第16話
※
「うわあ、あっつーい!」
「そういや今日も三十五度越えるって言ってたな……。リナ、大丈夫か?」
「うん! お日様って初めて見た!」
「そうか! それはよかったな!」
そうは言っても、たかが中庭だ。学校の体育館程の広さもない。
だが、ずっとカプセルやら個室やらに押し込められていたリナからすれば、これ以上の贅沢はないだろう。
「リナ、気分が悪くなったらお兄ちゃんたちに言うんだよ。水分補給をしなくちゃいけないからね。熱中症にでもなったら大変だ」
「うん、分かった! あっ、恵介お兄ちゃん、あの黄色いお花は何て言うの?」
「あれは――」
「向日葵だよ、リナ。ヒ・マ・ワ・リって言うんだ!」
即座に割り込む秀介。やはり僕よりもリナをよく観察できているということか。
それが悔しくなかったと言えば嘘になる。だが、心のどこかでは妙な安心感を覚えていた。
リナの遊び役になってやるのに、秀介ほどの適任者はいないのかもしれない。
これが『好き』という感情の表出なのだろうな……。
そう思うと、いつか結婚するのだと語った秀介の意志の強さを思い知らされる気持ちがした。
「さ、恵介お兄ちゃんも一緒に!」
「え?」
「さあさあ!」
リナは僕の手を掴み、勢いよく駆けだした。
「三人で写真撮ろうよ! きっと楽しい思い出になるよ!」
「ああ、そうだな。でも誰がカメラを――」
「兄貴、さっさと来いよ! スマホの自撮りでいいだろ?」
あ、そういうことか。
それからしばらく、リナは背の高い向日葵の茎の間を行ったり来たりしていた。
よくよく見ると、向日葵自体はとても綺麗だが、植え方が雑に思える。
流石に、食事とカウンセラーの常駐以外に予算は割けなかったのだろう。兵士たちに憩いの場を提供するための予算、という意味で。
リナが向日葵の花壇に踏み込み、秀介と追いかけっこを始めた、その時だった。
「あれ? そう言えばお母さんは?」
「へ?」
「お母さん?」
間抜け声の秀介。オウム返しする僕。
「リナ、お母さんってどういう意味だ?」
「そうか、お母さんはきっと、お仕事が忙しいんだね……。今日外に出られた、ってことは、お母さんに会えるかもしれないな、と思って」
ごくり、と唾を飲む。同時に、心臓が不吉な鼓動を始めた。
今は科捜研の手にあるリナのデータ。だが、僕とさくらさんの研究で、リナが人工の生命体であることははっきりしている。
つまり、お母さんなど最初からいないのだ。
強いて言えば、リナを創造した人物、ということになるが……まさか、香藤玲子が?
僕は勢いよく自分の頬を叩いた。あからさまに不自然な所作だが、そうでもしなければ冷静さを失ってしまう。
誰の手によってリナが生み出されたのか。それは科捜研で調べてもらうしかない。
「リナ、君のお母さんは、やっぱり今日は来られないみたいだ。残念だけど……」
「おい、何言いだすんだよ、兄貴!」
秀介はずいっと顎を上げて、僕を見返してきた。
「正直に言えばいいじゃねえか! よく分かってないって! んむ? むぐぐ!」
僕は慌てて秀介の口を手で封じ、もう片方の手で肩を抱き込むようにして振り向かせた。
リナに聞こえないよう、小声で秀介に語りかける。
「リナの正体については、今は僕も明かすことはできない。研究員の間でも緘口令が敷かれてる」
「は、はあ……?」
「今は科捜研の結果待ちだ。僕の嘘に合わせてくれ」
「兄貴の嘘って、リナの母親が多忙だって言うことか?」
僕は大きく頷いてみせる。秀介は顎に手を遣ったが、すぐにリナの方へ向き直った。
「お兄ちゃんたち、何の話をしていたの?」
「え? ああ、いや、リナのお母さんは今頃どこにいるのかな、と思ってさ」
「じゃあ、やっぱり今日は会えない?」
「う、うん、まあ……」
後頭部に手を遣りながら、返答に窮する秀介。見かねた僕が適当な地名――パリでもロンドンでもニューヨークでも――を挙げようとした時、僕もまたぐっと息詰まる感覚に囚われた。
リナがぽろぽろと、大粒の涙を流し始めたからだ。
「あたし、ずっと我慢してた……。いつかはお母さんに会えるんじゃないか、って」
「そ、それがさ、リナ……」
腕をぶんぶん振り回しながら、必死に言葉を繋ごうとする秀介。だが、僕はその調子に合わせることはできなかった。
完全には程遠いとはいえ、知ってしまっているからだ。リナの正体を。そして彼女が、どれほど母親というものを求めているかということを。
「リ、リナ、お兄ちゃんたちは――」
「もういい! お兄ちゃんたちなんか大っ嫌い!」
直後、凄まじい頭痛が僕と秀介を襲った。思わずその場に膝をつき、必死に耳を押さえる。
これは、先日個室内でグラスが割れた時と似ている。が、頭痛の度合いは酷くなっている。
頭痛も最高潮に達しようとしていた、その時だった。
後方から、ばきり、と音がした。続いて、ざわざわという擦過音。振り返ると、中庭の隅に植えられていた小振りの木が、その幹の中ほどから見事にへし折られていた。
ちょうどマッチ棒でも折ったかのような感じだ。
その後のざわざわという音は、枝葉が地面に接触して擦れた音だろう。
徐々に頭痛が引いていくのを感じて、僕はリナの方へと向き直った。呼吸が荒く、酷く汗をかいている。ワンピースがびしょ濡れになっていた。
いてえ、いてえと連発する秀介を無視して、僕は立ち上がってリナに尋ねた。
「リナ、あの木はお前が折ったのか?」
「……え?」
以前と同様に思い返してみるに、この基地はちょっとやそっとの攻撃で陥落するほど柔ではない。
となると内部での犯行ということになる。が、誰が何のために? 理論的に考えれば、まったく筋が通らない。
しかし、この破壊行為が衝動的で理屈では捉えられない現象だとしたら?
まさか、リナがやったのか?
再び倒木を一瞥し、リナの方に振り返る。すると、本当に熱中症にでもかかったかのように、リナはふらり、と全身を脱力させるところだった。
「おっと!」
秀介がその身体を支え、事なきを得る。熱中症なんじゃないかと騒ぐ秀介。
だが、僕は別の可能性、力の存在に勘づいていた。リナには、超能力があるのではないかと。そしてそれは急速に体力を奪うものであり、そのためにリナは倒れたのではないかと。
「兄貴、医療棟に連絡してくれ! リナが倒れたって!」
「りょ、了解だ!」
リナを負ぶった秀介に従い、僕は携帯を取り出した。
※
それから五分後、医療棟の個室にて。
「どうもすみません、さくらさん。医療班に連絡しようと思ったら、つい……」
「いいんですよ、恵介さん。私も、リナちゃんのことは気にかけていましたから」
僕はリナを想うあまり、彼女の関係者を呼んでしまった。さくらさんだ。
勢い込んでリナの状態を伝えるのに必死で、自分が医療班ではなく、研究員であるさくらさんと通話しているのだと気づくのに時間がかかった。
その頃には既に概要を話してしまっていたので、彼女にリナの世話を任せる形で現在に至る。
「どっ、どうなんですか、リナの具合は!?」
ずいっと身を乗り出す秀介に、さくらさんはやや戸惑いがちに答えた。
「それが……。熱中症ではないみたいなんです」
「へ?」
「確かに体温が急上昇した気配はありますが、その上昇の仕方が熱中症の比ではないんです。本当に一瞬で、体内の発熱物質が燃え上がったような――」
って、さくらさん、そんなことまで喋っていいのか? 不安になった僕は、一旦彼女を廊下に誘い出すことにした。
「あー、さくらさん。ちょっと」
そう言いながら、さっと手を伸ばして彼女の手首を掴む。
「え? 恵介さん?」
「おい兄貴、まだ説明は……!」
「さくらさんと話がある。秀介、お前はリナの容態が急変しないか、ちゃんと見張ってろ!」
秀介が何か言いかけたようだが、僕はそれを無視してさくらさんと共に廊下に出た。
「マズいですよ、さくらさん! 研究班からすれば、兵士である秀介は部外者なんです。あんなにリナの情報を漏らしたら……!」
「放して」
「あっ、す、すみません」
僕は慌てて、さくらさんから自分の手を離した。
そして再びさくらさんに状況を述べようとして、はっと息を飲んでしまった。何故なら、さくらさんは目を充血させ、額から首筋までを真っ赤にしていたからだ。
まさか彼女までもが熱中症に? そんな馬鹿な。ここは屋内だ。
ということは、彼女は別な原因で血流を加速させている。
ぎゅっと握り締められた拳、噛み締められた唇、獲物を逃すまいとするような鋭い眼光。
怒っているのか、さくらさんは?
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