第29話

 元々真剣だった皆の目つきが、ぎらりと鋭さを増した。

 対ゾンビ用特殊弾頭――言ってみれば、特効薬だ。


 一言も聞き漏らすまいとする皆に対して、さくらさんの説明は実に分かりやすいものだった。


「我々研究班が開発した特殊弾頭を、通常任務で使用されている弾丸に装着します。すると、その弾丸を肉体に埋め込まれた個体は、すぐさま蒸発します。これは、ゾンビの体内を循環している液体――人間の場合は血液やリンパ液に相当しますが、それに弾頭内の薬剤が組み込まれてゾンビの全身を巡り、内部から破壊していくというものです」


 えげつない兵器だ。それはさておき、僕には一つ疑問があった。

 これほど革新的な兵器を開発していたのなら、どうしてさくらさんは僕と情報共有をしてくれなかったのだろう?


 まあ、それはおいおい個人的に尋ねるとして、問題はその弾数だ。


「笹原博士、弾数はどの程度が準備できますか?」

「現在、理化学研究所との共同作業で量産を開始しています。明日の正午には、一回の戦闘に足り得る分量の特殊弾頭をご用意できるかと」


 了解しました、と言って座する隊長。


 司会役の兵士が質問を促したが、これ以上の問いかけはなかった。

 皆が同じ思いのままに、胸を高鳴らせていたのだ。


 明日で決着をつけてやる、と。


 ふと隣を見ると、秀介が唇を強く噛み締めすぎて出血していた。つられて僕が自分の掌を見ると、思いっきり爪が食い込んでいる。

 どうやら、無意識のうちに拳を握り締めていたらしい。


 司会役から解散が告げられ、皆が興奮が冷めやらぬ中、僕は立ち上がってさくらさんの下へと駆け寄った。


「さくらさん!」

「あっ、恵介さん! ご無事で何よりです」

「リナの様子は?」

「ええ……。やや衰弱していますが、食欲もありますし、よく眠っています」

「よかった……」

「それだけですか?」

「え?」


 僕は間抜けな声を発した。


「どうしてご自分が不在の間に、私が特殊弾頭を作り出せたのか、疑問なんでしょう?」

「ああ、お見通しでしたか」


 人差し指で頬を掻く僕に向かい、さくらさんはくいくいと手招きをして、研究棟のラボに僕をいざなった。


         ※


「実は、私が特殊弾頭の開発に着手できたのは、あなたに私と兄の過去をお伝えしたからなんです」

「えっ? どういう意味です?」


 テーブルにコーヒーの入ったカップが置かれ、僕は咄嗟にお礼を一言。


「香藤が私を経由して、兄に飲ませた薬剤は顆粒状だったとお伝えしましたよね」

「はい」

「そこにヒントを得たんです。もしかしたら、単純に扱いやすいだけでなく、顆粒状というのが薬剤の形状として適しているのではないか、と」

「その開発をなさっていたのですね? 僕が訓練に明け暮れている間に、お一人で」


 すると、さくらさんは決まり悪そうに自分も座り込んだ。


「恵介さん、あなたに余計な負荷をかけたくなかった、と言ったら、私を偽善者だと思いますか?」

「いっ、いえ! そんなことは……」

「恵介さんが頑張って戦いに出ようというのに、私は研究を続けるしかない。でも、黙っていられるはずがないじゃないですか。だから半ば自棄になって顆粒状の弾頭を試したところ、恵介さんの入手したサンプルに対して、極めて高い効果を発揮したんです」


 先ほどの会議で述べたことに嘘偽りはありません。さくらさんははっきりそう言い切った。

 

「それと、これはあまり数が揃わなかったのですが……」


 さくらさんは立ち上がり、ラボの奥にある頑丈な金属箱を運んできた。


「あっ、僕が持ちます」

「いえ、大丈夫です。これしかご用意できませんでしたが」


 金属箱のロックを外し、さくらさんはこちらに中身を向けた。そこには、半球形で鈍色に輝く物体が入っていた。


「これは……」

「榴弾砲で使用できるようにした、特殊弾頭装備型のグレネードです。数は四つ。使用できる個数の生産は、これが精一杯でした」


 申し訳なさそうに俯くさくらさん。だが、彼女に非はない。というよりむしろ、心強い申し出ではないか。


「ありがとうございます、さくらさん。必ず役立てて、さくらさんの人生を滅茶苦茶にした奴を倒します」


 僕が金属箱を閉じ、見上げると、さくらさんは僅かに涙ぐみながら、こくん、と頷くところだった。


 僕が再び礼を述べて、ラボを出ようとしたその時。


「恵介さん!」

「はい?」

「リナちゃんは、連れて行くんですか……?」


 僕は思わず眉間に皺を寄せた。尋ねられたのが不快だったからではない。答えるのに抵抗を感じたからだ。


「リナは今や貴重な戦力です。僕や秀介がどうこう言う前に、上層部はリナを実戦投入する腹積もりでしょう」

「そう、ですか」

「では、僕はこれで」


 再びラボのドアに向き合った僕の背中に、軽い衝撃が走った。

 いや、衝撃が軽いのは分かったのだが、そこから伝わってくる温もりというか、人間の恩情のようなものに、僕ははっとさせられた。


「……恵介さん、必ず帰ってきてください。秀介さんも、リナちゃんも。何があっても、帰ってきてください」


 さくらさんに抱き着かれている。そして泣きつかれている。

 今までだったら赤面して大慌てする状況だっただろう。が、今は違う。

 最終決戦の前夜なのだ。心穏やかに過ごさなければ。


「約束します」


 僕は振り返りもせずに、ドアの向こう側へと足を踏み出した。

 自室に到着し、小振りなテレビを点ける。するとちょうど、ラブコメドラマの画面が砂嵐になり、緊迫した表情のニュースキャスターが現れるところだった。


《番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします》


 そんな台詞が飛び出してきたのは、何もテレビからだけではない。ラジオもネットの動画サイトも、あらゆる国内メディアが同じ色に染まった。深刻、という色に。


《防衛省並びに政府は、明日の午後八時ちょうどに、東京都内で人型異生物による攻撃が行われる可能性が高いという認識を示しました。これに伴い、都内にお住いの住民の皆様には、八時前後の屋内待機が要請されます。異生物がどこに現れるのか、どの程度の被害規模が想定されるのか、不明な点はたくさんありますので、都民の皆様は、自らの生命を最優先にして行動するようお願い申し上げます。繰り返します――》


 僕はそれを二、三周聞いてから、もそもそとベッドに潜り込んだ。

 明日でケリがつく。いや、つけなければならない。秀介やリナ、さくらさんの身に起きていることを考えれば当然だ。


 疲弊していたことが幸いしたのか、僕はするりと睡魔に身を委ねることができた。


         ※


 翌日早朝。

 僕が起床したのは、午前五時に設定した目覚ましが鳴りだす三分前だった。


 香藤玲子による攻撃開始まで、あと十五時間。僕は午前六時の集合まで、ゆっくりとミネラルウォーターをボトル一本飲み、戦闘装備を身に着けた。


「そろそろ、行くか」


 ベッドから腰を上げたのは、集合時間とされた午前六時の二十分前。宿舎入口まで、ぼんやりと歩く。


 こんな時にぼんやりしているなんて、我ながら頭がおかしいだろうとは思う。

 だが、新たな怪物の駆除が成功しようとしまいと、僕や秀介の生き方は大きな転機を迎えることになる。この十五年間の真価が問われるのだ。


 僕が宿舎のエントランスに到着した時、秀介もまた、廊下の反対側から姿を現すところだった。

 これまた偶然にも、さくらさんがリナの手を取って宿舎に入ってくる。

 僕たち四人は、誰が先陣を切るわけでもなく、なんとなく互いの身を寄せ合った。


「秀介、リナ、大丈夫か?」

「ああ」


 短く答える秀介に対し、リナは何も語らない。顔色は随分マシになっている様子だが、喋ることで体力を浪費したくないのだろう。


 代わりに声を発したのは、さくらさんだった。


「恵介さん、秀介さん。リナちゃんのこと、よろしく頼みます」

「えっ、あっ、はい! 了解です!」


 秀介が慌てて敬礼したのに対し、僕は黙って頷くに留めた。

 リナにできる限り負荷のかからない戦い方をしなければ。もっとも、僕にそれだけの余裕があれば、だが。


「総員整列、休め!」


 副隊長の声がエントランスに響き渡り、同時に隊長がぬっと現れた。

 あの百戦錬磨の隊長でも、緊張を隠しきれていないようだ。


「よし、皆、聞いてくれ。これより作戦概要を説明する」


         ※


 それから三十分後。

 僕たちは人員輸送車で、東京都心に到着していた。


 渋谷のスクランブル交差点で降車。本来なら人っ子一人いないはずだが、制服を着た警官たちが野次馬を追い払っている。

 都民は自宅待機という情報は届いているはずなのに、まったく呑気な連中だ。

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