かつて僕に冷たくしてきた幼馴染がなぜか結婚を迫ってくる件

夏鎖

帰ってきた幼馴染編

第1話 かつて僕に冷たくしてきた幼馴染がなぜか結婚を迫ってくる件

「結婚して」


 四月七日。入学式。高校一年生一日目。目の前にはかわいいというより美しく成長した幼馴染の姿。全国の新男子高校生の誰が入学初日にプロポーズされると思うだろう。全国の新男子高校生の誰が入学初日に婚姻届を机に叩きつけられると思うだろう。


「いきなりどうしたの⁉」

「いきなりじゃないわ。さっきあいさつしたわ」

「うん。あいさつしたね。二年ぶりって」

「だから結婚して」

「だからってどういうこと⁉」

「あぁ、間違えたわ」

「そ、そうだよね」

「結婚しなさい。拒否権はないわ」

「間違いじゃなかったの⁉」


 再度机に叩きつけられた婚姻届にはすでに葵水瀬という三文字と押印がされていて、空白には僕の名前を待つだけになっていた。


(というか水瀬、すごく綺麗になったな……)


 美しいストレートの黒髪、透き通るほど白い肌、目鼻口耳は全て整ったパーツで構成され、記憶の中よりも伸びた身長は――きっと百七十センチにも満たない僕の身長と同じくらいのはずだ。


「どうして? 私と結婚するのがそんなに嫌なの?」

「嫌とかそういう以前に色んなステップを飛ばしてない?」

「飛ばしてないわ。私はこの前十六歳になって結婚できる歳になったわ。結婚適齢期の女性が幼馴染に結婚を迫ることの何がおかしいの?」

「いや、めちゃくちゃおかしいよ⁉」


 そもそも結婚適齢期の意味を調べてきてほしい。


「そもそも僕はまだ十八歳になってないから結婚できないと思うけど……」

「安心して。今はサインとハンコだけではいいわ。壬が十八歳になった瞬間に役所に提出するわ」

「それは安心ではないのでは……?」


 水瀬との会話に夢中で聞こえていなかった周りの声が徐々に聞こえてくる。「えっ、なに? 入学初日から痴話喧嘩?」「バカップル?」「てか女の子めっちゃ綺麗じゃない?」「わかる」「てか男の方たいしたことなくない?」「わかる」


(わかるな)


 いや、実際大したことないけど……


「もう! とにかく早くサインを――」

「はーい。みんな廊下に出て。入学式始まるから体育館に移動するよー」


 タイミングよく担任の先生と思われる妙齢の女性が現れた。


「チッ……タイミングが悪いわね」


 水瀬は先ほどまで乱暴に机に叩きつけていた婚姻届を大切そうにブレザーの内ポケットにしまう。


「またあとでね」


 廊下に向かう水瀬の髪から妹のものとはまるで違うシャンプーの香りが漂う。

 突然の幼馴染の奇行に困惑しながら、僕も廊下に移動した。



×   ×   ×   ×   ×



 水瀬とは家が隣同士のいわゆる幼馴染で人生の大半の時間を彼女と一緒に過ごしてきた。幼稚園から中学一年生までの長い時間、思い出の中にはいつも水瀬の姿があった。水瀬は進級するたびに、勉強に、スポーツに、容姿に磨きがかかり、そんな彼女に引け目を感じてみんな離れていった。水瀬に話しかける人がどんどん減っていった。それに合わせて水瀬は氷のように冷たくなっていった。彼女が転校する直前、水瀬に話しかけられるのは僕だけになっていた。

 水瀬は中学一年生のある日、転校することになった。その頃には僕が話しかけても冷たい態度を取られることも多くなっていたが、幼馴染の転校はやはり寂しかった。僕は一生懸命に悩んで悩んで、別れの品に真珠(といってももちろん偽物だ)のイヤリングをプレゼントとしようとした。


「いらないわ」

「えっ」

「いらないって言ったの。もらっても迷惑だわ」

「いや、でも……」

「でも、なに?」

「…………」

「もういい?」

「…………」


 プレゼントを拒否されて声も出せない僕に水瀬は一つため息をつくと踵返してどこかへ行ってしまった。

 それが僕と水瀬の最後の記憶だった。



×   ×   ×   ×   ×



 入学式が終わり教室に戻ってきた。先生が戻ってくるまでの少しの時間、教室内はお互いに探り合うような緊張感が漂っていた。

 そんな緊張感を切り裂くように水瀬が僕の机に婚姻届を叩きつける。


「結婚しなさい」

「いや、だから――」

「どうして? 私とは結婚できないってわけ?」

「だからそういうことじゃなくて」


 顔を真っ赤にして迫る水瀬に向かって、僕はなるべく落ち着いた声音で歩み寄る。


「水瀬はどうして急に結婚とか言い出したの?」

「それは……」

「僕たち幼馴染でしょ? こうして高校も一緒に、なんならクラスも一緒になったんだからもう少し話をするべきだと思うんだ」

「でも……!」


 食い下がろうとする水瀬と視線が混じる。しばらく長い睫毛の瞳と見つめあったあと、水瀬が先に目をそらした。


「……わかったわ。一旦あきらめる」

「一旦なんだね」

「その代わりスマホ貸して」

「えっ?」


 驚く間もなく水瀬の長い指が僕のブレザーの内ポケットに侵入してきてスマホをつかむ。

 水瀬はものすごい勢いでスマホを操作すると、僕に突き返してくる。


「はい」

「えっと……」

「LINEとインスタとTwitter、私のアカウントと相互フォローにしたわ。インスタの方がよく見てるけど連絡はLINEで」

「えっと……」

「今日のところは諦めてあげる。でも諦めないわ」

「できれば諦めてほしいけど……」

「それじゃ」


 水無瀬は婚姻届を丁寧に折りたたんで自分の席に戻っていく。そんな僕らを新しくクラスメイトになった同い年の男女が見つめる。


(僕の高校生活大丈夫なのかな……?)


 僕に冷たくしてきた幼馴染がなぜか結婚を迫ってくる。そんな不思議な入学初日がなんとか終わった。

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