第69話 王妃の帰還と蜜の罠




「――貴方、本当にロカッタなのですか?」


 神聖国グラーテカ王城、謁見の間にて。


 数か月ぶりに帰還した、王妃イライザの第一声がこの言葉である。

 彼女は「アルタの蜂起」から反省のため、メルサナ神殿の修道院で過ごしていた。

 本来なら三年ほどの反省期間を設けていたが、夫であり国王であるロカッタの権限で半ば強制に呼び寄せた背景がある。

 

 メルサナ神殿はグラーテカ国の象徴であり、特に宗教上など国王ですら介入できない厳粛で繊細な部分がある。


 だが今のロカッタは、重鎮達や兵士達さらに国民達に至るまで絶大な支持を得ている。

 その手腕から今では「絶対的良王」と呼ばれ、嘗てのように罵る者はいなかった。

 したがって誰もロカッタに意見する者はいない。

 絶対的良王に逆らうことは愚の骨頂であるとされている。

 おかげでメルサナ神殿の教皇レイラですら、今のロカッタに意見する隙すらなかった。

 


「そうだよ、ハニー。其方の愛するロカッタだ。キミのいない寂しさのあまり少しダイエットしてね~ハハハハハッ」


 見た目どころか性格まで変わってしまった、ロカッタ国王。

 

「……わたくしが不在の中、貴方の評判は聞いております。あの件以降、わたくしのせいで失速するべきグラーテカをここまで繁栄させるなんて……王妃としては感謝していますが、貴方の変わりように妻として困惑し不思議でなりません」


 イライザは元々男性を外見で判断したりしない。

 嘗て「豚王」と呼ばれていたロカッタも彼女は偏見を抱かず受け入れていた。

 ただ食い気だけで無能が故、一夜の不貞に走ってしまった背景がある。

 

 しかしロカッタはそんな自分を許してくれた。

 恰幅の良い見た目だけでなく心も寛大だったのだ。

 それ以降、イライザはロカッタを心から愛するようになり、夫への贖罪のため自ら修道院に入った。


 こうして数ヶ月ぶりに再会を果たしたものの、あまりにも変わりように疑念を抱くのが当然だろう。

 寧ろ、これが当たり前の反応である。


「しかし王妃。今の陛下は我ら側近や城の者だけでなく、兵士から国民にかけて絶大な指示を得ております。王妃と国の安泰を想えばこその変化。喜ばしい限りではないでしょうか?」


 懐刀であり聡明で知られる、ムランド公爵がロカッタをフォローする形で進言してくる。

 しかし彼の瞳は以前の知的さはなく血走っており、イライザは正気じゃないと思った。


 他の重鎮達や侍女に至るまで同様だ。

 洗脳まではいかないも何かに魅了され、別な方向に意識を変えられているような気がする。


 巨大なカリスマ性によって先導されているのか、あるいは細菌ウイルスにより徐々に蝕められているかのように――。


 しばらく距離を置いていた、イライザだからこそ気づくことだ。


 いや、もう一人正気な者がいる。


 玉座に座るロカッタの隣に立つ宮廷魔術師――大賢者マギウス。

 彼だけはイライザの主張を真剣な眼差しで聞き入っている。


 イライザはチラっとマギウスに視線を向け軽く頷いた。


「……そうですね。わたくしがどうかしていました。ところで陛下・ ・、どうしてわたくしをお呼びになられたのです?」


 普段は「ロカッタ」と呼ぶ、イライザはあえて陛下と呼んだ。

 本人を始め周囲の者は気にしていない様子だが、マギウスだけは微笑み頷いた。


「うむ、はっきり言って其方が不在だと、余が寂しいからだ。跡継ぎの件もある。早々に成し遂げた方が民も安心できるだろ?」


 ロカッタは国王ではあるが婿養子であり正統な血筋ではない。

 したがってあくまで仮の国王の位置づけであった。

 現在、正統な次期国王はイライザとの生まれた男子に限られている。


 冗談っぽく言うロカッタに、周囲は「ハハハッ」と笑いが沸いていた。

 一見すると、久方ぶりの夫婦再会による和やかな雰囲気。


 だがイライザは一切笑っていない。


(この者は誰ですか? まるでロカッタの身体を乗っ取り、周囲の心を惑わす悪魔……)


 挨拶を終え謁見の間を後にする。

 侍女達と自室へと向かった。



 王妃用の部屋にて。


「わたくし、少し疲れたので休みます。用があれば呼ぶので部屋から出てください」


 イライザは侍女達を部屋から出すと、そのまま窓際へ向かった。

 窓を開けると、ベランダに一羽のフクロウが面格子の上に留まっている。


 イライザは腕を翳すとフクロウはふわっと羽を広げ飛び、彼女の腕に乗っかった。


(――マギウスの《魔法鳥》ですね?)


 思念で語りかけると、梟は首を縦に振るい頷いて見せる。


(流石はイライザ女王……相変わらずの才知に富む英傑ぶりでございます。貴女様がご健在で、このマギウス心から安堵しております)


(前置きは結構。どういう状況がお教えください)


(はい。どうか心してお聞きください――)


 マギウスは自分が知り限りの内容を包み隠すことなく、イライザに説明した。



「……馬鹿な。あのロカッタが……」


 イライザは身を震わし、なんとか朱唇を掌で押さつけた。

 決して言葉に出して良い内容ではないからだ。


(ロカッタが暗殺組織ハデスのボス……モルスという者に成り代わられているですって!?)


(左様です。多少私の憶測もありますが……先日、娘でありマニーサから届いた情報を照らし合わせても、ほぼ確定かと……)


(確かにあれは明らかに別人……貴方の娘が言う肉体を乗っ取る『ウイルス』という存在なら、既に近臣から兵士、民達にかけて少しずつ感染し洗脳されている可能性が高いですね。マギウス、貴方は問題ないのですか?)


(セティ君の話によると、感染路である『魔剣アンサラー』がなければ感染しないとのこと。私は宮廷魔術師として招かれてから一度も拝見したことはありません……)


(魔剣アンサラー? 確かアルタが所持していた武器でしたね……私は鞘に収まっているところをチラっと拝見した程度……しかしロカッタやムランドは実際に剣を抜き、セティと戦った現場を目撃している……そういえば当初、わたくしに組織ハデスの情報を教えてくれたのは太っていた頃のロカッタ本人でした)


(その頃から陛下は『保菌者キャリア』であったと? なるほど、王妃とアルタ王子は最初からモルスに目を付けられていたのですね……セティ君の肉体を奪うために――)


(全てはモルスの罠……なんて忌々しい! マギウス、どうすれば夫からモルスを追い出すことができるのでしょうか?)


(……わかりません。セティ君の話だと「モルスは肉体の寿命か殺さない限り、その肉体から離れたことがない」と仰ってました。私の唯一の協力者でありメルサナ神殿の教皇レイラも「ウイルスの除霊は不可能」とのことです)


(そんな……)


(ただ『封じる』手段はございます……それもセティ君から娘伝手で教えていただきました。私なら可能です……但し、そのぅ、イライザ王妃のご協力が不可欠なのですが)


 奥歯に物が挟まる言い方のマギウス。

 イライザは少し考え、強い意志を持って梟を見つめる。


(――わかりました。愛する夫、ロカッタの名誉と尊厳のためにも、わたくしは如何なることでも協力いたしましょう!)



 夜の寝室。


 豪華な作りで広々としたベッドの上で、イライザは薄手の化粧着姿で横たわっていた。

 窓辺から月明かりに照らされ、彼女の豊満で優美な曲線が浮き出ている。

 男なら誰でも疼きを覚える艶めかしいスタイル。


「――綺麗だよ。マイ・ハニー……久方ぶりだね?」


 その光景を堪能していた、ロカッタは呟く。

 真っ赤なガウンを纏い、ベッドの足元側で立っていた。


「ええ、ロカッタ……なんだか別人の殿方のようで緊張してしまいます」


「ははは……私は正真正銘のキミの夫だよ。ほらね」


 ロカッタはガウンを脱ぎ、裸体を晒した。

 徹底的に鍛え抜かれた肉体は別人のようだが、大切な部分だけは当時のままである。


「ええ、安心しました、貴方……」


 イライザは頬を染めて瞳を潤ます。

 何気に視線を扉付近に流すように向けながら。


 見覚えのない布に巻かれた状態で立て掛けられている何か。

 形状から鞘に収められた両手剣のように見える。


 間違いない。


 ――あれが『魔剣アンサラー』だ。


 モルスを見極める特徴として、奴は必ずあの『魔剣』を所持している。

 それがアイデンティティだとか。


「それじゃ、イライザ……愛してるよ」


「はい……あっ」


 ロカッタはイライザに覆い被さり、彼女の化粧着を脱がそうと優しく擦り撫でる。

 夫婦の営みを始めようと抱きしめた。


 ――が、その時だ。


「なっ、何をする……イライザ!?」


 ロカッタは身を起こし、首筋を押さえながら悶え始める。

 

 イライザの指に針が仕込まれた指輪が嵌められていた。


「――毒針です。大賢者マギウス特性の神経を麻痺させる魔法針……暗殺組織の首謀者である癖にあっさりと引っ掛かりましたね、凶賊モルス!」


 これもマギウスと打ち合わせした策略。


 イライザのハニートラップが成功した瞬間だった。





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