第12話 聖騎士ラウロ、誕生せず
ラウロとスペンサー公爵令嬢が出会ってから、数日後。
ラウロはまだ、運送店で働いていた。
その日も重い荷物を馬車に乗せる作業をしていた。
「ふぅ……」
百キロ以上の荷物を持ち上げて一人で運ぶ、それが出来るのはラウロだけだ。
私服はとてもボロボロのラウロだったが、運送店の制服を着ているので今日は普通の格好である。
夕方頃、その運送店にディアヌ男爵が来た。
急ぎで荷物を詰め込んで送ってほしい、という仕事だ。
いつもはディアヌ男爵の使用人などが来るのだが、その日はなぜか令嬢も使用人と一緒に来ていた。
オリーネ・テル・ディアヌ令嬢だ。
ラウロはその人を見て特に何も思わなかったが、
(そういえばあのお方が、ディアヌ男爵令嬢のことを聞いていたが、なぜだったんだろう)
と少しだけ思い出していた。
いつも通り、重い荷物を一人で運ぶラウロ。
するとオリーネがラウロに近づいてきた。
「重くないのですか? その箱、一個で五十キロ以上はあると思うのですが」
「……特に重くないです」
箱を三個同時に持ちながら、ラウロはそう答えた。
「ふふっ、そうですか。やっぱり、聞いていた通りですね」
「聞いていた通り? 何がですか?」
「あなたの噂はお父様から聞いていました。運送店に信じられないほど力持ちの男性がいる、と。聞いていた以上にすごいですね」
「はぁ、ありがとうございます」
そっけなく答えながら荷物を運んでいく。
ラウロの様子に少し眉を顰めたオリーネだったが、笑みを作ったまま話し続ける。
「お名前を聞いてもいいでしょうか?」
「……ラウロです」
「ラウロさん、素敵な名前です。ラウロさん、私のもとで働く気はありませんか?」
「……どういうことですか?」
「そのままの意味です。あなたは力が強いのは魔力を扱っているからです。それだけの才能があれば、騎士としてとても強くなるでしょう」
「ご令嬢は魔力というものが見えるんですか?」
「はい、私は聖女ですから。聖女だけじゃなく、実力が高い魔法使いの方でしたら見えるものですが」
「そうですか」
だからあのお方も見えたのか、とラウロは思った。
「どうでしょう? 運送店で働くより、どこよりも良い給金、待遇を必ずお約束します」
荷物を馬車に乗せ終わったラウロは、オリーネと視線を合わせる。
笑みを浮かべるオリーネと、無表情のラウロ。
「申し訳ないですが、お断りします」
「っ! なぜですか? 運送店にそこまで思い入れがあるわけではないでしょう?」
「そうですね」
「あなたに弟さんと妹さんがいるから、もっと良い給金が欲しいのでは?」
「……なぜ知っているんですか?」
「ふふっ、調べましたから」
オリーネの笑みが少し歪んだように見えたラウロ。
「お住まいの家も調べさせていただきました。とても貧相な家に住んでらっしゃるようですね」
「まあそうですね」
「私のもとに来るのであれば、すぐに給金でもう少しまともな家を買えますよ。あの家じゃ戸締まりも出来ないですし、弟妹さんがお二人で留守番してるのは危ないのでは?」
「……」
あのお方に同じことを言われたのだが、オリーネにはなんだか「弱みを握っている」とでも言われたような気がした。
心配しているような口調や表情ではなく、作り笑いでずっとニコニコと笑っているからだろう。
あのお方も得体はしれなかったが、こちらの方がよくわからない。
「こんな話、二度と来ないと思います。どうですか? 私のもとで働きませんか?」
オリーネがニコッと笑って、ラウルにそう言った。
普通ならオリーネの言う通り、平民であるラウルにこんな話など来ることはない。
しかしラウルは――普通ではなかった。
「ありがたいお話ですが、お断りします」
「えっ……?」
大きく目を見開いて、驚愕の表情を浮かべたオリーネ。
今までずっとニコニコと笑っていたのが、崩れた瞬間だった。
「な、なぜですか? 男爵令嬢の、いや、聖女の騎士、聖騎士になれるチャンスなのですよ? こんな機会、二度とありませんよ?」
「……確かに聖騎士という意味ではそうですね」
「そ、そうですよ。聖女はとても少なく、今この国にいる聖女は私ともう一人だけです」
そちらの聖女はすでに聖騎士がいるので、聖騎士になるのであればオリーネの騎士になるしかない。
しかし別にラウロは聖騎士という職業がどれだけ名誉があり、素晴らしいのかなどわかっていない。
わかったとしても、どうでもいいのだ。
「申し訳ないです、オリーネ男爵令嬢。俺はもうすでに、ついていく人を決めているのです」
「なっ……誰ですか? 運送店の店主さんでしょうか? ですがその方はあなたに家を貸し出していますが、不当な対価であなたを働かせていて……」
「もちろん、運送店の店主ではないです」
「では誰に? いえ、誰だとしても私よりもあなたを評価して、私以上に良い待遇を用意出来る人なんているはずが……!」
その時、ラウロはオリーネの後ろに現れた女性を見た。
長くて赤い髪をふわりと風に靡かせ、悪女のような笑みを浮かべていた。
「オリーネ嬢、ご機嫌よう」
「っ! ア、アサリア様……!?」
オリーネが身体をビクッと震わせてから、とても驚いた顔をして振り返る。
「ど、どうしてアサリア様が、こんな平民街に?」
「あら、オリーネ嬢、私の挨拶は無視かしら? せっかく公爵令嬢の私から挨拶をしたのに」
「っ! も、申し訳ありません、アサリア様。ご無礼なことを」
「ふふっ、まあいいわ。私は今日、とっても機嫌がいいから」
「そ、そうですか。それは素晴らしいことですね」
「ええ、そうね」
お互いにニコニコと笑っているアサリアとオリーネ。
しかしラウロから見ると、さっきまでの笑みよりも余裕がなくなったのがオリーネ。
逆にあのお方、アサリアはいつもよりも楽しそうに嗤っているように見えた。
「なんで私が機嫌がいいのかわかるかしら?」
「いいえ、すいませんが見当も付きません。よければ教えていただけると幸いです」
「ふふっ、それはね……私の専属騎士の候補が、ようやく私のものになるからよ」
「えっ……専属騎士の候補、ですか?」
オリーネの笑みが固まり、アサリアの口角はより一層深くなった。
「ねえ、ラウロ? 今日から私のもとに来てくれるのでしょう? 待ちきれなくて迎えに来てしまったわ」
「……はい、アサリア様。ありがとうございます」
ラウロがそう返事をした瞬間、オリーネが目を見開いてラウロを見てくる。
まさか平民街の運送店で働いているラウロが、公爵令嬢のアサリアと知り合いで、騎士にスカウトされているとは思わなかったのだろう。
「ア、アサリア様は、ラウロさんを専属騎士にしようと?」
「ええ、そうよ。たまたま彼と出会って、彼の身体の強さを見て、魔力を無意識に扱っているのを知って、これはぜひ我が公爵家に欲しい人材だって思ったのよ」
「さ、さすがの慧眼です」
「ありがとう、オリーネ嬢」
とてもニコニコとしているアサリアに、引き攣った笑みをしているオリーネ。
(……どうやら仲が悪いようだな、このお二人は)
さすがにここまでの会話や態度を見て、理解したラウロだった。
「だけどごめんなさいね、オリーネ嬢」
「何がでしょうか?」
「あなたも今、ラウロのことをスカウトしていたようだけれど」
「っ……」
「そういえば少し話が聞こえてしまったんだけど、『私以上に良い待遇を用意出来る人なんているはずない』と話していたわね?」
「あっ、その……!」
「出来ればどんな待遇を用意していたのか聞かせてもらえるかしら? 私はそれ以上の待遇を考えないと、ラウロが引き抜かれてしまうかもしれないから」
アサリアはとても楽しそうに、「まあそんな可能性は全くないけど」とでも言いたげな雰囲気だ。
「ちなみに私はすでに彼に家を買い与えているわ。私の専属騎士になるのだから、すでにそこらの男爵の屋敷と同等かそれ以上の屋敷を。そこに彼の弟妹もすでに入居してて、楽しそうに暮らしているわ。もちろん使用人を三人ほどつけてね」
「そ、そこまでしてらっしゃるのですね」
「ええ、公爵令嬢の専属騎士になるのだから、これくらいの待遇は当然よ」
ラウロもすでにそこに住んでいるのだが、本当に変わりようがすごくて自分がこんな屋敷で生活していいのか不安になるくらいだ。
だがレオとレナがものすごく喜んで、暖かい布団で寝ているのを見ると、幸せな気持ちになり、これから頑張らないと決意を固めている。
「他にも給金はもちろん出すし、全く不自由ない暮らしをさせるつもりだけど。どうかしら? オリーネ嬢は男爵令嬢の騎士、いや、彼が聖騎士になったとしたら、これ以上の待遇を用意出来るのかしら?」
「……い、いえ、私には不可能かと思います」
「ふふっ、そう? まあ難しいわよね。聖騎士というのはとても名誉な職だけど、良い待遇を用意出来るかというのは別の話だから」
アサリアがオリーネとラウロの方に歩いてきて、オリーネとすれ違う時に小さな声でまた話しかける。
「ごめんなさいね。私がいなければ、ラウロはあなたの聖騎士になっただろうに」
「っ……い、いえ、アサリア様が謝ることはありません。アサリア様の騎士が決まったことは喜ばしいことだと思います」
「ふふっ、ありがとう。あなたに祝福されるのが何よりも……ええ、何よりも嬉しいわ」
ニコッと嗤ったアサリアはオリーネから離れた。
オリーネはアサリアが後ろにいった瞬間に、笑顔が崩れて歯を食いしばるような、悔しそうな表情をしていた。
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