第30話

 あの騒動の後、動けなくなったアーノルドはマードリーによって馬車に詰められ離れの屋敷に帰ってくることとなった。

 あの飄々とした男のせいでずっと動けないのかと思っていたが、その後も動けないのはアーノルドが限界を超えて無理をしたせいであるらしい。

 結局その日の昼からも動くことができなくてベッドの上で寝転びながら聞ける座学くらいしかすることができなかった。

 なんともモヤモヤとした消化不良の気持ちを抱えたままその日は終わることとなった。


 次の日、本来であるならば今日から魔物の討伐訓練をするためにコルドーと共に冒険者ギルドに登録しに行く予定であったが、もう1日安静にし、体を休めるようにと医者に言われてしまったため渋々ながら従った。ここで無理をして余計に日にちを取られるほうが困ることになるからである。

 アーノルドは、今は対人戦を主体とすべきではないのかと思っていたのだが、なんでも魔物との戦いでは剥き出しの殺意に当てられるため、いざ戦場においてその場の雰囲気に飲まれて動けないという状況にならないためとそのような殺意の気配を探る力を上げるために必要なことらしい。死角からの攻撃でも気配さえ読めれば対処することが可能になるのだとか。


「さて、何をしたものか・・・・・・」

 アーノルドが何をしようかと考えているとクレマンが歩み寄ってきた。


「アーノルド様、取り急ぎしなければならないことがないのであれば、牢に捕らえている元使用人の処分をお決めになってはいかがでしょうか」


 アーノルドはそのことを完璧に忘れていた。そもそもあの時は気持ちがふわふわとしていたのでそんな些事など記憶に残っていなかった。

 しかし、たしかに牢に捕らえているだけでも無駄に費用がかかってしまうためさっさと処分を決めたほうだいいだろうと思い、聞きたいこともあったので地下の牢に行くことに決めた。


 地下は薄暗くお世辞にもキレイとは言い難い場所であった。

 もちろん掃除をしていないというわけではないが・・・・・・

 言うなれば、掃除はしてある公衆便所のような感覚である。

 とても地べたに座ろうとは思わないだろう。


 そして複数ある鉄格子の牢屋の一室に2人で縮こまっている元使用人を見つけた。


「おい」

 アーノルドはもはや生気もなく抱き合っている2人に声をかけた。

(少なくともプライドの高い貴族の令嬢が2週間もいるような場所ではないな)


 リリーとランの2人はアーノルドに声をかけられたことでビクッと体が反応し体が震え始めた。


「さて、貴様達の処分を私自ら伝えにきたわけだが、まずは———」

「お、お待ちください!忠誠を、忠誠を誓います!ですからどうか!」

「わ、私もアーノルド様に忠誠を誓います!」

 2人はアーノルドの言葉に被せるようになりふり構わず平伏してそう言ってきた。


「・・・・・・貴様らの忠誠にどれほどの価値があるというのだ?貴族としてのプライドだけが高い貴様らに何が出来る?」

 アーノルドは声を荒げるでもなく静かな声で2人にそう問い掛けた。


「・・・・・・わ、私は料理ができます!」

 ランが真剣な表情でそう叫んだ。


「は?・・・・・・ふ・・・・・・ふふ、・・・・・・フハハハハはははははははは」

 たしかに貴族の令嬢が料理をできるというのは珍しいだろう。

 アーノルドはこの状況においてこれほど頓珍漢な答えをあれほど真剣な表情で言っているのを見て我慢できなくなってしまい爆笑した。


「いやはや、人の才能とはわからんものだ。まさかこのような場で笑わせられるとは思わなかったぞ。貴様は料理人より道化師の方が向いているのではないか?」

 そう言ったアーノルドはまだクスクスと忍び笑いを続けていた。


 アーノルドの笑いが良いものなのか悪いものなのか分からなかったランは不安そうな表情で今にも泣き出しそうなほど目に涙を溜めながらアーノルドを見ていた。

 しかし、アーノルドはランに対してそれ以上何も言うことはなく、次はリリーの方を見た。

 アーノルドに見られたリリーはビクッと身を震わせた。


「さて、貴様は何ができる?」

 リリーは数秒の間、俯き体を震わせているだけであったが、何かを決意したのか勢いよく頭を上げ言った。

「私の持ちうるワイルボード家の情報を全てお教えいたします」

 そう言ってリリーは再度平伏した。

 アーノルドはニヤリと笑ってリリーを見た。


 ――∇∇――

「なるほどな。クレマンよ何か有益な情報はあったか?」

「は、第一王子と幼きころに友誼を結んでいたことなどは詳細な情報は知りませんでした。あとは傭兵の可能性ですが、よほどのバカでない限りは我が公爵家と事を構えるなどという選択肢は取らないと思われます」

「第一王子が介入してくると思うか?」

 リリーの話から第一王子がワイルボード侯爵家の娘と一時期よく遊んでいたという情報を聞いたアーノルドはクレマンにその可能性について問うた。

 本来ならばありえないと一蹴しても良いかもしれないが、前世に子供がいたアーノルドは子供というのは合理性とは程遠い行動をする生き物であるということを知っている。


「王が許さぬでしょう。今の王は我が公爵家を敵に回すほどの気概はございません。ダンケルノ公爵家を完全に敵に回すような愚を犯すとは思えないかと」

「だが、裏を返せば完全に敵に回らん行動くらいならしてくる可能性はあるというわけか・・・・・・」

「いえ、此度に関してはありえないかと。既に王家の使者より言質がありますゆえ」

「本気で言っているのか、クレマンよ。あんなものは何の意味もない。『此度のワイルボード侯爵家との戦いにおける一切に王族として介入することはない』。この一文は第二王子の使者としての言葉だ。主語はであり王家とはいっておらん。あくまで介入してこないのは第二王子だけだろう。それにこの文では王族でなければ介入するとも取れる。最悪の場合王籍を抜いて捨て駒にでもすれば充分この文には反しないことになる。極論ではあるがな」

 アーノルドもこの一文を聞いたときは何を当たり前なことを、と思っていたが、よくよく思い起こしてみると違和感のある文だと思ったのであった。ワイルボード侯爵領の買い上げの話の方では『王家が』という主語があるにも関わらずこの一文には主語がない。この手の文に主語がないなどいくらでも解釈が可能になると言っているようなものである。幼い第二王子の言葉などありえないからと無意識に王家の言葉であると頭の中ですり替えさせられていたのだ。


 人間が油断するのは自分こそが優位に立っていると錯覚しているときである。

 一見こちらに譲歩しているかのような言葉がその実、意味のないものだと見抜く、そして第二王子の使者と言いながらも王家の言葉であると見抜く。これらに気づいたという達成感は、幼い子供にとってそれはそれは甘美であることであろう。それこそが罠であると気付かずそこで思考を止めてしまうのである。

 だが、アーノルドは見た目は子供であるが、中身はもはや子供とは言えない。

 それに自身が経験したことにより油断してしまう場も心得ていた。


 だが、アーノルドは王家がこの一文を理由にそれほどまで大それたことをしてくることはないだろうとも思っていた。

 せいぜいが嫌がらせ程度。

 バレたとしてもこちらが溜飲を下げれる程度のものしかしてはこないだろう。


 だが、それが子供の暴走ともなれば話は変わってくる。

 それゆえ王家の子供の情報をより詳細に集めなければいけなくなったのである。


 そんなアーノルドの様子を見ていたクレマンの表情が心なしか明るくなっているように感じた。


 アーノルドはリリーの方を向いて尋ねた。

「それで、第一王子の印象はどうだ?」

 ワイルボード家の情報を聞きに来ただけであったが、知りたい者について直接見た者の意見が聞けるともなれば利用しない手はない。敵の動きを知るのならば、敵がどういった人物なのかの情報を集めるのがとても大事になってくる。

 敵を理解すればそれだけどう動くかを予想することができるからである。


「は、はい。え〜と、4年ほど前の印象なので今もどうかは・・・・・・わかりませんが、と、とにかく見栄っ張りでずっとミオちゃんに悪戯をしているような意地悪な男の子という印象でした。あ、ミオちゃんというのはワイルボード家の三女で、あ、それと一応流石は王子だなと思った場面もあって、例えば——」

「今は具体例はいらん。第一王子は賢者か愚者かで言えばどちらだ?」

 先に第一王子の印象を形作りたかったアーノルドは具体例は後回しにして話を強引に遮った。


「ぐ、愚者よりかと・・・・・・」

「何をもってそう判断した?」

「・・・・・・短慮だからです。何かをする際に思いついたらすぐに実行といった側面が見られ振り回された記憶がございます。それに人の使い方が上手くないと感じました。自分が1番と思っていて下の者に対して何をしてもいいと思っている言動が多く見られ、王族があれでよろしいのかと疑問に思ったことがございます」

「貴様が王族の行状を語るか・・・・・・」

 アーノルドは少しリリーの言葉に反応し鼻を鳴らしたが、別に責める気はなかった。


 たしかに普通の者が傲慢であればそれは周りの顰蹙ひんしゅくを買うだろう。

 だが、今話している対象は王族である。王族が他者をおもんぱかることはあっても、上に立つべき絶対者が他者にへりくだるなどあってはならない。そういう意味では限度はあるだろうが、第一王子の下の者への態度もそこまで気にはならなかった。

 見栄というのもその歳くらいの男児には珍しくない。

 アーノルドが気になったのは悪戯をしていたという言葉であった。


 その後、アーノルドは顎に手を当て考える姿勢に入り何も話さなくなったため、リリーとランは気が気ではなかった。


 数分間の間その場に沈黙が落ち、やっとアーノルドが口を開いた。

「まぁとりあえずはいいだろう。ああ、それとな。お前達の忠誠などいらん。一度裏切った者が二度目も裏切らん保証などなかろう?お前達は自らが窮地に陥ったときに容易く元の主人を裏切り別のやつに尻尾を振るだろう。そのようなものを忠誠とは言わん。ゆえに、お前達の忠誠など不要だ」

 にべもなくそう言い放ったアーノルドを見るリリーとランはこれから自らが死ぬ場面を想像したのか顔面が蒼白となり、小刻みに震えていた。


 それに気づいたアーノルドが2人に言い放った。

「安心せよ。殺しはせん」

 リリーとランは先ほどまでの死にそうな様子ではなくなったが、それでも不安を拭いきれていない様子であった。


「たとえ我が臣下でなくとも、功を挙げたのなら無下にはせん。まぁ片方は私を笑わせるといういささか珍妙な功ではあるがな」

 そう言ってアーノルドはまたクスクスと忍び笑いを漏らしていた。


「お前達には2つの道を用意してやろう。1つ目は使用人を辞めて自らの家に帰る道。2つ目はもう一度使用人となりこの離れで働く道」

 驚いたのは後ろに控えていたクレマンと騎士達であった。


 そのときアーノルドではない別の人物の声が響いた。

「何とも甘いことだ」

 聞きなれない声だが、どこかで聞いた威厳のある声がアーノルドの耳に入ってきた。

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