三章 緩慢な毒3

 *



 リアックが気絶するように堕ちたあと、意識が戻ると、外は夕闇だった。残照が血のように空の下方で帯になっている。


「ねえ、明かりをつけて。わたし、暗いのは嫌い」

「勝手につけろよ。おまえ、化け物だ。おれを殺す気か?」

「ええ。そのうち食いつくすつもりよ」

「シャレにならん」


 リアックにだってわかっていた。グローリアが男をダメにする魔女だということは。シリウスの言っていることのほうが正しいのだと。


(でも、おれはもうこの女なしじゃいられない)


 リアックがため息をついていると、銀の燭台に灯をつけていたグローリアがふりかえる。


「ねえ、あれ、ほんと? 彼が半神だって」

「シリウスのことか?」

「ほかに誰がいるの?」

「ああ。ほんとだよ」

「でしょうね。不思議な青い瞳。プラチナブロンドの髪。完璧にととのったおもざし。いいえ。見ための問題じゃない。内側から光がさすような厳かさ。誰だって、ひとめ見ればわかる。彼が神聖なものだって」


 リアックは気分を害した。


「それ以上言うな。おまえがあいつのことを話す口ぶりが気に食わない」

「おかしな人ねぇ。わたしはあんな人、なんとも思ってないのに」


 それは嘘だろう。

 グローリアがシリウスを愛しているとまでは言わないが、気にはなっているはずだ。グローリア自身は気づいていないようだが、リアックに抱かれているとき、何度か名前を呼んだ。


 リアックの疑念を察したように、グローリアは続ける。


「ほんとよ。あの人はわたしを殺す気でいるもの。注意するのは当然でしょ?」

「そのときは、おれが守る」

「あら、頼もしいのね」


 まったく信じていない口調だ。リアックは多少、意地になった。


「おれはおまえのためなら、なんだってやってやる。おまえの欲しがるものはなんでもあたえる。きれいな服も、宝石も、なんでもだ」


 グローリアはからかうふうで、クスクス笑う。


「じゃあ、わたしの欲しいもの、くれる?」

「なんだ。言ってみろ」


 グローリアは涼しい顔で告げる。


「わたしに王妃の冠をちょうだい」

「えっ……?」


 リアックは自分の耳を疑った。

 グローリアは冗談を言っているのだろうか? 王でもなんでもない、ただの近衛隊長のリアックに、王妃の冠?


 だが、あいかわらず、グローリアはあでやかな笑みを浮かべ、リアックを見つめている。その緑玉の瞳をのぞきこんで、リアックは悟った。


(本気だ。こいつ、本気で言ってやがる)


 リアックは喉にこもる声を、どうにか吐きだした。


「……わかっ、た」


 否と言うことはできなかった。

 この女はリアックが否と言えば、即座に見限り、別の男にくらがえするだけだ。彼女を手放さないためには、どんな願いでも叶えてやるしかなかった。


「ほんと? 嬉しい! 約束よ。リアック、大好き」


 この、売女。


 だが、そうは思っても、リアックは逆らえない。

 そこへ、外から扉がたたかれた。


「誰だ?」

「私です。約束を受けとりに来ました」


 ホリディンの声だ。

 さっきまで、リアックはホリディンを殺すつもりだった。ホリディンはぬけめがない。放置しておくには危険すぎる。


 しかし、そうも言っていられなくなった。


 リアックが扉をあけると、ホリディンのほか二名の兵士がつき従っていた。流浪民の村で協力した男たちだ。つまり、グローリアを見たことがある。


「おれを殺してでも、グローリアを手に入れたい顔ぶれだな」

「そういう隊長こそ、彼女をひとりじめするつもりだったのでは?」

「ああ。だが、気が変わった。おまえたちも休戦して、おれに協力しないか?」

「なんのために?」

「おれたちの女神の望みを叶えるためにさ」


 リアックは三人を室内へひきいれた。



 *



 朝になり、シリウスはルービンの声でめざめた。


「へい、お待ち。朝飯のお届けだよ」


 たっぷり食事をのせた大皿を両手に持っている。ゆでてつぶしたブラムの根の匂いがした。


「ほら、朝飯だよ。起きた。起きた。厨房からとってきたぜ。あんたが食うって言ったら、料理人が感激して山盛りくれた」


 シリウスは失笑した。それは料理人は感激しただろう。彼の料理を、シリウスが初めて食べるというのだから。


「そういえば、昨夜から何も食わせてなかったな。すまない。今後は私にかまわず、好きなときに食堂へ行けばいい」

「そうかい?」

「ああ、でもせっかくの厚意だ。少しもらおうか」


 シリウスの部屋は兵舎のなかでも立派だから、テーブルに大皿が充分二つのった。


「うっめぇ! なんだ、この鳥肉。まさか、中庭の火喰鳥じゃないよな? でも絶品だー! って、なんだよ? シリウス。すげえ壮絶な顔になってっぞ」

「いや……うん。そうか。ゆでたブラムはこういう味か」


「まさか、今まで食ったことないのか?」

「ああ。じつを言うと、水と酒以外」


「ええっ? じゃあ、ふだんは何食ってるんだよ? かすみか?」

「近いな。私の体は光を吸収して生きているんだ」

「へえ……かわいそう」


 かわいそう?

 シリウスは理解に苦しんだ。

 しかし、ルービンの明るさはシリウスの力になった。


「ルービン。おまえはそのままでいてくれ。変わらず、まっすぐで」


 ルービンは意表をつかれたような顔をしている。シリウスはその肩をかるくたたいた。


「用があるので、私は行くよ」


 リアックとの仲は、グローリアがいるかぎり修復できない。せめて、クリュメルとの関係くらいは正しておきたいものだ。


 シリウスは部屋を出た。

 中庭まで来たところで、あの香りに気づく。ほんのり花のような、かぐわしくもみだらなメスの匂い。

 グローリアが近くにいる。

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