第31話 神が課す試練

 そんなことを考えつつも、魔導師としての仕事をこなしていたある日のことだった。

「魔導師様、お願いがございます」

「どうしました?」

 街中で困っているから助けてくれと呼び止められるのは日常茶飯事だ。それを煩わしいと思うようでは魔導師は務まらない。マクスウェルは微笑みを湛え、縋って来た紳士を見た。見るからに貴族と解る身なりの四十代くらいの男性だった。その彼は疲労困憊の顔でマクスウェルを見つめている。

「娘の病を、どうか治していただきたい」

 そして深々と頭を下げて頼み込んで来たのだ。娘という言葉に、マクスウェルの脳裏にはベッドで横たわるフォルティアの姿が浮かぶ。だから即断した。

「解りました。お伺いしましょう」

 これこそが破滅の序章だと知らずに。別にかの紳士が神に操られていたわけではないだろうが、今では運命の歯車は神によって狂わされていたとしか思えない。

「ありがとうございます。すぐ傍に馬車を待たせております。どうぞ」

 紳士の乗って来た馬車にそのまま乗り込み、マクスウェルはこうして原罪の少女の元へと向かった。

「お嬢さんの病状はどういうものですか?」

「はい。医師の見立てによりますと肺の病であるそうで、起き上がるのも苦しそうにしております」

 馬車の中、聞き出した少女の病状もフォルティアとそっくりで、マクスウェルはますます胸が締め付けられる思いをしたものだ。

 こうして紳士の広い邸宅へと着き、すぐに娘の部屋へと案内されることになったのだが――

「だ、旦那様っ。大変です」

「どうした」

「お嬢様が」

 そこはすでにバタバタと大騒ぎになっていたのだ。そう、紳士が出掛けている間に娘の容体が悪化し、もはや虫の息だという。医師も駆け付けており、手を尽くしているが医学では無理な状況だという。

「ま、魔導師様」

「すぐに案内してください」

 バタバタとしていた人々は、魔導師のマントを羽織るマクスウェルに期待の目を向けた。もはや尽くす手のない医師さえ、不可思議な魔法を扱える魔導師に期待する。それがこの国だ。

「っつ」

 しかし、ベッドに横たわる少女を見た瞬間、マクスウェルにはどうしようもないことが明らかだった。その少女の魂はすでにこの場にないことを、魔導師としての能力を持つマクスウェルは敏感に感じ取っていた。

 だが、その場ですでに神に召されたと言えるだろうか。誰もがまだ助かる。魔導師がいるのだから助かると期待する場面で、何もできないと言えるか。

「――」

 そして気づいたのだ。これはまさに、周囲の期待を裏切れずに魔導師試験を受けた時と同じではないかと。

 あそこで引くことが出来ていれば。貴族としての仕事に専念するために魔導師にはなれなくなった。そう言っていれば、こんな場面に出会うことはなかったのだ。神は、明確にマクスウェルを試している。

 マクスウェルはぐっとマントの中で拳を握り締めていた。そして必死に少女の魂の行方を探る。今しがた息を引き取ったばかりだというのならば、まだ呼び戻せるはずだ。そして、見つけた。

 それは通常ではあり得ないほど遠く、つまりはすでに神の近くにあった。少女はマクスウェルの気配に気づくと

「助けて」

 魂のまま訴えてきた。あまりに早すぎる別れに、少女は困惑を隠せずにいる。それもおそらく、マクスウェルのせいだ。

「治癒を行います。皆さまは部屋の外で待機を」

「ああ」

「ありがとうございます」

 秘法を行えと、神は唆している。お前はそのためだけに魔導師になったのだろうと、高みより試してくる。魔導師とは、賢者とはそれほどの覚悟でなっていいほど生易しいものではない。時には切り捨てる覚悟もいるのだぞと嘲笑ってくる。

「っつ」

 神に背く覚悟を決めるしかない。

 少女を救う。ただその目的のために魔導師になった自分は、たった一人の見知らぬ少女を救った時点で失格者になる。その危うさを理解させるための試練がこの場だ。そして、それを理解していてもなお、マクスウェルは覚悟を決めた。

「せめて、フォルティアの分まで生きてくれ」

 そう切に願って、マクスウェルは少女の魂を引き戻した。



「じゃ、じゃあ、死者復活の秘法は成功したのか」

 ラグランスは信じられないと、そこで思わず感嘆の声を漏らしてしまう。すると、マクスウェルはおめでたいことだと苦笑した。

「えっ」

「確かに秘法は成功したよ。少女は病をも克服し、元気に蘇った」

「じゃあ」

「そして、俺に食い殺されたんだ」

「なっ」

 あまりの展開に、さすがのラグランスも言葉が出なかった。では、あの時、祈りに来ていた少女と母親というのは、マクスウェルに助けられたからこそ祈りに来ていたのか。そして、それが神に背いた事実を突き付けられることとなり、マクスウェルは吸血鬼と化したと。

「言っただろ。神はえげつない存在だと。一度は救わせておいて殺したんだ。そしも俺を叩き落すためだけに、たまたま秘法を掛けられることとなった少女を贄としたんだよ」

 許せるか。マクスウェルは暗い笑みを浮かべる。これにはさすがのラグランスも混乱してしまった。一体何を信じればいいのか。足元が揺らぐ気分を味わう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る