第30話

 小隊長から告げられた作戦はこうだ。

 今日の午前中から不審物や不審人物、ゾンビの出現に備え、警視庁警備部機動隊やSATと共に、都内の主要箇所の警戒任務にあたる。

 僕とリナのバディが担当するのは、まさにここ、渋谷のスクランブル交差点だ。


 香藤玲子は午後八時から攻撃を開始すると言っていたが、鵜呑みにはできない。早めに警戒網を構築しておくに越したことはない。


 しかし、ただでさえ少数精鋭とされている僕たちやSATの隊員たちを、いっぺんに都内に配置することは事実上不可能だ。そこで、一時間に一回のペースで、数台の装甲車が巡回することになった。

 秀介は隊長と共に、十二台ある装甲車のうちの一台で渋谷区を巡回している。


「さて、と。リナ、水分補給を」


 僕は腰元に装備していた水筒に口をつける。リナも真似をした。

 気分が晴れない様子のリナ。やはり、香藤と――母親と認識していた人物と敵対するのに、複雑な感情を抱いているのだろうか。


 今は八月も半ばだが、致命的なほどの暑さは感じられない。曇っていてくれたのは幸いだ。

 少なくとも、ゾンビが出現した際に熱中症で倒れている、なんて馬鹿なことは起こるまい。


「ちょうどお昼か。リナ、少しでも食べておくんだ。この携行食なら、効率よく栄養が取れる」

「うん」


 僕が黄色いパッケージの固形物を取り出すと、リナも自分の背負ったバックパックから同じものを取り出した。


 こうして、時間はどろどろと過ぎていった。

 僕とリナは特に会話もなく、そして相変わらずぼんやりした頭で、周囲を見渡している。

 

 一時間ごとに訪れる秀介も、下手に僕やリナに絡んでくることはなかった。異常はないかと心配してくれるだけだが、その方がこちらも気が楽ではあった。


 そして午後二時。今日数度目の秀介の巡回があった。

 こちらは異常なし。そうハンドサインを送ると、秀介は装甲車の助手席から降りて、金属製の箱を荷台から取り出した。


「秀介、それは?」

「さくらさんの開発した特殊弾頭装備の弾丸だ。これだけあれば十分だろ」

「ん、了解だ」


 僕は秀介を見送り、すぐさま弾倉に特殊仕様の弾丸を込め始めた。ぱちり、ぱちりという音が、まるで何らかのタイムリミットを示しているかのように聞こえてくる。


 そして、さらに六時間後。

 すっかり日が落ちて、一般の警察官や機動隊員が撤収した。時刻はちょうど午後八時を回っている。僕たちの行動補助のため、街はいつものようにネオンで彩られている。

 異様なのは、そこにほとんど人がいないという現状だ。


 時計は既に午後八時を回っている。

 どこからか銃声が聞こえやしないか? 爆発音は? そもそも連絡は? 


「何も起きていないのか……?」


 僕が腕時計を見下ろしながら首を傾げた、まさにその時だった。

 ごぉん、という銅鑼が鳴るような音が響いた。何事だ? 

 再びごぉん。足元からだ。ごぉん、ごぉん、ごぉん……。だんだん音の間隔が狭まっていく。そして、ビシッ、という一際鋭利な音が轟いた。


 自動小銃のセーフティを外し、あたりを見渡す。

 そして気づいた。


「交差点の真ん中が隆起している……?」


 しかし、その原因に勘づくには遅すぎた。水道管でも破裂したのか、勢いよく水飛沫が噴水のように舞い上がる。

 まさか、地下から来るつもりなのか!


「こちら恵介! 異常あり! 怪物出現の予兆と思われる! 総員、直ちに渋谷区スクランブル交差点へ!」


 そう言い終えるや否や、どどどどっ、とアスファルトがめくれ上がった。黒い岩石片が、僕とリナを襲う。


「くっ!」


 咄嗟にリナの前に腕を翳し、もう片方の腕で自分の頭上を庇った、その時だった。

 コオオオオオオオ――。


 何だ、今のは? 鳴き声なのか?

 陥没した交差点の中央に、怪物がいてそいつが鳴いた。いや、大きく息を吸い込んだというべきか。ネオンの光だけでは、その外見の仔細は分からない。


《スクランブル交差点付近に待機中の各員へ。これよりヘリによる空対地攻撃を開始する。一旦離脱せよ。銃撃開始まで三十秒》

「離れるぞ、リナ!」


 僕はリナの片腕を取って、ビルの隙間を縫うように退避した。


《銃撃開始まで、十、九、八……三、二、一、射撃開始》


 バルルルルルルルッ、という轟音が耳をつんざく。

 いくら相手の図体がでかいといっても、全弾命中とはいかなかった。周辺は高層ビルで囲まれているのだ。射角を取るのも十分ではなかったのだろう。


 怪物の足元で粉塵が舞い上がり、着弾の振動で建物の窓ガラスが破砕される。送電線が切れたのか、バチッと閃光が走る。


《第一波、撃ち方止め。上空を旋回しつつ、第二波攻撃に備え――》


 その言葉が最後まで語られることはなかった。周囲の土煙を振り払い、鞭のようなものが飛び出したのだ。それがヘリの尾翼を切断した。


「な……!?」


 ヘリはコントロールを失い、どんどん高度を落としていく。

 はっと正気に戻った僕は、襟元のマイクに向かって叫んだ。


「交差点東側! ヘリが落下する! 退避だ!」


 直後、視界が一瞬橙色に染まった。ヘリが東側のビルに衝突したらしい。

 しかし爆発まで起こすとは……。あの鞭の攻撃は、僕には見えない速さでヘリの燃料タンクまで破砕していたのか。


 その爆風で、ようやく怪物の姿が露わになった。

 一言で言えば、巨人だった。体高七、八メートルはあろうか。灰褐色の肌に、ところどころ不規則に隆起した四肢。筋肉が異様な発達をしている。


 だが、一番奇妙だったのはその頭部だ。

 一見すると、のっぺらぼう。目も鼻も、口すらない。

 では、どうやって外部から獲物を捕食するのか? その答えは、怪物が頷くように首を曲げたことで分かった。


 口はそこにあった。頭頂部に円形の穴が空いていたのだ。そこで呼吸と捕食を行うらしく、牙が穴の内壁に沿ってぐるぐると配されている。

 きっとヘリを攻撃したのは、その奥で蠢いている舌だろう。


《空対地ヘリ、撃墜されました!》

《敵の戦力は予想以上だ! 総員、直ちにスクランブル交差点に急行! 各個に攻撃を開始せよ!》


 隊長の言葉に、既に到着していた兵士たちが銃撃を始める。僕もすぐに攻撃を開始しなければ。

 あたりは一瞬で、暴力的狂騒曲の演奏会場となった。


「リナ、下がれ!」

「でも、お兄ちゃんたちは!?」

「これ以上、お前に戦わせるわけにはいかないんだ! 頼むから下がってくれ!」


 凄まじい量の弾薬と、それに装着された特効薬が怪物に叩き込まれている。だが、怪物は嫌がるように腕を振り回すばかりで、効果は認められない。ヘリの機関砲が表皮を抉ったのがせいぜいだ。


 このまま弾薬が尽きてしまっては元も子もない。可能ならば、今ある傷口に自動小銃の銃口を押し当て、血管に撃ち込むのが最善なのだろうが……。


 僕が弾倉を交換すべく銃撃を止めた、その時だった。

 怪物がしゃがみ込んだ。ビシリ、と地面に新たなクレーターができる。


「何をする気だ?」


 すると怪物は、勢いよく跳躍した。自分の爪をビルに引っかけるようにして落下を防ぐ。

 その高さ、約三十メートル。まずい。上方を取られた。


 怪物は続けざまに動いた。ごきり、と音を立てて首を曲げ、その口を地面に向けたのだ。

 僕が伏せるよう皆に伝える直前、舌が伸縮した。さあっ、と地面を撫でる。

 怪物の体長より長いその舌は、一撃で十名近くの兵士の首を刎ね飛ばした。ヘリの尾翼をも切断したのだから、人間の身体を薙ぎ払うくらい造作もないのだろう。


 一瞬で阿鼻叫喚の様相を呈した交差点で、僕にできるのはひたすら撃ち続けることだ。同時に考える。そうだ、考えるんだ。怪物に接近できれば勝機はある。


 すると後方から、装甲車が一台滑り込んできた。


「兄貴、リナ、無事か!」

「秀介!」


 助手席から秀介が下り立ち、素早く自動小銃を構えた。しかし、すぐに舌打ちをして銃口を下げる。


「これじゃああんまりにも不利じゃねえか! あの怪物、あんな高さにいやがる! 榴弾砲が届かねえ!」

「秀介、知恵を貸してくれ! 怪物を引っ張り下ろしたい!」

「はあっ? 俺が脳筋なのは兄貴だって知ってるだろ?」


 僕たちが言い争っていると、運転席から隊長が降りてきた。怪物から距離を取るよう、命令を出している。


 ええい、考えているばかりではどうにもならない。せめて自動小銃で攻撃するだけでも。

 僕が銃口を上げ、建物の陰から飛び出そうとした時、さっと何かが僕の前に翳された。


 リナの左腕だった。

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