三章 緩慢な毒
三章 緩慢な毒1
それがシリウスの記憶だということは、もうわかっていた。ワレスは転生する前の自分の記憶を、夢でなぞっているのだ。
それにしても、過去の自分と今の自分は、ずいぶん性格が違う。
(ああ、シリウス。なんてチンタラした男だ。あれがほんとに、おれか? 守るものがあるなら、さっさと殺せ。それができないなら、どっかにさらって縛って監禁すればいいんだ。自分だけの女にして。くそッ、イライラする!)
悪態をついていると、胸の奥で誰かが気分をそこねたような感触があった。
——それができないから、おまえに託したんだろう? 私はおまえほど非情になれない。
(これだから、甘ちゃんは)
——では、たずねるが、おまえはレリスを殺すことができるのか?
ワレスはグッと言葉に詰まる。
(何度、裏切られても、けっきょく彼をゆるしてしまう。愛さずにはいられない。レリスを殺すことは、おれにはできそうにない)
しかし、そのあとのレリスの裏切りはひどかった。
彼は愛を感じることのできない人間だから、肉体的な愛を誰とかわそうが、それは大した問題ではない。レリスの心が誰のものにもならないなら、それでもいいとすら思っていた。
ところが、彼は愛せないわけじゃなかったのだ。サンダーがレリスの失われた感情を呼びさました。
テラウェイの死以来、ワレスをさけていたレリスの心が、急速にサンダーに傾いていくのを、黙って見ていられるほど、ワレスはひからびた男ではなかった。
「レリス。サンダーを信用しすぎるな。あいつは人じゃないんだぞ。森で現在、多発してる変死事件、あいつのせいではないと、どうして断言できる?」
「わかってる。サンダーはおれたちみたいな混血のそのまた子孫の神の血の名残じゃない。古代の神の生き残りそのものだ。でも……どうしようもないんだ。彼を見てると、胸の奥が熱くなる。なぜか、とても……なつかしい」
そう。たしかに、ワレスもサンダーを目にすると、何かを思いだしそうな気がする。十二騎士、サラマンダー。あの人を守り、慈しんだ十二の人ならぬものたち……。
(シリウスなら知ってるんだろうな。でも、おれはサンダーを好きになれない)
ただの嫉妬だろうか? それとも不安なのか?
おれにとってはおまえが運命だが、おまえにはおれが運命じゃないと、思い知らされそうで?
逃げたのは、そのせいかもしれない。
レリスがサンダーと夜をともにするために仲間の馬車を離れていくのを見送ったあと、ワレスは彼と歩む道をすてた。
運命の女神が、あの退廃と背徳のグローリアだというなら、彼女はただ自分を受け入れなかったシリウスが憎いだけだ。シリウスが死しても、その転生を苦しめるためだけに呪いをかけたのだ。
もう運命に抗うのも疲れた。
皮肉なことに、心はレリスにうばわれてしまったから、どんなに離れていても忘れることはできない。誰かを愛して殺してしまうことは、もう二度とないだろう。ワレスが空虚に耐えればいい。それだけのこと。
ワレスが身のまわりのものをおさめた旅行鞄を馬の背にくくりつけて、一人で出立しようとしていると、幌馬車のなかからウィルが顔を出した。黒髪、黒い瞳の繊細な顔立ちの美少年。
ウィルは堕落したダーレスの貴族から、ワレスが救ってきた少年だ。そのせいで一時期、恋人になり、レリスとの三角関係で別れた。そこにテラウェイがくわわってからは四角関係だ。
ウィルとのあいだにもいろいろあったが、今はおたがい、昔のことは水に流して、それぞれ再出発しようと決着がついた。
「ワレスさん。行くの?」
ウィルはこぼれおちそうに大きな瞳で、ワレスを見つめる。
ワレスは人差し指を唇にあてる。誰かに聞かれてはならない。
「さよなら。ウィル。今度は幸せになれる恋を見つけてくれ」
「待って」
ウィルはあわてて外套をつかみ、幌馬車からとびおりてきた。
「僕もつれていって」
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