異世界Vtuberに囲まれて
未田不決
一章
プロローグ
第1話 人造人間、稼働!
「あー」
「――緊張するな」
「ああー?あ、あ、あ。うんッ。あ、あ」
心は決まっているはずなのに声は勝手に震えるし、気を抜くと上擦ってしまいそうになる。
――嗚呼、逃げ出したい。
いっそのこと逃げてしまいたい、と博人は思った。
今この瞬間が楽しいかどうか――そんな快楽主義に基づいて生きて来た博人にはもう後がなかった。
大学入学後、学校や同じ学部のクラスメートにも馴染めず、勉強にもついて行けずで、博人はゆっくりとドロップアウトしていく。二回生の一年生。そうなると学費も重複して掛かるわけだが、何年も留年を重ねて卒業出来るほど、博人は経済的に余裕がある裕福な家庭に生まれたわけではない。
博人には学力的、性格的な問題があった。前期の時点で留年は決定的であり、自分ではもうどうすることも出来ず、ついぞ挽回のチャンスは訪れなさそうである。
自暴自棄となり親元から離れて下宿をしている十畳ワンルームの牙城にこもってゲームにばかり明け暮れ、最後には親に勘当されるみたいに学費も仕送りもストップされて自主退学をすることになった。
大学生になってからというもの、両親の博人を見る目は冷ややかなものとなり、退学届にだって簡単にサインして貰えた。
そんな現状を変えるべく、博人はこの道に賭ける他なかった。
「……」
緊張、興奮、不安。何もかもが混ざり合って心臓はバクバクと音を立てる。まるで車の内燃機関みたいに身体の奥で爆発が起こり、その余波が肌まで及んで全身に熱を帯びる。
全身の毛穴から血が噴き出すんじゃないかとも思える初めての感覚――。
ゲーミングチェアに座っているだけで手のひらや足の裏、首筋、前髪の生え際にじっとりと汗を掻き、目が泳いで焦点が定まらない。
「えー、と。カメラオーケー」
うわ言のようにぶつぶつ唱えるみたく、何度も入念に確認した工程を再度一周する。
「……あとは配信ボタンを押すだけか?」
誰に聞かれるでもない独り言。それを自分に言い聞かせるみたいに言う。滑舌、声量に気を使い他人に聞かせるみたいに言う。
「ふう」
「はあ」と溜め息を吐くと幸先が悪い気がするので「ふう」と長い息を吐く。これなら溜め息ではなく深呼吸である。
――逃げ出したい。
博人は感情が高まり過ぎて吐きそうだった。いっそ吐いてきて楽になりたいほどだった。
それでも逃げる事は出来ない。
――それに、このボタン一つ押して仕舞えば、あとはもうどうにでもなる。
押しさえすれば、ひとまず楽になれる。悩まずに済む。
その先で失敗するかも知れないけど、その時には大手を振って逃げられる。
……悩むな、僕! 躊躇うな。いくぞ……行くぞッ。
博人の震えるマウスカーソルがディスプレイをゆっくり移動して、矢印の先が一点で止まる。
「ふう」
博人は息を止め、目を瞑りながらクリックする。
――ポチ。
「ああー。あー。あ、あ、あ。コレ始まってる?」
「配信始まったか?」
博人が努めて平静らしく言う。
「あー。配信始まりましたか?」
「ん?これ声入ってる?」
『楽しみ』
『頑張れ』
『初めてだからトラブルあっても仕方ない』
専用のモバイル端末には博人が期待している答えはない。
聞こえてないならもういいか。配信終了押しちゃっても。
そう博人は冗談の妄想をする。
マイクに音が拾われないように静かに深呼吸をする。
そうしているとモバイル端末の画面が目まぐるしく明滅し始めた。
『おお、始まったー』
『始まってるよ』
『入ってるよ』
『これ絶対入ってるよね?』
『入ってる』
『声入ってるよ』
『キターー』
『写ってる』
『お口パクパク』
博人がざっと読めただけでもそんなふうな文字列が繰り返し、フラッシュ暗算の切り替わりとかピッチングマシンから放たれるボールとかよりも早く上から下へ流れていく。これらの文字列は博人の配信を見ている視聴者のコメントである。
「コメントはや。読めねぇー」
博人はどこか安堵して嬉しそうに言った。
別に沢山の人がコメントをしているからそれだけコメントの流れが早くなっているわけではない。
博人にして見れば、この日本から一体どれだけの人間を連れてきたんだ、博人の地元の人口の何パーセントの人間がいるんだ、と思うくらいの視聴者数はいる。
それでも同業者と比べると少ないのだが、これだけコメントの流れる速度が爆速なのは、単にラグによって反映が遅れているだけである。それは博人にも分かっていた。
「コメント読めないし。早速自己紹介からして行きまーす」
博人はパソコンの画面の横に掲示した台本に視線を移す。
「――僕は
プロトが捲し立てるように自分語りを進める。配信前から早口にならないようゆっくり話す練習をしたが、どうしても台本にないところは早口になってしまう。
すっかり明滅が落ち着いたモバイル端末を見ると、
『フランケンシュタインね』
『人造人間とかまたマニアックな』
『プロトくん』
『厨二だな、推せるわ』
『嘘乙』
『声震えてて草』
『絶対緊張してる』
とコメントが流れる。
「まあ確かに緊張はしてます。認める。けど、半分だけだからね。僕に残された人間の部分が緊張してる。それを失って仕舞えば僕は完全な機械になってしまうから、緊張してた方がいいでしょ?機械みたく抑揚のないヤツより見てて面白いでしょ?」
とプロトは軽口を叩いた。軽口を叩くのも人と会話していて緊張した時にする癖だったが、とにかく緊張しても言葉が出てくるのがプロトの自慢だった。詰まったりはしない。滑舌は滅茶苦茶になったりするが、噛むのだって聞いてる分にはエンターテイメントだと思う。
『機械も緊張するんだ』
『残された人間の部分……』
『ウザくて草』
「僕は初配信のためにちょっとした台本を用意してて。機械だから、人間みたいに暗記とかしないから、あえて台本を読むんだけど、僕の配信では主にゲーム実況をして行きたいな、と思ってます。ジャンルとしては実況なんだろうけど、まあゲーム配信だよね。ゲーム全般得意なんでね、任せて下さい。あと――」
コメントが好感触だったから。
話し始めると止まらなくなる性格だから。
自分は博人ではなくプロトだから。
色んな理由があるかもしれないが、始まってみると緊張も吐き気もどっかに行ってしまって、初配信の一時間。より正しくは五十二分があっという間に終わった。
「ふう」
「これ終わってるよね」
「配信切れた?」
パソコンに向かって聞いてみるが反応はない。もちろん、モバイル端末にも反応はなく
『おつ』
『良かったよ』
『ゲーム配信楽しみ』
といった感じのコメントが残ったままになっている。
「終わった、よー、な?」
念のため、自分のスマートフォンを引っ張り出して来て、試作機プロトの初配信を見てみる。
――終わってる。
「ああ、なんか疲れた」
楽しかった。興奮した。緊張した。
不安定だった精神がクールダウンするのに伴って肉体的疲労の存在がゆっくりと浮き彫りになる。
声の震えを噛み殺すように話していた顎、台本もコメントも見逃さないように注意していた目、緊張で強張っていた背中が痛む。
喉が渇き、身体は依然として熱を帯びている。そして何処かしょっぱい匂いがする。
「ふううう」
長い長い深呼吸をして、夢みたいに曖昧になった一時間を思い出す……のはまだ後にしておく。
――とりあえず、初配信終わってよかったー。
スマートフォンには初配信終了を労うメッセージが届いている。
「くぅぅ……はあ」
博人は簡単にお礼を言ってから大きく伸びをして、深々と座っていたクッションから飛び降りる。するとゲーミングチェアはギィと音を立てた。
「よし、風呂入ろう」
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