第26話 ある日、この世界にダンジョンという物が出現した、的なやつ。ラッキー!

 俺は武骨なぐい飲みに並々と満たした透明な液体を、そろりそろりと口に運ぶ。いや、最後は口の方から待ちきれずに迎えに行く。

 それでいて口を付けるその前に、馥郁たるその香りを鼻腔一杯に吸い込まずにはいられない。


 深いため息を吐いては息を止め、俺はかすかに黄金色に輝く甘露をちびりと口に入れる。アルコールの揮発と口腔を駆け巡る芳香、そして舌を軽くしびらせながらじんと伝わる米の精を感じながら、別れを惜しみつつ酒精を喉へと送り込む。


 日本酒。


 アルコール飲料という物が、肉体と精神を麻痺させるだけのためにあるとしたなら、こんなに無駄な物は無い。


 これほどの味わいを醸し出す必要がどこにある?


『トーメー、うるせえニャ。飲むなら飲むで、黙って飲むニャ』

『いや、アリスさん。そりゃあ味気ないってもんでっせ。日本酒と神に感謝を捧げねば』

呑兵衛のんべえのうんちくほど面倒くさい物は無いニャ』


 飲まない人からしたらそうなんでしょうがね。

 酒無くて、何で己が桜かな。そういうことでしょ?


『まったく意味ないニャ。風流人みたいなカッコつけは見苦しいだけニャ』

『へいへい。あっしは無風流です。酒さえ飲めりゃ、花なんぞ要りませんて』


 酒は良いやね。何が良いって、酔っぱらえるからね。

 酔っぱらったらみんなアホになる。アホなんだから、何かを気にするだけ無駄なこと。


 何も気にせずアホになれる。こんな素敵なことがあるだろうか? いや、ない!

 そうだ、アホになろう。


 俺が絶賛「アホモード」に突入したのにはわけがある。せっせと準備し大金をつぎ込んだ酒造業の成果がようやく「酒」という形で実を結んだのだ。

 でもって「この体」で日本酒を味わったのは初めてなわけで。


 そりゃあ、舞い上がりもするってもんでしょう。ふぅううううー。


『業務連絡、業務連絡。街で不穏な動きがあるニャ。ゴンゾーラ商会からメッセンジャーが放たれた模様』

『何すか、アリスさん? こっちはもう、「オフ」モードですよ』


 ゴンゾーラ商会からのメッセージなんて、だいたいろくなもんじゃないってね。聞く前から分かっちゃいます。

 じゃあ、改めて飲もうかなっと……。


『エマージェンシー・モード起動! ピ、ピ、ピ、ピ、ピ……。ナノマシン活性化。アルコール代謝オーン! アルコール及び派生物質、一切合切強制排出実施! 出ーせっ、出ーせっ……!』


 いかん! 猛烈な尿意がッ! 膀胱が叫ぶ、「限界だ」と!

 ノォオオオオオオッ!


「ふう。危なかった。一時はどうなるかと思った」


『パンツ履き替えた奴が、何を言ってるニャ。全然間に合ってないニャ』

『間に合ってますぅ。トイレの床はセーフですっ!』

『とことん自分に甘い男ニャ』


 てやんでぇ。人の新陳代謝を弄んでおいて。俺の膀胱に加速装置を付けるんじゃねえ!


『そのおかげで素面しらふの状態で大事な話ができるニャ』

『ゴンゾーラの使いって何かしらねえ。あんまり良い予感がしないね』


「ダンジョンてのができたので、討伐してください」

「唐突だな、おい! もう少し膀胱に優しくしろい!」


 何だよ、ダンジョンて。そんなのがあるなんて聞いてませんよ、お父さん?


『誰がお父さんニャ。そんな物この世界に存在しないニャ。あ。げ、現代には……』

『あれ? 何、その過去にはあったネエみたいな誤魔化し方?』


「歴史上700年前に突如消え去ったと伝えられる、ダンジョンなる物が世界各地で復活いたしました」


 えーっ? 何よ、そのお風呂場のカビの根っこが生きてました的なご報告は?


「ダンジョンって、モンスターがいて、罠とか宝箱とか、階段があって、フロアボスがいて、ダンジョンマスターがいてって、そういうヤツ?」

「大体そんな感じのやつです」


 もしかして違うタイプのダンジョンっていうラッキーに一縷の望みをかけたんだけど、ダメだった。


『何でだよー? 面倒くさい予感しかしないよー!』

『うるさい! さっさと腹をくくるニャ。どうせ一度の人生ニャ』


 俺は2回目ですけどね。


 どうやら次元の間で異世界とつながって、放っておくと「大氾濫スタンピード」が発生して近隣住民は全滅する。


『イヤーン、急にシリアス展開じゃん。そんでもって、Why me? 国とか冒険者ギルド的なもんが何とかするんじゃねえの?』

『お尋ね者をあれだけ討伐し続ければ、嫌でも目立つニャ』

『あれだって好きで捕まえたわけじゃないのに……』


「トーメー様には類まれなる戦闘力を生かして、ぜひダンジョンの制圧にお力を貸して頂きたい」

「でもなぁー。ほらウチって単なる平民で民間企業でしょ? 貴族みたいにノブレス・オムレツがあるわけじゃなし」


『ノブレス・オブリージュニャ。オムレツ作ってどうするニャ』


「ああ、オブジェ的なやつ」

「そちらは貴族の義務というものでございますね。もちろん、トーメー様を縛るルールなどございません」


 そうだよね? 別に冒険者ギルドに登録しているとか、そういうんでもないしね?


「あんまりやる気が出ないんですけど……」

「ダンジョンには、ドロップ品と宝物がございます」


 あー、やっぱりあるんだ? そういうやつ。ふーん。


「宝物の中にはマジック・アイテムと申して、不思議な力を持つ物も」

「魔剣とか炎の杖とか?」

「そのような物が含まれております」


 ですよねー。でも、そういうの科学の力で間に合ってるのよねー。火炎放射とか、超音波砲とか、もっとすごいのあるんで。


「スキル・オーブという物を使用すると、魔法や武技と呼ばれる超常の技を身に着けることができるそうです」

「やりましょう!」

「へ?」

「ただし、条件はダンジョン内乱獲し放題。費用とリスクはこっち持ち、その代わり獲物は全部こっちの物。それでどうだ、こん畜生め!」


 ゴンゾーラの使いは目を白黒させていたが、元々そのつもりだったということで、こちらの条件をマルっと飲んだ。


「じゃあ、契約成立を祝って一杯やりますか? ウチの新酒が出てましてね。どうです?」

「いや、昼間から……って良い香りですな」

「お? イケル口ですな? なあに、死因ですよ死因。違う、違う。試飲ね。お・あ・じ・み!」

「いや、すみませんね。おっとっとっと」

 

 結局、ゴンゾーラの使いは清酒1升飲み干してぶっ倒れた。ボンド君に送ってもらったよ。

 余計なことだがウチの日本酒はこの男の口コミで有名になり、「清酒お味見」という名前で売り出されることになった。


『しかし、トーメー。どうして急に引き受ける気になったニャ?』


 いや、アリスさん。それは聞くだけ野暮ざんす。


『スキルですよ、魔法ですよ? 男の子のロマンじゃないスかあ?』

『あ、中二病が出たニャか』

『いいじゃないの、中二病? 前世じゃ社畜だ、ブラックだ、コンプライアンスだっつって自由が無かったんだから。生まれ変わった世界では夢を見させてよ』


 ナノマシンがオーバーテクノロジーの力を発揮するのと、自分の能力・・・・・で不思議パワーを発揮するのとは違うのですよ。


『それでモチベーションが上がるニャら深くは追及しニャイのニャ。ダンジョン討伐は世のため人のためになる立派な功徳ニャから』


 おお、そうでした。生まれ変わった目的は功徳を積み、欲を離れて解脱に近付くことだもんね。欲の方はほどほどで良いって言われたけど、たまには人助けもしなくっちゃね。

 やる気はありますよ? 「できる範囲で」って限定が付くけどね。みんなそうじゃん?


『よし! 話は決まった。今日は飲んで早寝して、明日は遠足だ!』

『ちがーう! ダンジョン・アタックニャ!』


 遠征メンバーはどうしようね? やっぱり精鋭メンバーでチームを作るべきだよね。

 俺、アリス、トビーは決まりだね。


 待てよ、ダンジョンて馬も入れるかなあ?


『洞窟型だったら、ちょっと難しそうニャ』

『じゃあ、アロー君は今回お留守番だね』


 どっちにしたって、盗賊対策で地上に戦力を残しておかないとね。BB団? あれは戦力外通告を受けてますので。元々故障者リスト所属ですからね。

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