第3話 親父の躾

 帰宅した望夢は、「お帰り」と言う母も無視して、真っ先に自分の部屋に向かうのだった。


 部屋に入るや否や、すぐさま机に向かい、置かれているノートパソコンを開く。スリープ状態のパソコンがすぐに起動し、画面が表示された。

 出会い系サイトだ。そしてそのプロフィール画面。そこには、


『名前:本橋 望夢

年齢:18歳

身長:167cm

特技・趣味:我慢強い(笑)』


『恋人募集中!15〜18歳くらいの、顔とスタイルに自身のある女性の方は誰でも大歓迎!ご希望の方は、こちらにお名前と電話番号をお書き下さい!』


 という文字。左上にはきちんと決めた髪で自信あり気な笑みを浮かべた顔写真がある。望夢は毎日このサイトをチェックし、毎日がっかりするのであった。


「今日も収穫無しか」


 そのとき、母が扉から覗いてきた。

「ちょっと。ただいまぐらい言ったらどうなの?」

 母は不満顔で言った。


 そんな母を見ても、望夢は、

「別にいいだろ?部屋入る時はノックぐらいしろよ」

 と冷たく返すのであった。

 この頃、ずっとこんな態度だ。


 仕方なく母は、

「はいはい。あと、今日はクロの散歩、手伝ってね」

 と優しくお願いした。


 それでも、「え〜」と望夢は冷たかった。


 クロと言うのは、本橋家で飼っている黒い柴犬である。親父が道端で見つけた野良犬を気に入り、持って帰ってクロと名付けたのだ。


 本橋家ではもう一匹犬を飼っている。白いトイプードルのアミだ。アミは、クロよりも前にペットショップにいたのを母が気に入って買ったのだ。

 このアミとクロは性格が合わず、いつも喧嘩ばかりしていた。そのためクロはいつも檻の中だ。母はクロのことが好きになれないため、散歩は親父か望夢がやっていた。言うまでもなく、ほとんどは親父がやっているが。


「おい‼望夢‼」

 突然、低い怒鳴り声がした。


「⁉…お、親父⁉」


 親父が母の横にひょこっと顔を覗かせた。鋭い目付きにしわの寄った額、短いあご髭。見た感じ、地震・雷・火事・おやじの、おやじと言ったところだ。


「おめえ、母さんに対してその態度はなんだ‼何様だ‼養ってくれてる母親に向かって、よくそんな態度がとれんな‼来い!」


 望夢は戸惑った。今日は親父は仕事で居ないはずだが?


「お父さん、今日は早く帰って来てくれたの。誕生日だからね」

 母は笑顔で言って、階段を降りて行った。


 望夢は今日が母の誕生日であることをすっかり忘れていた。もともと覚える気すら無いのだが。


「おい‼望夢!うちの前の公園でまってるからな!もたもたすんじゃねえぞ‼」


 そう言って親父は勢いよく扉を閉め、出て行った。


 望夢はやれやれと頭を振った。


 望夢は親父からたびたび家の前の公園に集合をかけられる。それというのは、望夢の態度が悪いときや、成績が悪いときだ。そして厳しいトレーニングが課される。筋トレやランニング、さらに親父との本気の押し合いへし合いまで強いられるのだ。これが望夢の親父なりの罰(しつけ)である。


 玄関を出ると、親父が早くも公園でストレッチをしているのが見えた。勢いのある屈伸、大きな腕回し、よく反ったアキレス腱。唸り声を発しながらの張りのあるストレッチだ。全身に力がこもっているのが見て取れる。


 これからこんなでかゴリラと押し相撲だ。やれやれ…。望夢はイライラして仕方なかった。


 望夢は親父に近寄っていった。

 身体をバキバキという音と共に左右に大きく振った親父は、望夢が来たのを見ると、

「よし!腕立て100回と腹筋100回!気抜くんじゃねぞ!!」

 と怒鳴った。


 望夢はしぶしぶ顔でのろのろと地面に手を付いた。


 それを見た親父は、

「なんだその態度は!!シャキッとせんか!!」

 と一喝。そして望夢を引っ張り上げると、力を込めて一発引っ叩いた。


 望夢は慣れた反射神経で即座に目をつぶり、一瞬の痛みに耐えた。次いで素早い動きで向き直って地面に付く態勢を整え、高速で腕立て伏せを始めた。20回やったところで、望夢は息が切れてドタッと地面に衝突した。


「なんだ!なんだそのざまは‼おめぇ、そんな出来損ないでいいのか⁈そんなんじゃ男とは言えねえぞ!父ちゃんがどーゆー気持ちで母ちゃんのハートつかんだと思ってんだ⁈俺がわけえ頃はよ…」


 あ〜まただ。

 望夢はうんざりした。


 親父は怒ると80%の確率で自分が若い頃の話を持ち出すのだ。どのようにして妻-望夢の母-と出会ったのか、どのようにアピールしたのかなどなど。


 この話が始まると、望夢はいつも聞き流していた。真面目に聴いたときと言えば、幼稚園か小学校低学年の頃の2、3回くらいだったろう。だいたいの内容は憶えている。そのためもう聞こうとは思わない。


 親父の話に適当に相づちを打ちながら、何とか腕立て、腹筋をそれぞれ100回終わらせた。

 しかし、これで終わりではない。本気の押し相撲が待っている。


 外に出てからおよそ30分が経過した。公園内の街灯で、大柄な男とチビのシルエットが対決しているのが暗くも鮮明に見える。

 親父は容赦しない。望夢は何度も押し倒された。


 …もう駄目だ。望夢は地面にうつむいた。


「しっかりせんか‼」と親父は怒鳴ったが、望夢にはもはや聞こえていなかった。

 いや、聞いていなかった。どうでも良かった。もうどんなに怒鳴られたって構いやしない。そうやけになっていたのだ。


「望夢ーー!!」

 親父は怒鳴った。その声はかなり遠くまでこだました。


「こら、あなたたち!」


  母親が現れた。

「あなた!またこんなに無理させて!早く戻りなさい、話があるから。望夢、クロの散歩、お願いね」


 親父はコクンと頷いた。

「おい、望夢。今日はここまでだ。お前はクロを散歩させろ」


 そう言うと、親父は母と一緒に家へ戻って行った。


 後から家に入った望夢の耳には、


「いつもほどほどにしてって言ってるでしょ!」「じゃあどうしろってんだ?!あいつほうっといたらろくに育たねえぞ!!」


 と言い合う両親の言い争いが聞こえてきた。


 望夢はやれやれと首を振った。これもいつものことなのだ。


 望夢はどうしようもなく、言われた通りにクロを散歩に出した。家にいても両親の口喧嘩を聞かされるだけだ。


 クロは散歩が大好きで、いつも大はしゃぎだった。スキップするように跳ねて歩いたり、他の犬に飛びついたりするのだ。

 一方、望夢はだるそうにリードを持って、ただ歩いているのだった。ときどきクロの態度にイラついて、強くリードを引いたり、蹴飛ばすこともあった。これもいつものことである。


 とにかく、近頃の望夢の態度はひどいものである。友達、親に対してのみならず、飼い犬に対してもきつく当たる。彼女なんてものは、到底できたものではない。

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