第14話

 しかし、隊長の逡巡は一瞬のことだった。


《総員、撃ち方止め! 繰り返す、撃ち方止め!》

《どっ、どうしたんですか、隊長?》


 秀介の動揺した声に、隊長は指示を出した。


《ここで銃撃を行うと、有毒ガスの発生に巻き込まれる恐れがある! 総員、一時輸送車まで撤退し、ガスマスクの着用急げ! 同時に自動小銃にはセーフティをかけ、使用する際は敵を殴打するに留めろ!》


 兵士たちはすぐさま指示に従った。流石、実戦経験豊富な猛者たちだ。

 出口に近い兵士から、次々と工場の外へ脱出していく。撤退が鮮やかなのはいいが、これからどうするのだろう。


「隊長、次は?」

《再度突入する前に、二機目のヘリでタンクを破損させます。もしかしたら、その有毒ガスでゾンビたちを一掃できるかもしれない》


 なるほど、と口にする間もなく、僕は勢いよく腕を引かれた。最寄りの兵士が僕を引き立ててくれたのだ。


《さあ博士、こちらへ!》

「りょ、了解!」


 と言いかけたまさに直後、兵士の腕が脱力した。


「え?」


 引っ張られる力を失い、再び尻餅をつく僕。ゆらり、とふらついた兵士はばったりと倒れ込み、その向こうには新たなゾンビの姿があった。

 僕はゾンビから目を離せない。それでも、宙を舞っていた何かが、ごとり、と床に落下するのは分かった。


 今の兵士もまた、ゾンビに首を刎ねられたのだ。落下したのはその頭部に違いない。僕はゾンビと目を合わせたまま、身動きが取れなくなった。


「ひ、あ……」


 獲物にありつく直前の肉食獣というのは、きっとこんな目をしているのだろう。べろり、と人間にしては長い舌で、自らの唇を湿らせる。


「くっ、うっ!」


 僕は慌てて拳銃を抜き、引き金を引きまくった。が、銃弾が発せられる気配はない。当然だ、セーフティを解除していなかったのだから。

 同時に、有毒ガスを発生させかねない自分の行動に、余計におののいた。


 慌てた拍子に、拳銃を取り落とす。そちらに一瞥をくれてから、ゾンビが膝を曲げる。

 自分も首を刎ねられる。そう覚悟した、まさにその瞬間だった。


「うおらあっ!」


 ゾンビの背後にいた誰かが、自動小銃を振り下ろした。思いっきり銃床で殴打する。

 ゾンビは目を回し、横転。その側頭部に大振りのコンバットナイフが突き立てられ、ゾンビは溶けて蒸発した。


「大丈夫か、兄貴!」

「しゅ、秀介!」

「兄貴はサンプルを持って早く逃げろ! この建物を出るまで護衛する!」

「でもお前だって、満足な武器はないんだろう?」

「こんな連中、ナイフだけあれば十分だ! さあ、急げ!」


 僕は今度こそ引き立てられ、絡みそうになる足を必死に動かした。

 あちらこちらで、兵士とゾンビたちの死闘が繰り広げられている。

 ナイフを翳す者、柔道技をかける者、自動小銃を振り回す者。


 発砲できない割には、兵士たちは善戦していたと言っていい。それでもあちこちで、人間の血飛沫が上がっているのが目に入ってしまう。

 当たり所が悪かったのか、自動小銃諸共上半身を真っ二つにされてしまう兵士もいた。


 死体や血肉は見慣れているから、今更吐き気を覚えることはない。だが、僕たちをこんな状況に追い込んだ香藤玲子に対する憎しみは、ひしひしと全身の皮膚を痺れさせた。


 ゾンビたちが建物から外にまで追って来る気配はなかった。やはり、有毒ガスを発生させるのが狙いだったのだろう。


「秀介、生存者は?」


 隊長が秀介に問いかける。すると秀介は、思いの外淡々と兵士の名を挙げ始めた。

 僕を援護しながらだったから、最後尾にいたのは秀介のはず。つまり、この期に及んで建物内に生存者がいる可能性は絶望的ということだろう。


 僕が数えたところでは、兵士のうち三分の一は帰らぬ人となってしまったようだ。


「……了解した。全責任は私が取る。秀介、上空のヘリに連絡。地上班は安全域に後退したから、タンクを狙って銃撃するようにと」

「了解」


 隊長の顔面は、傷跡のみならず感情的な痛々しさに満ちていた。

 この『責任を取る』という言葉。これは、遺族に兵士の死を伝えるということだ。現場で戦った人間、それも直属の上官が伝えに訪れることで、遺族はこう思うのだという。

 自分の家族は無駄死にしたのではなかったのだ、と。


 そうでもなかったら、とてもこんな苛烈で残酷な任務に肉親を差し出す家庭などあるまい。家族を喪ってから入隊した、僕たち兄弟を除けば、だが。


 装備係が次々とガスマスクを皆に手渡していく。こんなものがこの輸送車に、大量に詰め込まれていたとは。


 そんなことより、今は自分を落ち着かせなければならない。

 今度こそ、僕は拳銃のセーフティを解除する必要に迫られるかもしれないのだ。深呼吸を繰り返し、額に掌を当てる。


 すると、やや離れた場所から再びガトリング砲の唸りが響き渡ってきた。


《総員、ガスマスク装着! 武装が損傷した者は、些細な不調であっても予備と交換しろ! 我々で再度突入する!》


 その言葉に、全員がまた、おう、と応えた。幸い、今の時点で後天的なストレス障害に陥った者はいないようだ。基地に帰ってからどうなるかは保証できないが。


         ※


 有毒ガスの漂う建物内に、僕たちは先ほどと同じ陣形を取って突入した。

 リストバンドに内蔵された有毒ガス探知機は、既に規定値をオーバーし、警戒音を響かせている。

 どうやらこのガスは空気より重いらしい。やはり、僕たちを誘い込んで一網打尽にするのが狙いだったのか。


 考えたのも一瞬、僕はすぐさまその電源を切った。こんな音を立てていたら、ゾンビに自分の位置を知らせてしまう。まあ、そのゾンビたちにしても、倒れ込んで動けなくなっている者たちばかりだったが。


 などと思った、僕が甘かった。

 何者かに足首を思いっきり掴まれたのだ。


「どわっ!?」


 そのままつんのめるようにして、僕は倒れ込んだ。血だまりに、びしゃり、と横たわる。急いで拳銃を抜き、今度こそセーフティを解除する。


 そこにいたのは、確かにゾンビだった。だが、幼い。

 今まで遭遇してきたゾンビは、老若男女の差こそあれ、皆が成人しているくらいの体格だった。

 しかし今僕を掴んでいるのは、どう見ても子供だった。口から泡を吹き、肝心の爪を失いながらも、与えられた本能・食欲のままに僕を捕らえようとする。


 その姿に、僕は怯んだ。ゾンビという存在そのものが恐ろしかったこともある。だがそれよりも、そのゾンビの外見が十歳くらいの子供に見えてしまったというのが、僕にとって最も恐るべき点だった。


 ……まるで、リナみたいじゃないか……!


 もしリナがこんな姿になってしまったら? それから僕に襲いかかってきて、その場に拳銃があったとしたら? 僕にリナを撃つことはできるのか?


 僕は足先から、震えが這い上がってくるのを感じた。

 だが現状、僕の足を掴んでいるのはリナではない。最早人間に戻ることも叶わない、憐れな半死体が噛みつこうとしているだけだ。何を躊躇う必要がある?


 僕は身をよじり、銃口をその幼いゾンビの眉間に押し当てた。そして叫びながら発砲。発砲。発砲。


「うあああああああ!」


 結局、拳銃のカバーがスライドし、全弾撃ち尽くすまで、僕は引き金を引き続けた。

 こんな状態で、自分や味方に流れ弾が当たらなかったのは奇跡だ。


「兄貴、大丈夫か!」


 ガスマスク特有の、こふーっ、という音に紛れて秀介の声が聞こえた。


「すまない兄貴、まさかまだ活動可能なゾンビがいたなんて……」

「……」

「あ、兄貴? 大丈夫か?」

「ん、あ、ああ、すまない……」


 その時、隊長から通信が入った。


《諸橋博士、地下へ急行してください》

「な、何かあったんですか?」

《まるで洋館の時のような……。いや、それの比ではない。最寄りの兵士たちに護衛させますので、お早く》


 洋館の時といったら、地下でカプセルに入れられたリナが眠っていた。

 まさか、あれと同じような状況が展開されているのか?


「分かりました。すぐに向かいます」


 地下への階段はしっかりしていた。地下の設備を再稼働させれば、確かに様々な研究ができるだろう。しかし、香藤のフットワークの軽さには驚かされる。

 

 いや、軽すぎる。まるで、何者かに手引きされているかのようではないか?

 僕はかぶりを振って、その嫌な推測を脳内から振り落とした。

 しかし、その必要はなかった。そこに展開されていたのは、僕の想像を絶する光景だったからだ。


「博士……」

「こっ、これは……」


 地下にあったもの。

 それは、リナが閉じ込められていたのと同じカプセルだった。それが何本、いや、何十本も並んでいる。

 僕は自分が息苦しくなるまで、呼吸するのを忘れていた。

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