014 再会

 雪山を歩くのは厳しい。雪の重みが足にまとわりつき、その歩みを遅らせる。それに加えて指先は悴み、一歩一歩の力が失われていく。


「だから、これを使う。」


 コウスケがそういって倒木から創り出したのは、2本のスキーだった。彼はナイフを器用に躍らせ、一刻と立たずにフレイヤに合うスキー板を創り出した。

 そのスキーのおかげもあってか、馬車で2週間かかる距離を10日で彼らは駆け抜けた。

 そうして見えてきたのは、雪に包まれた細長い街。両脇に巨大な山を持つ、谷の都。


「あれが……」

「そうだ。あれが『光の弓ウル』のいる、【ユーダリル】だ。」





 フレイヤは首を傾げた。コウスケは目的地であるはずの【ユーダリル】の外門をくぐることはなく、その西の脇にそびえる山を登り始めたからだ。


「ねえ、どうしてこの山を登っているの?」

「この山に、あいつがいる。」

「そう……」


 フレイヤは視線を落とし、コウスケが雪に残した足跡の上を歩く。

 2人はここまでほとんど会話をしてこなかった。彼女はいろいろなことを知りたがったが、一日のほとんどを移動に費やす彼らに会話する暇などなかった。フレイヤは一日の移動が済むと疲れてすぐに眠ってしまっていたし、目が覚めるとすぐに出立しなければいけなかった。

 そして彼女は、自分が寝てしまっている間、コウスケが一睡もしていないことを知っていた。先を急ぐ彼の目の下には隈ができ、わずかではあるが日に日に動きが遅くなっていった。

 仮眠は取っていたかもしれないが、明らかにコウスケは睡眠不足だ。自分が“見張り”をすることが出来ればよかったが、昼間であるならまだしも暗闇でどのようにすれば“見張り”が務まるのか、彼女には分からなかった。

 だから街を前にして別の場所に行こうとするコウスケに、フレイヤは少し不安を覚えた。彼の顔は険しく、そしてその視線は前にしか向いていない。街に着けば多少は落ち着くかと思ったが、そうではなかった。彼女は彼の今の状況がこのままずっと続くのではないかと、そう不安に思ったのだ。


「見えてきた。」


 コウスケが指さす先を、彼女は見た。

 山の岩陰に隠れるようにして立つ、焦げ茶色の煉瓦でつくられた小さな家。屋根には雪が積もり、隠れた煙突から薄い煙が立ち上っている。玄関には鹿の頭部が飾られ、近づくと朧な視線がコウスケとフレイヤを見下ろしてくる。


「ここなんだが……」


 コウスケはノックをしようと手を伸ばして、その動きを止めた。



(──気配が、ない。)



 彼は腰に下げた銃に手をかけ、振り返らずにフレイヤに言った。


「フレイヤ。俺の傍を離れないようにしてくれ。」



「あったかい……」


 扉を開けて解き放たれたその暖気に、フレイヤは涙が出そうになった。

 ほのかに香る赤ワインベースのシチューの匂い。暖炉ではじける炭の音が静かに響く、穏やかな空間がそこにはあった。


「──」


 その穏やかな家庭の空気に、フレイヤは思わず足を止めた。目に映るすべてが、言いようもないほど懐かしい。すこしざらつく杉のテーブル。肌触りの良いナプキンと、きれいに磨かれた食器。天井から釣り下がっているランプは部屋全体を淡く照らし、奥にある暖炉の輝きを際立たせる。暖炉は傍に掛けられた羊毛をふんだんに使った分厚いコートを温め、お日様の香りを漂わせていた。


「どうやら直前までいたようだが……」


 コウスケはテーブルに置かれたシチューを一瞥して、周囲を見渡す。争った形跡はないし、家の周囲に足跡もなかった。ならば、家の中にいるはずであった。


 部屋の造りは複雑ではないが、外敵から身を守るための些細な工夫が施されている。外からでは家の中の様子は柱があって見えないが、中から外ははっきりと見える造りになっていた。床はわざと足音が大きく鳴るようになっており、天井は普通の民家より高く、部屋の中で戦闘が行えるよう動きやすくなっている。そしてそれらは全て同じ色で塗装され、一見するとその部屋の大きさは分からないようになっていた。さらに言えば妙に小さい暖炉と煙突は侵入を防ぐためで、裏口から侵入者が入って来られないよう壁の一部は岩を利用して創られている。

 そんな工夫が施された家で、そこにいるはずの家主の気配がないという状況は、コウスケにとって不気味だった。


「……いったいどこへ……?」


 彼がそう言い、銃を引き抜こうとした瞬間だった。


 傍に掛けられたコートが、動いた。


「!?」


 突然発生した気配にコウスケは面食らった。一歩退き、その”気配”に向かって銃を向けようとする。だが、”気配”はそれを許さない。銃を叩き落とし、椅子の脚で彼の足をひっかけて体勢を崩させると、蛇のようにコウスケの背後に回りこむ。そして彼の首を腕で締め上げ、右手に持った「矢」をコウスケの右眼に向かって振り下ろした。


「──!」


 だが、コウスケも無抵抗ではない。自らの首を絞める相手を、床を蹴って己ごと宙へと押し上げる。そうして家の梁へと相手を打ち付けようとしたのだ。

 相手はそれを悟ると瞬時にコウスケを放し、右足でコウスケの背中を蹴り飛ばした。

 コウスケは吹き飛ばされると同時に体を回転させ、床に落ちた銃をかっさらった。そしてテーブルをはさんで相手に対峙し、銃を構えつつ叫んだ。


「まてまてまて!!俺だ!──エミリア!!」

「──ふ。」


 相手はいつの間にかつがえていた弓をおろし、小さく笑う。


「あははは。分かっているって。

 ただ、ホントに本物かどうか確かめたかったってだけだよ。

 あたしの技を返せたのであれば本物、できなきゃ偽物だろ?」


相手はそういうと顔を覆う壁と同じ色のマスクを外し、その小麦色の頬を露わにした。


「久しぶりだな、コウスケ。」


そこにいたのは、凛とした黒い瞳を持つ、一人の女性だった。



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