第6話 皇太子の傷


 ルイス・リノ・アンティラ皇太子は、皇宮の自室にオリーネを呼んで治療を受けていた。


「くっ……!」

「ルイス皇太子、大丈夫ですか?」


 アサリア・ジル・スペンサーにやられた手の傷を、聖女であるオリーネに治してもらう。

 しかしオリーネの回復魔法では一回だけじゃ治せず、何回も回復魔法を使っていた。


 オリーネが未熟というのもあるが、それだけアサリアが焼いた皮膚に魔力が込められていて、回復魔法を阻害しているのだろう。


「アサリアのやつ、皇太子の俺になんてことを……」

「私がパーティを抜けた後、そんな酷いことをしていらしたんですね」

「ああ、あんな乱暴な女だったとは。俺にこんなことをしたその報いは、絶対に受けさせてやる!」


 憎しみの混じった声でそう言いながら、二人はソファに座って身体を寄せ合っていた。


 しかしいつもよりも距離が離れているのは、昨日のパーティでルイス皇太子がオリーネに対して冷たい行動を取ったからだろうか。


「ルイス皇太子、その、アサリア様が昨日言っていたことは、本当なのでしょうか? アサリア様と婚約破棄をしたら、ルイス皇太子が第一継承者ではなくなるというのは……」

「あんなのアサリアの出任せに決まっている。俺は第一皇子だ、第一皇子が次期皇帝になるのは当然のこと。公爵家の娘と婚約せずとも、俺は皇太子だ」

「そう、ですよね。ルイス皇太子は優秀な方ですし、大丈夫だと思います」

「ああ、ありがとう。それに俺には聖女の君がいるからな」

「ふふっ、ありがとうございます」


 二人はそう言って笑い合ったが、どこかいつもより雰囲気が悪かった。


 まだ完璧には治ってないルイス皇太子の右手には包帯を巻き、二人でお茶をしていると、部屋にノックが響いて執事が入ってきた。


「なんだ?」

「皇太子殿下、失礼します。謁見室で、皇帝陛下がお呼びです」

「っ、陛下が?」


 自分の邪魔をされるのが嫌いな皇太子だが、皇帝陛下が呼んでいるというなら行くしかない。


「オリーネ、すまない。私は陛下に呼ばれたようだから行かないと。見送りは出来なそうだ」

「大丈夫です、ルイス皇太子。お怪我が早く治るように祈っております」

「ああ、ありがとう」


 そして二人は別れ、ルイス皇太子は謁見室へと向かった。

 執事に連れられて謁見室の扉の前まで来た。


「皇帝陛下。ルイス皇太子殿下がお見えです」

「……入れ」


 中から低い声が響いてきて、執事が扉を開けてルイス皇太子が一人で謁見室へと入る。

 とても豪華で厳かな内装で、赤い絨毯が真っ直ぐと敷かれており、二段ほど上がったところにある玉座に、皇帝陛下が座っていた。


「陛下、お呼びでしょうか」


 ルイス皇太子がそう問いかけると、皇帝陛下は立ち上がり玉座から睨む。


「余がなぜそなたを呼んだのか、わからぬか」

「……先日の建国記念日パーティのことでしょうか」

「そうだ」


 謁見室に呼ばれることなどルイス皇太子でもそうそうないので、すぐにわかった。

 皇帝陛下は昨日の事件を聞いて、息子で皇太子でもある自分を気遣って呼んでくれたのだと、ルイス皇太子は思った。


「陛下、昨日のことですが、私は婚約者のスペンサー公爵令嬢に酷い傷を負わされました」

「それはそなたがスペンサー公爵令嬢に対して、無礼なことをしたからだろう」

「えっ……」


 まさか皇帝陛下にもそんなことを言われるとは思わず、気の抜けた返事をしてしまった。


「そなたが何も考えずに男爵令嬢を招待するという愚行をして、しかも婚約者の公爵令嬢を放って男爵令嬢と交流を取っていたようだな」

「……確かに私はディアヌ男爵令嬢、聖女オリーネを招待しました。しかしスペンサー公爵令嬢からあのような暴力を受けることをした覚えはありません」

「余が何も知らないと思っているのか? そなたが直前に公爵令嬢の腕を無理やり掴んだ、というのは耳に入っているぞ」

「っ……」


 そこまで言われて、何も言い返せなくなるルイス皇太子。


「令嬢の腕を掴むなど、皇太子としてあってはならないこと。それが公爵とあれば、問題になるのは当然だろう」

「しかしスペンサー公爵令嬢は、私に対してとても礼儀に欠いた行動を……」

「最初に礼儀に欠いた行動をしたのはそなただろう!」


 ルイス皇太子の言葉を遮って、皇帝陛下は怒りの声を上げた。


「婚約者であるスペンサー公爵令嬢は、そなたが侮辱していい相手ではない。少しは考えて行動するのだ」

「しかし陛下、我々は皇室です。なぜ皇族の私が、公爵家の令嬢の顔色を窺わないといけないのでしょうか」

「……はぁ、どうやらそなたに物事を教えた教育係を解雇しなければならぬな」


 もう怒りも消えて呆れ始めた皇帝陛下は、玉座に座って頭に手を当てながら話す。


「皇室の血を引くからスペンサー公爵家に、四大公爵を下に見ていい、という理由になるとでも思っているのか?」


 帝国の皇族、一番トップの人間が皇帝陛下、その次に皇太子である自分だ、と思っていたルイス皇太子。

 確かに立場上はそうなのかもしれないが、その立場を維持出来ているのは帝国が建国されてずっと平和だからだ。


「我が帝国の礎を築き、今もなお帝国のために魔獣と戦い続け、平和を保てているのは四大公爵のお陰。その一つであり最強と名高いスペンサー公爵家を侮辱するなど、もってのほかだ!」

「っ……ですが皇族が彼らの上であることは確かでは」

「立場上は上だが、彼らがいなければ皇室などガラクタも同然。魔獣に攻められて殺されれば、平民の血も皇族の血もただ地面を赤く濡らすのみだ。彼らがいるお陰で皇室は帝国を治め、平和を保てているのだ」


 まだルイス皇太子は言いたいことがあったが、これ以上何か言っても皇帝陛下の怒りを買うだけだと思い黙った。


「ここまでそなたが愚かだったとは……他の皇子だったらこうはならんのだがな。そなたが皇太子でいいのか不安になってくるが、スペンサー公爵令嬢と婚約しているうちは、変わることはないだろう」

「はっ……? ど、どういうことでしょうか?」


 信じられない言葉が聞こえて、思わず聞き返してしまったルイス皇太子。

 しかし無情にも、皇帝陛下は彼にとって最悪の言葉を突き立てる。


「そなたを皇太子にしたのは、スペンサー公爵家の息女とそなたが婚約をしたからだ。スペンサー公爵家は一番危険な南の砦を守っており、そこで息女を戦わせたくないとのことで、余もそれを受けた」

「まさか、そんな……私が第一皇子だから、皇太子になったのでは……」

「第一皇子だから第一継承者に無条件になれるわけないだろう。普通ならば皇子の才能や能力を見比べ皇太子を決めるところを、スペンサー公爵家の息女と婚約したそなたを皇太子にしたのだ」

「っ……」


 嘘では、なかった。

 アサリア・ジル・スペンサーが昨日のパーティで言ったことは、全部本当だった。


『あら、知りませんでした? 四大公爵のスペンサー家の私と婚約をしたから、ルイス皇太子は第一継承者の皇太子になったのですよ?』

『私と婚約破棄をしたら、皇太子ではなくなります』


 自分はアサリアと婚約破棄をすると、皇太子ではなくなる。

 そのことがルイス皇太子の気分を一気にどん底に落とした。


「将来、そなたの妻となり皇妃となるのはスペンサー公爵令嬢。そなたが大事にしないといけないのは聖女でも男爵令嬢でもない」


 どうやらオリーネとの関係もすでに知られているようで、そう釘を刺された。


「男爵令嬢との関係を止めろと言ってはいない。ただ自分の選択には、責任を持つといい」


 つまりオリーネと関係を持ってもいいが、その場合は皇太子ではなくなるということだ。


「もう下がってよい」

「……はっ」


 顔を青くし、意気消沈しながらルイス皇太子は謁見室を出た。


 自室に戻り、ソファに座ったのだが……。


「っ、クソっ!」


 苛つきが治らず、目の前にあるコップを薙ぎ払う。

 中に入っていた飲み物が床にこぼれ、コップが割れる。


「なぜ私が、アサリアのご機嫌を窺わないといけないんだ」


 パーティの前まではずっと「皇太子として責任を持ってください、他の女性にうつつを抜かすなど無責任です」と、うるさく言ってきたアサリア。


 皇太子の責任などと言っていたが、どうせ自分の気を引きたいだけ、皇太子の婚約者という立場を失いたくないだけだろう、と思っていた。


 ルイス皇太子はもともとアサリアのことは好きじゃなかった。容姿は整っていたが好みではないし、性格も鬱陶しくて婚約者として嫌だった。


 その点、オリーネは容姿が自分の好みで、性格もお淑やかで愛らしかった。

 だからアサリアを蔑ろにし、今まで何も問題はなかったのでそのままにしてきた。


 しかし昨日のパーティでは、いきなり人が変わったかのように態度が変わっていた。


 自分と婚約を破棄してもいいと言ってきて、婚約破棄したら困るのはルイス皇太子の方だと自信満々に言ってきた。


 それを嘘だと思いたかったが、皇帝陛下が言ったからには、本当なのだ。


「くそ、俺はどうすれば! とにかく、皇太子じゃなくなるのはダメだ……」


 自分は皇室の第一皇子、上に立つ存在だ。

 それなのに弟である第二皇子や第三皇子に上に立たれるのは、我慢ならない。


 だが皇太子でいるには、アサリアの機嫌を窺って尊重しないといけないのだ。


 皇太子であり、上に立つ存在のはずの自分が。


「くそ……!」


 右手のアサリアに付けられた傷がズキッと痛む。

 アサリアの悪女のような笑みが頭の中に思い浮かび、また苛立つルイス皇太子だった。


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