力を考えれば、速やかな野営は私の体を気遣ったものとしか考えられないだろう。



「いつも、ありがとうございます」



 その言葉に返答は無い。

 しかし、その仄かに赤く染まった耳に、私の胸はじんわりと温かくなっていった。










◆◆◆◆◆


 







 ロイと会ってから一年が経ち、相手も追い詰められてきたのかこちらを警戒するようになってきた。

 苦戦を強いられることも増え、明らかに知性を感じさせる敵の動きを感じることさえあった。



「今後、自分を守る以外で強力な魔術は使うな」


 

 激戦の後の野営。

 パチパチと音を鳴らす火の反対側で、いつも飄々としたロイの珍しく怒った瞳がこちらを射抜いている。



「…………もし、使わなければ貴方は傷ついていたはずです」



 咄嗟に放ってしまった魔術に後悔は無い。

 いや、むしろ自分の取った行動に誇りすら感じていた。



「それでもだ。致命傷を負うことは絶対に無かった」



 こちらによそわれたスープにはたくさんの野菜や、貴重な肉が入れられている。

 当然、気遣ってくれるのは嬉しい。

 しかし、彼と同じように私にも譲れないものがある。



「私は、貴方が傷つくのを黙って見ていることなどできません」


「っ!傷はいずれ治る!だが、お前の支払った代償は永遠に取り戻せない!!」


「それは、私が一番わかっています」


「………………自分の体を大切にするべきだ」


「今日は、随分情熱的ですね」


「俺は、ふざけてるんじゃない。本気で言ってるんだ」



 いつになく真剣な顔に、らしくない焦りを感じ不謹慎ながらも嬉しく思ってしまった。



「わかっています。でも、私がそういう人間だとわかっているでしょう?」


「ああ、分かっている。自分の傷よりも他人の傷を気にする愚か者だってことは」


「そうです。だからこそ、私は何を言われようと同じことをします。初めてできた仲間を万が一にも失いたくないので」


「…………本当に、頑固者だよな」


「ふふっ。自分を持ってるやつは嫌いではないのでしょう?」


「はぁ。最近では、ちょっと考えが変わりつつあるがな」



 呆れたように笑うロイに、最近ようやくぎこちなさが抜けてきたらしい笑顔を返す。

 本当に、彼にはたくさんのものを貰った。だからこそ、私はどうしても守りたいのだ。 

 何を代償に払ったとしても。








◆◆◆◆◆







 


「こいつらは本当に、臭うな」



 周囲にはたくさんの屍。

 腐敗の力を宿すそれらは、嗅覚すらも人並外れているロイにとっては我慢できないほどの臭いなのだろう。



「そう、ですね」


「…………隠さなくていい。後は、何が残っている?」



 隠しているつもりだったが、どうやら彼にはばれてしまっていたようだ。

 日増しに激しくなる戦いの中、私は多くの物を失い既に嗅覚も、味覚もほとんどなかった。



「目は見えますし、耳も聞こえます。まだ戦えますから」


「……………………もう十分だろう。お前は、休むべきだ」



 眉間に皴を寄せ、感情を抑えるようにそう言い放つロイの言葉に頷くことはできない。



「それはできません。貴方を助けられるうちは、何が何でもついていきます」


「…………そのせいで、全てを失ってもか?」


「愚問ですね。答えは分かり切っているでしょう?」


「…………そうだな。お前はそういう奴だ」


 

 彼は強いが、決して無敵ではない。

 どうせ、先の無いのはわかっている。

 それなら私は、例え何を犠牲にしたとしても彼のことを守りたいのだ。











◆◆◆◆◆









 

 

「最近は、俺達のいない戦でも連戦連勝らしい。もしかしたら、人類の勝利とやらも近いのかもしれないな」


「そうなると、いいですね」


「…………お前が、軒並み強い魔物を討ち滅ぼしたからだ。誇っていい」


「それは、ロイが手伝ってくれたからでしょう。本当に、感謝してるんですよ?」


 

 最初の頃、自由気ままに戦場を選んでいた彼は、今では明らかに諸各国の軍隊を意識した動きをしていた。

 相手の強いところに自分をぶつけ、味方の弱いところを相手にわからせないように庇いつつ、毎日戦場を駆けまわっている。

 


「別にいいさ。俺がしたくてしてることだからな」


「そうですか。それは、嬉しいです………………本当に」



 初めて会った日、私とロイの向いた方向は明らかに違っていた。

 でも、今の彼は私に寄り添ってくれている。それが、これ以上無いほどに嬉しかった。 

 









「お前が戦わなくてもいい世界になったら、どうするんだ?」



 強くなる眠気の中、彼からふとそう問いかけられ考える。

 しかし、特に何も浮かんでくるものはなかった。 



「どうするんでしょうね」


「何でもいい。何か無いのか?」


 

 そう言われても、戦いの先のことを考えたことなんてなかったので正直困ってしまう。



「私は、静かに終われればそれだけでいいです」


「………………相変わらず欲のないことだな」


「知っての通りつまらない女ですから。ロイは、何かあるんですか?」


「俺は…………どうするんだろうな」


「ふふっ、大して私と変わらないじゃないですか。でも、決まったら早めに教えてくださいね?」



 残っているものは、もうほとんどない。

 味覚も、聴覚も、嗅覚も、視覚も、触覚もほとんど全て捧げてしまった。

 それこそ、今もこうして魔術で補強していなければ彼と喋ることさえできないだろう。

 


「………………ああ。すぐに考えるさ」


「そうしてください。では、私はそろそろ限界なようなので寝ます。本当に、いつも申し訳ありません」


「……別にいいさ。おやすみ」


「ありがとうございます。おやすみなさい」


 

 日増しに早くなる眠りに、長い孤独な夜を送る彼は何を思っているのだろう。

 考えても無駄なことだとわかりつつも、最近の私はいつもそんなことを考えてしまっていた。











◆◆◆◆◆










「これで、終わりか」


「そうみたいですね」


 

 目の前には、脳天にロイの剣が突き刺さった状態で巨大な竜が横たわっている。

 遠くで聞こえる歓声に、改めて長い戦いが終わったことを感じさせられた。



「帰るぞ」



 しかし、余韻に浸るでもなく、唐突にそんなことを言いだしたロイの言葉に驚く。



「え?どこにですか?」


「俺達の家だ」


「私達の家?」


「そうだ」



 聞き返そうとする私の言葉を待たず、いつものように広い背中が私を包み込む。

 本当に、自分勝手で、自由で、それでいて優しい人だ。

 


「いつの間に家なんて用意してたんですか?」


「物資の調達の時に手配しておいた」


「ふふっ、そうなんですか。どんな家か楽しみです」


「…………湖も買い上げた」


「もしかして、私が名前を貰った湖のことですか?」

 

「そうだ」



 家はまだ分かる。

 しかし、私と同じように無駄なものをあまり持ち歩かないロイがそんな物を所有することはとても意外だった。



「湖なんてどうするんですか?」


「知らん」


「ふふっ。なんですか、それ?」


「ただ、欲しかっただけだ」



 彼の体にぶつかって砕けた柔らかい風がとても心地がいい。

 それに、子供みたいな台詞を言う彼に思わずクスクスと笑いが漏れてしまった。



「なら、仕方がないですね」



 彼が、何を考えているかは正直なところよくわからない。

 しかし、愚かな私は考えてしまうのだ。

 

 それが、彼なりの愛情、私への執着であればいいなと。




 




 

◆◆◆◆◆


 






「金を貰ったら。すぐに戻ってくる」


 

 渋っていた彼を諭し、ようやく迎えた王宮に向かう日。

 何度も繰り返される言葉に呆れつつ頷くと、しばらくして扉を閉める音が微かに聞こえてきた。

 

 

 彼の不在に寂しさはある。

 しかし、今の私はほとんどの時間を眠って過ごしているのだからあっという間に感じられるだろう。

 

 それに、世界が変わりつつあるのを、魔術を介して見るのもなんだかんだ楽しい。

 

 子供達が、ロイの格好を真似て走り回る。

 軽装の旅人が、そこら中に建てられ始めた彼の銅像にお辞儀しつつ街道を歩く。

 

 きっと、魔術を使っているところをロイが見れば怒り出すだろうが、残り少ない時間くらいは好きなようにさせて欲しかった。


 そもそも私は、世界を救った英雄様を出来る限り早く、魔女の呪縛から解放してあげたいのだから。

 









 

 ドアを蹴破るような大きな音に意識が覚醒する。

 どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。



「悪しき魔女、クーデリアよ。貴様を死刑とする」



 大きな声とともに、金属の擦れるような音が近くから聞こえてくる。

 恐らく、私は武装した何者かに取り囲まれているのだろう。

 直接見えなくても、何となく状況は理解できた。





 

 そして、そのまま自分に酔ったような演説が続き、やがてそれは終わりを迎えたようだ。

 


「殺せ。首を掲げて凱旋し、私の功を示す」


 

 命を刈り取る指示に、金属音がさらに近づいてくるのがわかる。

 

 望んだ形では無かったが、まぁそれも仕方が無いのかもしれない。

 始めから道を外れていた私には、相応しい最後だろう。

  

 それに、出来る限りロイを庇うような形で手記は残しておいた。

 

 願わくば、その英雄に相応しい評価を。

 私はそう思いながら自分の最期を受け入れた。
















「悪いが。それは、俺の女だ」



 何故か、聞きなれた力強い声がすぐそばから聞こえる。



「死にたいなら止めないが。どうする?」


「ひぃっ!」


 

 五感をほとんど失ってさえ感じるほどの圧倒的な殺意に、兵士達が声にならない悲鳴をあげながら逃げていくのが分かった。



「お前は、待て」


「っ!た、助けてくれっ!金か!?地位か!?なんでも、望むものをやる!!」


「望みは一つ。俺達に、二度と手を出すな」


「わ、わかったっ!二度と手なんて出さないし、近づくこともしないっ!!」


「いいだろう。ほら、さっさと行け」



 先ほどの演説の主とは思えないようなひっくり返った声に思わず笑いがこみ上げてくる。

 もちろん声には出せないものの、ロイにはそれが分かったらしい。



「はぁ。俺の気も知らないで、のんきなもんだな」



 別に、のんきなわけでは無い。

 ただ私は、彼を早く解放してあげたいだけなのだから。



「……………………やっぱり、死にたいのか?」



 その言葉に微かに頷いて見せると、しばらく彼は何も発さず沈黙が流れた。



「…………俺から、解放されたいか?」



 それは違う。むしろ、私は彼といたい。この先も、ずっと。

 再び尋ねられた問いに最大限の力で首を横に振ると、安堵したような吐息が聞こえてくる。

 

 

「…………そうか」



 安堵と、諦めの混ざり合った複雑な声色。

 私の時間がもうほとんど残っていないことは、当然彼にもわかっているだろう。

 


「………………お前が、嫌がるのはわかってる。でも、一つだけ試したいことがあるんだ」



 いつになく真剣な、その強い覚悟を滲ませた声。

 彼が言おうとしていることが理解できた私は何度も首を横に振る。何度も、何度も、繰り返し。



「………………頼む、クーデリア。このまま何もせずお前を失えば、きっと俺は自分さえも見失ってしまう」



 ロイらしくない自信の無さそうな声に、切なさと、苦しさがこみ上げてくる。


 だが、彼がしようとしていること……私の魔術の行使を受け入れることはできない。


 永遠の命を願ったものが肉と皮を奪われ言葉を話す人骨に。

 最強の力を求めたものが知能を奪われ暴れるだけの肉塊に。


 人の欲望をあざ笑うかのような、そんな呪われた力に大切な彼をゆだねることなど絶対に嫌だ。



「奇跡の力なんてものからかけ離れたものなのは知ってる。でも頼む、クーデリア…………俺に足掻かせてくれ。黙ってお前を見送るなんて、やっぱり俺には無理だ」


 

 すすり泣くような彼の声に、どうしていいのかわからなくなる。

 頭がぐちゃぐちゃになって、呼吸すらもうまくできなくなってしまう。



「そして何より、全てを捧げたお前が誰にも報いられず終わってしまうことが我慢できない。見た目がなんだ、力がなんだ!こんなに優しいお前を、何故誰も救おうとしないんだっ」



 泣くロイの涙を拭うことさえできない自分に腹が立つ。

 今の私が全力で力を入れても、手を胸の位置に上げることすらできない。



「…………クーデリア、お願いだ。何も返さなくていい、返せなくてもいい。ただ、俺をお前に捧げさせて欲しい」



 彼らしくない懇願するような声に根負けして、私が力無く頷くと彼は嬉しそうな声で笑った。



「ははっ、やっと、頑固者に勝てたな…………ありがとう」



 負けず嫌いな彼らしい言葉に、不思議な安心感が胸を満たす。


 正直なところ、この選択がどんな結果を生むのかすごく怖い。

 

 でも、私は彼の想いを嬉しいと思ってしまった。

 奇跡が起きて欲しいと思ってしまった。



「それと、俺に何があっても、お前は何も悪くない。それだけは覚えておいてくれ」


 

 きっと彼は今、私に微笑みかけている。

 見えない目に、それでもわかる姿。


 そして私は、最大限の想いを込めながら魔術を行使した。







 












◆◆◆◆◆






 

 

 







 優し気な風が頬を撫で、花の甘い香りを運んでくる。

 


「本当によかったんですか?」



 近くには、魔物と勇敢に戦うのっぺりとした顔の銅像。


 名無しの英雄。

 普通なら、来歴が刻まれているはずの台座部分には、『誰も知らぬ英雄は、誰にも気づかれぬうちに、世界を救った』とだけ刻まれている。



「いいさ。知ってるだろ?何かに縛られるのは嫌いなんだ」


「しかし、これまた貴方の嫌いな、ただ働きみたいなものになってしまいましたが」



 彼の功績は誰の記憶からも失われ、得ることができるはずだった名声も、富も、地位も、全てを失ってしまった。



「おいおい。寝ぼけてるのか?」


「え?なにがですか?」


 

 しばらく私の顔を呆れたように見ていたロイは、やがて何かがツボにハマったようで腹を抱えて笑い始めた。



「あっはっはっはっは。本当に、お前ってやつは」


「………………急に笑って。なんなんですか?」


「怒るなって。別に、バカにしたわけじゃない」



 不意に伸ばされた彼の大きな手に全身が包まれ、何とも言えない居心地の良さを感じてしまう。



「俺は、ちゃんと手に入れたさ。この手の中にある自分だけの報酬を」


「…………こんなもので、いいんでしょうか」



 結局、忌み嫌われてきた外見も、力も、私の方は何一つ変わっていない。

 悪しき魔女の闇だけが残り、世界を救った英雄の光だけが失われてしまった。



「いいさ」


「…………本当ですか?」


「ああ。むしろ、俺にはこれ以外考えられない」


「そう、ですか……欲の無いことですね」


 

 温もりを自分の体に擦り付けるように全力で引っ付くと、全身が包まれる様な幸福感が胸にこみ上げてくる。



「欲望まみれのやつに何言ってんだ」


「ふふっ。そうみたいですね」



 頬を掻きながら明後日の方を向く彼の可愛らしい姿に、笑いがつい漏れ出る。



「揶揄≪からか≫うなよ」


「ごめんなさい。では、帰りましょうか。我が家へ」



 大きな手を両手で握りしめ引き寄せる瞬間、その薬指に銀色の輝きが煌めいているのが見えた。



「ロイ」


「なんだ?」


「愛しています」


「………………俺もだよ」



 夕日の中、影を重ねるようにして並んで歩く。

 私の小さな歩幅に合わせ、少し歩きづらそうな姿にさえ幸せを感じてしまう。 


 そして、何かに縛られることを嫌う自由な彼。

 そんな彼が、それでも自分から強く手を握ってくれていることが何よりも私には嬉しかった。


 




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