第33話 本音
「ぐっ」
何とか空中で姿勢を変えて壁への激突は免れるが、それでも、どんっと床に身体を打ち付けてしまう。さらには顔面に蹴りが飛んできた。
「くっ」
強烈な顎への一撃で頭がくらくらする。
「戦いというものに慣れていないにもほどがあるぞ」
マクスウェルの呆れたという一言に、ラグランスは何も言えない。というより、マクスウェルがここまで戦いに慣れていることに驚かされる。が、最初に編成された討伐軍を返り討ちにしているのだから、その力は推して知るべしだ。このままでは本当にマクスウェルに嬲られ、食い殺される。
「俺は、戦いたいわけじゃない」
何とか出た言葉に、マクスウェルが呆れるのが解った。そしてにっと笑う。その口には、先ほどまでなかったはずの異様に長い犬歯が覗いていた。
「だったら食われろ。俺の食料になって死ね。あの哀れな少女のようにな」
「――」
その言葉に、ラグランスは大きく目を見開く。そして先ほどの脳震盪が嘘のようにがばっと立ち上がった。
「戦う気になったかい?」
「いや」
「では、大人しく食われると」
「そうじゃなくて」
ラグランスに会話のペースを渡さないようにするマクスウェルに、ずっと感じていた違和感の正体を見た気がした。そして、ずばりと訊ねる。
「マクスウェル。君は本当は人間を食べたいなんて思っていない。仕方なく食らい続けているだけだろ? どうして、辛い道を進み続けるんだ? 俺を食い殺したとなれば」
「いよいよ罪の意識が強くなるって。臨むところさ」
にやっとマクスウェルは笑う。そんなこと、ラグランスにわざわざ指摘されずとも知っている。
「なっ」
「俺はもう、この残り続ける魔導師としての意識がウザいんだよ!」
ようやく聞けた本音は、あまりに辛いものだった。理性がなければ、ただ吸血鬼に成り果てていれば、どれだけ楽だったか。その苦しみをぶつけられた気がした。
ここに来て、この町を独立国のようにしっかりと支配していて凄いと思っていた。しかし、それこそマクスウェルを苛むものの一つだったのだ。
「マクスウェル」
理性が残っているから、魔導師としてのプライドが残っているから、この町を見捨てることが出来なかった。しかし一方で、人々を食らい続ける鬼であるしかない。その狭間で、マクスウェルは常に苦しんでいたのだ。ラグランスは、本当に何も解らず、何も知らずにここまで来てしまった。
あの少女を食らって吸血鬼になった瞬間から、マクスウェルは途轍もない苦悩に襲われ続けただろうことは解っていた。しかし、どこかで人間を食料と見なし、もう割り切っているのではないかとも思っていた。
ラグランスが異常なだけで、他の町の人たちと同じように、食べるのは仕方がないことだと思っているのではと考えていた。
でも、実際は違うのだ。マクスウェルは食べることにさえ罪悪感を持っている。おそらくこの三年間、食べる度に罪の意識に苛まれてきただろう。それでも、食べなければならなかったのだ。ラグランスと同じように、こんなことはおかしいと気づきながらも。
「なあ、もし食べなかったら」
「あの時みたいに暴走して誰かを襲うだけだ。俺はもう、人間じゃない」
ラグランスに見抜かれたことで我慢する必要がなくなったからか、非常に悔しそうな顔でマクスウェルは宣言する。それがますます痛々しい。
「戻る方法はあるはずだ」
「ないね。あるならば、どうして神は最初の犠牲者に彼女を選んだんだ?」
「それは」
確かにそうだ。あの場で救わせて食わせる。そんな罰を用意した神が、戻るための道筋なんて残しているはずがないではないか。ラグランスは唇を噛む。
どうすればいいのか、解らない。マクスウェルの犯したことは罪だったのか、解らない。少女を救うことは摂理に反していたかもしれない。しかし、たった今さっき死んだ人を呼び戻すのは、それこそ医者が行う蘇生と何が違うのだろう。解らない。
「俺、解らないことばっかりだ。全然、賢者じゃない」
「――」
思わずぽろぽろと涙を流すラグランスに、さすがのマクスウェルも攻撃の気勢を削がれてしまった。振り上げた腕を下ろし、代わりにパンパンと手を叩く。
「はい」
現れたのは、案内をしてくれたマリーだ。
「お客様のお帰りだ。城門まで送って差し上げなさい」
そのマリーに、マクスウェルはそう命じた。ラグランスはまだ泣きながら、マクスウェルに情けをかけられたことを知る。そうやって弱い者にとどめを刺さないところも、魔導師のままではないか。
「ラグランス。もう一つ教えておこう。この子は、死にそうだったところを俺の血を飲んでしまって吸血鬼になった。これは、どういうことだろうね?」
「――」
そして言い渡されたことは課題のように思えた。吸血鬼の血を飲めば吸血鬼になる。それこそ、伝承にない事柄だ。
「一週間時間をやろう。その間に倒す決意をするんだな。それが出来ないのならば、俺に食われろ。それが、お前のためでもある」
「っつ」
そして言い渡された言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。もしマクスウェルの手を取れば、その瞬間に吸血鬼になるはずだ。そう考えているからこその言葉だ。そして、実際にそうなってしまうだろうことも、今のラグランスならば解る。
他の方法。例えばラグランス以外の人物に解決を頼む。その場合は吸血鬼になることは回避されるだろう。しかし、問題を丸投げするだけだ。しかも、このマリーという謎まである。
「マクスウェル」
最後に呼びかけてみたが、もうマクスウェルは背を向けていて、こちらを見ようとはしなかった。多分、こうやって情けを掛ける自分さえも苦しいのだろう。ラグランスは一先ず戻るしかないと、ぺこりと頭を下げた。そしてマリーに案内され、マクスウェルの城を後にしたのだった。
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