第4話 弟子入り
「あわわわわわわ……」
燃え盛る我が家の前で呆然と立ち尽くすアンナさんの口から、奇妙な音が漏れ出ていた。
「ちょっ、アンナさん大丈夫!?」
ギッ、ギッ、ギギィ……と歯車音でも聞こえてきそうな感じで、アンナさんの顔がぼくの方へ向く。
「ももももも、もしかしてわたくし……火の始末をわわわわすれててててて……」
アンナさんの足元には、おそらく宿屋のおかみさんが持たせてくれたであろう夕食の具材が入ったカゴが落ちていた。とすると、アンナさんがここに付いた時間はぼくとそう変わらないはずだ。
朝食で火を使ったとして、その火が今頃になって燃え上がるというのは考えられなくもないが、不自然でもある。
「アンナさん、落ち着いて! 今朝の朝食はなんだったの?」
「ああああ、あさあさ、あさぁ?」
アンナさんはまだ壊れていた。
「あさあさは、パパ、パンにババターを付けて、ああとミミミルクを頂きましたた」
「ミルクは冷たかった?」
「つつつ、つつ冷たかったかたです」
「なら、火は使ってないんじゃないの?」
「ああああ、あれ、あれれ、あれ? そういえば……」
アンナさんが急に冷静さを取り戻す。
「今朝は火を使っていません。パンとミルクだけ頂いてお仕事に出ました」
「だったらアンナさんのせいじゃないよ」
「ではどうして家が燃えて……」
そこなんだよなぁ……とぼくが首を傾げていると、遠くから笑い声が聞こえてきた。
「ギャハハハハハ! 泥棒ポーターの家が燃えてるぜ!」
「神罰じゃねーの? ざまぁ見ろってなぁ!」
「ザックさんに逆らうからこんな目に会うんだよ!」
「とっとと町から消え失せな!」
どこかで聞き覚えがあるような声が混じった嘲笑を上げる一団は、そのまま町の方へと去って行った。
怒りに震えるアンナさんが彼らに向って走り出そうとするのを、ぼくは彼女の手を掴んで止めた。
「彼らがやったという証拠はないよ」
「で、でも……」
「今はまず火を消すことが先かな」
そう言ってぼくは井戸の水を汲み上げてパシャッと家にかけた。大した消火にはならなかったけど、火自体は収まりつつあったので、あとは地道に繰り返すだけだ。
パシャッ。
カラカラ……。
パシャッ。
カラカラ……。
パシャッ。
おかしいな。まだ買ったばかりだし、小さいし、小汚い小屋なのに……。
カラカラ……。
パシャッ。
カラカラ……。
まだ思い出もほとんどない家なのに……。
パシャッ。
カラカラ……。
パシャッ。
カラカラ……。
どうして涙が止まらないんだ……。
気持ちが折れ、膝が震え、とうとう立っていられなくなって、その場にうずくまって……、
ぼくは泣いた。
畜生……どうしてこんなことに……畜生……。
パシャッカラカラ。パシャッカラカラ。パシャッカラカラ。パシャッカラカラ。パシャッカラカラ。パシャッカラカラ。
泣くのは後にしよう。とにかく火を消さなきゃ……と思ったぼくが再び立ち上がろうとしたとき、異常な音が耳に入ってきた。
パシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラ。
音のする方に目を向けると、アンナさんが凄まじい勢いで井戸の水を汲み上げ、その場から小屋に向って投げかけていた。
パシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラパシャッカラカラ。
水が次々と火の根本へと正確に投擲されていく。火の勢いがどんどんと衰えていくのが目に見えてわかる。
ぼくは彼女の邪魔をしないように井戸から離れ、荷物からスコップを取り出して土で火を消していった。
そこから半時もしない間に火は完全に消えた。
「はぁはぁ……消えましたね」
「ゼェゼェ、ハァハァ、ゼェゼェ、ハァハァ……消え……ゼェゼェ……だね」
ぼくとアンナさんは抱き合って喜んだ。
「く、苦しい……でも嬉しいです……」
嬉しさのあまり、ついぼくは力いっぱいアンナさんを抱きしめていた。
「ごっ、ごめん!」
ぼくが慌てて体を離そうとすると、アンナさんが体をギュッとくっつけてきた。
「このままでいい……このままがいいです……」
普段だったら慌てて照れ隠ししていたと思う。
でも今はアンナさんの体の柔らかさとぬくもりが、ぼくにはきっと必要だった。
「そう……だね……」
そう言ってぼくは、今度はちゃんと力を加減して優しくアンナさんを抱きしめた。
~ 翌日 ~
宿屋のリーラさんに事情を離すと、ぼくたちのために部屋を貸してくれると申し出てくれた。
ぼくはアンナさんの部屋だけお願いして、自分は家の前でテントを張って寝泊りすることにした。これにはアンナさんは反対したけれど……
「焼けた家を片付けなきゃだし、それにぼくひとりの方が色々と楽なんだ。テント暮らしなら、テントを持ってそのまま仕事にいけるしね。それに、ぼくは山育ちだから自分だけが食べる分だけならまったく問題ないんだよ」
「そ、それにしても……」
「それにぼくがここにいることを、火を付けた連中が嗅ぎつけるとリーラさんに迷惑が掛かってしまうかもしれないんだ」
「でも……」
「町を離れるつもりはないよ。ぼくの家はあそこだからね。用があるときには家に来てくれればいい。ただ今のところはテントがあるとき限定だけどね!」
なおも食い下がろうとするアンナさんに、リーラさんが声を掛ける。
「アンナちゃん、トモヤは男の意地を張ってるんだよ。いまは黙って背中を押してやりな」
「わかりました。ではトモヤ様、今のわたくしは貴方だけのメイドであり、貴方はわたくしだけのご主人様であることを絶対に忘れないでください。ご主人様であるからには決してメイドを置いたまま、黙って去るようなことをしてはなりません」
「ご、ご主人様だなんて……そんな大袈裟な……」
ぼくが照れ隠しに目を逸らそうとすると、アンナさんがぼくの顔をがっちりと掴んで言った。
「いいですね」
アンナさんの右目から放たれる圧が物凄かった。
「は、はい……」
ぼくは押し負けた。
「なんだい! 愛の告白かい!? 昼間っから見せつけてくれちゃってさぁ! まったく若いもんときたらところかまわずだねぇ!」
そう言ってリーラさんがぼくの背中をバシンッと叩く。
今のが愛の告白かどうかは分からないけれど、ぼくにはアンナさんに黙って去るようなことをするつもりは欠片もない。
正直に言えば、むしろアンナさんが去っていくのを何とか避けようと、リーラさんに泣きついたというのが真実だ。口に出しては言わないけどね。
~ テント生活 ~
テント生活はぼくにとっては何の苦労もなかった。ポーターの仕事中はほとんどがテント生活だし、山育ちのぼくにとっては食料や水の確保は手慣れたものだった。
しかも、旅から旅へと渡り歩くわけでもない。この地方のどこに行けば何があるか、どこに入ったらダメなのか、そういうことは全てわかっている。
「じゃぁ、これ薬草代ね」
「ありがとうございましたー!」
黒迷宮から少し離れた街道で、ぼくは新人冒険者たちに売った薬草の代金を受け取る。
お金については、このような
これはダンジョンや魔物の住処の近いところで冒険者たちに声をかけて、野営を手伝ったり、見張りをしたり、道具の手入れや薬草や食料の販売などで稼ぐ方法だ。
色々と危険だし、実入りも多くはないけれど、頑張って声をかけ続ければそこそこ安定した収入を得ることができた。
仕事や食料等の素材調達が済むと、自宅の片付けとアンナさんに会いに行く。
それ以外の時間を使ってぼくは――
山奥で戦いの訓練をしていた。
「えいっ! はっ! とっ!」
旅の冒険者から格安で譲ってもらった剣を振るって、ぼくは案山子を斬りつけた。
ガンッ!
「ほわっ」
剣は案山子の太い木の部分に弾かれ、ぼくの手を離れて飛んでいく。もう少しで剣が自分に刺さるところだった。
「や、やっぱり最初は殴るやつ、殴る方向で行こう……」
ガツン!
思い切り案山子を殴ると、今度は案山子がボキリと折れた。だけど……
「痛ぅぅぅぅぅぅぅ!」
拳が超痛かった。
けど我慢した。
ぼくは強くならなきゃならない。今の仕事じゃ、ミラクシャの保釈金に到底届かない。もしサマンサさんが戻ってこなければ、ぼくしかミラクシャを救える人間はいない。
そして今のぼくが保釈金を稼ぐには冒険者しかなかった。といってもこの町にはザックのギルドしかない。
裁判に出せるような証拠はないが、ミラクシャを陥れ、サマンサ商会を潰し、ぼくの家を焼いたのはザックの連中だ。ギルドを頼るわけにはいかない。
だから、ぼくは野良でダンジョンに潜ろうと思っている。
ギルドのクエストを受けていない野良の冒険者は、ギルドの支援を受けることができない。それどころか、ダンジョンの中では「最初からいない存在」として他の冒険者から狩られる可能性もある。
数多くのリスクがあるが、財宝を見つけることができれば独占することができる。その可能性にぼくは懸けた。
ポーターの仕事をしていくなかで、どのダンジョンにどんな宝が眠っている可能性があるかについての情報は持っている。
「財宝を見つけてミラクシャを解放したあとは!」
ぼくは拳の痛みをこらえながら、別の案山子を殴りつけた。
「ザック! お前の悪事をすべて暴いて!」
バキッ! 案山子が折れる。
「叩き潰してやる!」
「なるほど、そういう理由でしたか」
「はわぁぁぁああぁ!?」
いつの間にかアンナさんがぼくの背後に立っていた。
「そのお覚悟に嘘偽りはございませんね?」
ぼくが驚いているのを尻目に、アンナさんはぼくの覚悟を問う。
「もちろんだ!」
アンナさんはさっと身をかがめて振り返って、大木に突進する。
「萌拳単打一式! 萌え萌えキュン!」
アンナさんが両手の指をハート型にした掌が大木に叩き込まれると、一瞬、大木が大きく揺らぎ、次の瞬間には掌底が撃ち込まれた位置から折れた。
「なっ!? こ、これが……萌拳……」
「もう一度、お伺いします。トモヤ様、お覚悟は?」
「とっくに出来てる!」
「もうひとつお伺いします。わたくしの萌拳を学ぶ覚悟はございますか?」
ぼくはアンナさんから目を逸らす。ぼくには武術の経験がない。狩人の経験ならそこそこ自信はあるけれど、人や魔物との戦いはそれとはまったく異なるものだろう。
アンナさんは、幼いころからメイド神拳を学んでいるという土台がある。ぼくにはない。でも……もしぼくに強くなれる見込みがないのであれば、アンナさんがぼくに萌拳を教えようなんて言いだすだろうか。
「ぼ、ぼくもアンナさんのように強くなれる?」
「貴方が投げ出しさえしなければ……」
なら答えは決まっている!
「なら教えて! いや……アンナさん! ぼくに萌拳を教えてください!」
「わかりました。トモヤ様に萌拳のすべてを伝授しましょう」
「あ、ありがとう! アンナさん!」
「修行の間だけは、師匠と呼ぶように!」
「はい! 師匠!」
こうしてぼくの萌拳修業がはじまった。
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