第10話 元勇者アルタの逃走劇




 勇者アルタは姉のイライザ王女から『便利屋』が存在する場所を聞きくと、単身で闇市へと向かった。


 そこが暗殺組織『ハデス』が取り仕切る暗殺者ギルドとも知らずに――。


 薄暗く不気味な館に入り、受付の男に依頼内容を説明した。


 当初は「戦闘時」のみ入れ替わるという話だったが、アルタから「自分の都合でも」と付け加えて依頼する。

 組織は「特に問題ない」とし、一枚の紙をアルタに差し出した。


「これは?」


「誓約書になります。これに依頼者クライアントである貴方様のサインを頂ければ契約は成立し、即ご希望通りの者が貴方様の影となりましょう」


「うっひょーっ、思ったより超簡単じゃん! んじゃサインしちゃおうっと!」


「その前に最終確認を」


「何?」


「ご依頼内容は、『魔王を討伐し城に戻るまでの期間』ですね?」


「そだよ。それまでは希望通りで頼むわ~」


「わかりました。期間は厳守なので、くれぐれも途中解約などなさらないように。その際はペナルティが発生します。内容は誓約書に記載されておりますので、よくお読みください」


「はいは~い♪」


 アルタはろくに読まず記入欄にサインした。

 大方、罰金や延滞金を払うとかなんちゃらだろうと思ったからだ。

 金なら問題ない。

 何せ自分は神聖国グラーテカの王子であり、次期国王となる男。

 無事に魔王を斃した暁には、美しい花嫁達との婚約も決まっている。

 もう薔薇色の人生しか待っていないのだから。


 しかし誓約書に記載されたペナルティにはそんなことは記入されていない。


 ――誓約を違反した者は死を持って償う。


 そう記されていたのだ。


 アルタは知らずに契約し、後に偽物勇者であるセティを期間内に不当な理由で解雇してしまった。





 現在、元勇者アルタは他国の裏路地を一人で歩いている。


 一応は青い鎧と赤いマント着用し、腰元に聖剣を装備した嘗て勇者だった頃の姿。

 いつ暗殺者アサシンに狙われているかわからない。

 基本、目立つのを嫌う輩なので一見して人の多い場所の方が良さげに見えるが、一般人に紛れて殺しに来るプロもいる。


 アルタは愚か者だがバカではない。

 一人で歩いていた方が暗殺者アサシンの行動を察知できると思った。


「糞ッ! 神経ばかり使う! 金もねぇし! 宿も取れねぇ! ましてや娼婦館にも行けねぇ! 大体なんで俺が殺し屋に狙われなきゃいけないんだよぉ!?」


 未だにアルタは狙われる理由がわかっていない。

 イライザに関しては「便利屋を紹介した発端者」程度しか認識してなかった。


「……まさか、パパ(アルロス王)が俺を不要としたのか? 俺が偽物を雇った証拠を隠滅するために……それともイライザか? しかし姉ちゃんが俺を陥れたとしても、あいつには何の得もない……王女じゃ次期国王なんてなれるわけないし、ましてや夫の蛮族豚なんて論外だろ?」


 実際はその蛮族豚こと婿養子のロタッカが国王となり妻のイライザが王妃として二人三脚で国を運営することになるっていることは、まだアルタは知らない。


 さらに何より、


「あの偽物め! あいつもムカつく! 何せ婚約者達全員が奴に靡いて、俺との婚約を解消させるきっかけを作ったんだからな!」


 こともあろうに身代わりとして雇ったセティに敵意を露わにする始末。

 イライザと共にアルタが怒りの矛先を向ける二人目の人物がセティであった。


 きっと自分が夜遊びしている間に婚約者達は寝取られたに違いない。


 カリナ、フィアラ、マニーサ、ミーリエルの美しき婚約者がいいように……。


 糞ッ! あの女共の初モノは全て自分が頂く筈だったのに!

 こんなことなら無理矢理でも奪えばよかった……あっでも、あいつら全員めちゃ強いから返り討ちに遭うわ。

 などと卑猥なことを想像し勝手に思い込んでいた。


 その時だ。


「パイセン、ちょい、いいすっか~?」


 薄暗い人気のない裏路地で気さくに話しかける妙に甲高い男の声。

 しかも背後からだった。


「んぐっ!」


 アルタは危険を察知し剣の柄を握りしめて振り返る。

 だが視界には誰もいない。


「ここっすよ~、パイセン。あんたの下ぁ」

 声に導かれるまま、視線を下に向ける。


 すると、とんがり帽子を被った可愛らしい顔立ちをした幼い少年が見上げながら立っていた。

 何故か、ニマ~ッと口角を吊り上げニヤついている。


「んだぁ、糞ガキ!? 勝手に話しかけんな!」


「ガキじゃないよ。ボクは、ホビット族っすよ~、パイセン」


 確かに僅かに尖った両耳に小太りの身体は小人妖精リトルフ族の特徴だ。

 見た目は子供っぽいが実年齢は大人の者が多い。また妖精族だけあり人間よりも若干だが寿命が長いとされる。


「そのホビットのガキが俺になんの用だ?」


「ガキじゃないって言ってるすよ。名はポンプル、こうみても30歳アラサー暗殺者アサシンっす。よろしく、パイセン」


「アサシンだと!? 殺し屋なのか、お前が!? つーかもろ年上じゃねぇか! 何がパイセンだ!」


「細かいことは抜きっす。まぁ普段は副業で吟遊詩人バードっすけどね~。悪いっすけど、お命頂戴いたしますわ~」


「ふざけんなよ、とっつぁん坊や! なんで殺し屋が俺を狙うんだよ、ああ!? 一体、誰に依頼されたんだ!?」


「誰の依頼でもないっすよ。組織の命令なんっす……元勇者アルタ、アンタの首には3千G(日本円にして3千円)の懸賞金がかけられているっす!」


「さ、3千Gって……おまっ、日雇いでアルバイトするより金額少ねぇじゃねーか!?」


 アルタは心の中で「俺の命の金額って一体……」と思った。

 いやそれよりも。


「組織の命令ってなんだ!? 俺が何かしたってのか!?」


「……アンタ、知らないんっすか? 契約違反したっすよね? 自分の欲望優先で身代わりを立てた暗殺者アサシンを不当に解雇させた……組織は舐められたと判断し、アンタを殺すことに決めたっす」


「組織って……まさか暗殺組織なのか!? つーことはあの偽物は殺し屋……!?」


 ここでアルタは初めて偽物の正体と事の重要さに気づく。

 後退りしながら、ポンプルに向けて両手を振って見せた。


「ち、違う誤解だ! 俺は『便利屋』だと思って雇ったんだ! 解雇したのも、別におたくら組織を舐めていたわけじゃない!」


「んなアンタの事情なんてウチらは知ったことじゃないんっすよ。どの道、アンタは誓約書にサインし、その契約を破った。それは事実なんっす」


「待って! 俺だけ悪いのは可笑しいだろ! その偽物だって、ずっと俺とやり取りしていたのに、一言もそんなこと言わなかったぞ! そいつは無罪放免なのか!?」


「あ? ああ~『死神セティ』ね。奴は組織を裏切り、今じゃお尋ね者っす。勿論、おたくと一緒に懸賞金もかけられているっす……20億Gっという超破格っすけどね」


「に、20億G!? テメェ、俺はたった3千Gなのに、偽物如きがなんでんな高額なんだよ!?」


「それだけ『死神セティ』をキルするのは至難の業ってことっす。元勇者アルタ、アンタは超ちょろそうだから、3千Gなんすよ。ウチらのような、しがない副業持ちにはポイントを稼ぐ打ってつけのバイトっす」


「いや可笑しくね!? だったら普通にバイトしろよ! 1日頑張りゃ、その倍以上は十分に稼げるぞ!」


「嫌っす。それやったらボクの負けっす。ホビット族の暗殺者アサシンにも矜持プライドはあるっす」


 なんちゅう理屈だ。あれ、でもなんか思考が俺に似ているぞ?

 と、アルタは思った。


 ポンプルは「うんしょ」と背中から革鞭ウィップを取り出す。先端には矛のような鋭利な刃が取り付けられている。


「――無駄話は終わりっす。そんじゃお命頂戴するっすよ~、キェェエェェェェイ!!!」


 奇声と共にポンプルは鞭を振るった。


 音速で撓る刃がアルタを襲う。


「ひぃぃぃい!」


 刃は前髪をかすめ、なんとかギリギリで躱すことができた。


「クソォ! たった3千Gで殺されてたまるか! ふざけるなよ、ボケカスがぁ!」


 アルタは憎まれ口を叩きながら、その場から逃げ出す。


「逃がさないっす! キェェェ――……」


 可愛らしい少年顔が鬼気迫る醜悪に歪ませ、その背中を追う。


 身のこなしや素早さでは定評のある小人妖精リトルフ族。

 元勇者とはいえ、人間では簡単に追いつかれると思ったが、そこはアルタも考えた。


 大人しか入れない、ちょっぴりエッチな繁華街に入り込み、ポンプルを巻いたのだ。

 思惑通り、「坊や、ここからは大人しか入れないよ~。両親は?」と子供と間違われ、厳つい男達に足止めされている。


 その隙にアルタは人混みの中に紛れて消えた。


「ちきしょうっす! アルタァァァッ、覚えてろっす! 必ず始末するっすぅぅぅ!」


「うるせーっ、バーカ! 3千Gで執念燃やしてんじゃねーよ! 真面目に働けぇ、ボケェ!」


 元勇者アルタの逃走劇は続く。





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