第23話 一瞬たりとも



「今まで婚約者としてディアヌ男爵令嬢との逢瀬を諌めておりましたが、もういいですよ。私はもう止めません」


 私がにこやかに笑いながらそう言っても、ルイス皇太子の顔に喜びは見えない。

 むしろ顔色が悪くなっているようにも見える。


「その代わり、私にも構わないでください」

「……それは無理な話だ」

「あら、なぜですか? いつも私に『構ってくるな』と言っていたのは、そちらでは?」


 私が何度もオリーネとの関係を止めるように言っても、醜い嫉妬をしていると勝手に勘違いをして、邪険に扱っていたのに。


「私達は、婚約者だ。構うなというのは無理だろう」

「……はっ?」


 思わずそんな声が出てしまった。

 婚約者だから? この人は本当に、何を言ってるのかしら。


 今さら婚約者としての自覚が芽生えて、私に対して尊重して行動すると?


 いや、絶対に違うでしょうね。

 ああ、もしかして……ふふっ。


「そうですね、私とあなたが婚約者じゃなくなったら、あなたは皇太子ではなくなりますものね」


 私の言葉に、ルイス皇太子は目を逸らした。

 そうね、ルイス皇太子はそれが嫌なだけ。


 私が婚約者じゃなくなれば、特に優秀でもないルイス皇太子は第一継承者という立場を、他の皇子に取られるだろう。


「そうですか、別にあなたが私に構うというなら止めはしません。もしかして今日も、婚約者の私に構いにきたのですか?」

「……ああ、そうだ」


 ああ、本当にそうだったのね。

 あのルイス皇太子が私のご機嫌を取りにきた、というわけだ。


 私のことを一時間も待ったのはそのせいか。


 ……いや、じゃあなんでこの人は私を不快にするような言動をしていたのかしら。

 まあご機嫌を取るのなんて初めての経験だから、出来なかっただけね。


「構いたいというのなら好きにどうぞ。ただ私がそれを誠実に接するかどうかは、あなたの態度次第です」

「っ……」

「私の家に来るのであれば、約束を取り付けてください。まあ今後、承諾することはないでしょうけど」


 私がそう言って話は終わりだと思い、立ち上がる。


「おい、どこへ行く」

「用件が私に会いに来たというのであれば、もうお会いして話もして、終わりです。お帰りください」

「待て、こんな時間まで待ったんだぞ。せめて夕食でも」

「お誘いは嬉しいですが、私は今日イヴァンお兄様と食事をする予定ですので」


 ルイス皇太子と食事なんかしても、絶対に楽しくない。

 というか、よくこんなに私が冷たく接した後に夕食を一緒に食べようと誘えるわね。


 ある意味、そこは尊敬するわ。


「っ、なぜだ、お前は私のことが好きじゃないのか」

「……」


 さっきからルイス皇太子が黙り込むことは多かったけど、今度は私が黙る番だった。

 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったわね。


 さすがに驚いてしまったわ。


 ルイス皇太子は私がオリーネに嫉妬していると思っていたようだから、そう思っているのも当然なのかもしれないけど。


 いい機会ね。


「ルイス皇太子、はっきり言っておきましょう」


 私は座っているルイス皇太子を上から睨みながら、告げる。



「私は一度も、一瞬たりとも――あなたを愛したことはありません」



 回帰する前も、回帰した後も、ずっと。

 お父様に取り付けられた婚約、その婚約者であったルイス皇太子。


 公爵家の令嬢として、婚約者としてただルイス皇太子と接していただけ。


 本当に、一度も、一瞬たりとも、この人を愛したことなどない。


 私の言葉にショックを受けたのか、目を見開いたルイス皇太子。


「そろそろ日が暮れて肌寒くなります。お身体にはお気をつけて、ルイス皇太子」


 私はそう言ってルイス皇太子に背を向けて、扉の方へと向かう。

 はぁ、本当に時間の無駄だったわね。


 私が扉を開けようと手を伸ばした時、後ろでルイス皇太子が立ち上がる音が聞こえた。


「アサリア! こちらが少し下手に出ていたからと言って、調子に乗るな!」


 え、さっきまでの態度がルイス皇太子にとっては、下手に出ていたということなの?

 その横柄な態度だけはすごいわね。


 私が振り向いて、余裕の笑みを浮かべて会話をしてあげる。


「調子に? 前にも言いましたが、これが公爵家の令嬢としての毅然な態度です」

「ふざけるな!」


 ルイス皇太子が大股に歩いてきて、私に迫ってくる。

 普通の女性だったら高身長の男性にそう迫られたら、怖いものだろう。


 しかし私は全く怖くないし、笑みは全く崩れない。


 その笑みがまたルイス皇太子をイラつかせたようだ。


「いい加減に……!」


 私を睨みながら言おうとした言葉は、私とルイス皇太子の間に出てきた騎士、ラウロによって止められた。


「皇太子殿下、どうかお下がりください」

「っ! なんだ貴様は! そこを退け! 俺を誰だと思ってる!?」


 ルイス皇太子がラウロを睨みながらそう怒鳴る。

 ふふっ、第一皇子の皇太子様が、城下街で問題を起こして捕まった男爵と同じような態度を、ラウロに対して取っているわね。


 それだけでおかしくて笑ってしまう。


 至近距離で睨み合う二人。

 ラウロの方が身長は高いので、皇太子が少しだけ上を向くようになっている。


「俺はアサリア様をお護りする騎士です。誰であろうと、彼女を害する存在を近づかせるわけにはいきません」

「なんだと……!?」


 ルイス皇太子がさすがにキレたのか、魔力で自身の身体を強化するのが見えた。


 皇室も魔力は持っていて、普通の貴族よりかは強い。

 ラウロを殴ったピッドル男爵よりも強いのは確かだろう。


 もちろん公爵家には全く及ばないが。


「退け!」


 ルイス皇太子はその拳でラウロの腹を殴った。

 ラウロは防御することもなく、ただそれを腹で受け止めた。


 そして……まあ予想がついていたけど。


「ぐっ!?」


 痛みに呻いたのは、ルイス皇太子の方だ。

 ピッドル男爵に殴られてから一週間以上経っているが、イヴァンお兄様に鍛えられているのだ。


 皇室の力ごとき、防御するまでもなく手を破壊してしまうだろう。


「くっ、貴様……!」


 ルイス皇太子の右手を見てみると、かなり本気で殴ってしまったのか、青黒く腫れていた。


 ああ、どうやら折れてしまっているようね。

 私が右の手の平を焼いたけど、それがようやく治ったところで、次は骨折。


 まあ全部、自業自得しか言いようがないんだけど。


「あらあら、ルイス皇太子、大丈夫ですか? 何かありましたか?」

「な、なんでもない……!」


 右手を後ろに回して隠そうとするルイス皇太子。

 なんというか、とてもダサいわね。


「アサリア、お前のところの騎士を下がらせろ。この無礼なやつを」

「無礼な方はルイス皇太子だと、何度言ったらわかるのですか? それとも……本気で排除して欲しいのですか?」


 私が指をパチンと鳴らしてから、人差し指の先に小さな拳大の炎を作った。


「っ! ま、待て、アサリア」


 私の炎を見て、ルイス皇太子が慌ててそう言ってくる。

 この炎自体にそこまで人を倒すほど威力を込めたわけではないが、ルイス皇太子に炎を見せるには十分だろう。


「では早急にお帰りください」

「あ、ああ、わかった。今日のところは帰らせてもらおう」

「ええ、もうこの本邸に入っていただくことは、ないと思いますが」


 ルイス皇太子は最後まで横柄な態度で、私とラウロのことを睨みながら帰っていった。


 はぁ、ようやく帰ったわね。

 私は自室に戻り、ソファに座ってマイミにお茶を入れてもらう。


 だけどまさかルイス皇太子が、形だけでも私のご機嫌を取りに来るとは。


 もう回帰する前とは随分、関係性が異なってきたわね。

 今回は私が婚約破棄をする側だ。


 私が婚約破棄をしたら、あの人はどんな顔をして絶望してくれるだろうか。


 前は私が何をしてもルイス皇太子はオリーネと浮気をして、そのまま婚約破棄をした。


 その仕返しが出来るのが楽しみね。


 もう少し、婚約破棄をするのは後にしよう。

 私も回帰する前は、いつ婚約破棄を言い渡されるのか怖かったし、婚約破棄をされないためにいろいろと行動をしたのに、全部空回りをして、全て無駄になった。


 その時の惨めな気持ちといったら……ルイス皇太子にも、味わってもらわないとね。


 マイミが淹れてくれたお茶を飲んでいると、まだ後ろでラウロが控えていることを思い出した。


「ラウロ、今日はありがとう。あの人に殴られたお腹は大丈夫よね?」

「はい、全く問題はありません」


 うん、そうだと思ったけど、一応聞いておいた。

 聞いておくといえば、お茶会でラウロが何歳なのかが少し気になっていた。


「ラウロって何歳なの?」

「……わかりません。数えたことはないので」

「えっ、そうなの?」

「はい、捨て子で小さな孤児院に拾われたのですが、歳はわかりません。名前も孤児院の者に名付けられました」

「そう……」


 ラウロは私が想像しているよりも、なかなか辛い幼少期を過ごしてきたのかもしれない。


「物心がついてからはどれくらい経ったの? 誕生日は何回やってきた?」

「年数は十五年くらい経っている気がします。誕生日はわかりません」

「わからない? どういうこと?」

「俺、自分の誕生日を知らないので。適当にレオとレナの誕生日に合わせていますけど」


 まさか誕生日もわからないとは……。


「レオとレナの誕生日はなんでわかったの? あの二人が覚えていたの?」

「いえ、覚えていなかったので、俺と出会った日を誕生日にしました」

「そう、それは素敵ね」


 何その幸せな誕生日の決め方、とてもいいわね。

 それなら……。


「じゃあラウロ、あなたの誕生日は私と出会った日にしましょう」

「えっ? いや、俺は別にレオとレナと一緒の日の誕生日でもいいのですが」

「あの二人と一緒も素敵だけど、別の日の方がそれぞれ祝えるじゃない? 楽しい日が増えるわよ」


 弟妹想いのラウロのことだ、今まで誕生日を迎えても、自分のことは放ってあの二人のためにずっと祝ってあげたのだろう。


 私と出会ったからには、そうはさせない。


「レオとレナもあなたの誕生日を盛大に祝いたいと思ってるわよ。自分達のついで、じゃなくてね」

「そう、ですか……」


 ラウロは少し考えてから、ふっと笑った。


「では、そうします。俺の誕生日は、アサリア様と出会った日で」

「ええ、そうするといいわ。来年、楽しみにしてなさい。その硬い表情筋が壊れてユルユルになるほど祝ってあげるわ」

「表情筋が壊れる……それほど殴られるということですか?」

「そんなわけないでしょ!」


 ボケなのか天然なのかわからないラウロの言葉に、思わずツッコんでしまった。


 その後、ラウロをもう勤務時間が終わったので、夕食に間に合うように帰っていった。


「はぁ、本当にラウロって、どこかズレてるわね」


 私がため息をつきながら呟くと、側で控えているマイミがクスクスと笑う。


「ふふっ、だけどそういうところが面白いところですね、ラウロさんは」

「そうだけどね。ラウロが誕生日を楽しみになったか、あれじゃわからないわ」

「いえ、おそらく楽しみにしてらっしゃいますよ。アサリア様が誕生日を決めた時、笑っていらしたので」

「そうね、そうだといいわ」


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